2018.12.02

引越物語-刺繍のもの

断捨離の精神は捨てたものの、引越しの荷物整理は悲しい。
 
2階の押入れの天袋の奥からこんなものが出てきた。
 
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妻が私の還暦祝いに作ってくれた赤い座布団である。自分の刺繍を松坂屋で仕立てさせてくれた。
一度も使ったことがない。
さすがに捨てるに忍びず移転の荷物に含めたが、果たして置く場所があるか?
戸塚きく先生について戸塚刺繍をやっていた。刺繍の糸をボストンバッグ2つ、用布を洋服箱2つ、廃棄した。
額は4枚残した。
 
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琥珀磨きの一式は大きな箱に入れて見も知らぬ人に呉れてしまった。

2018.11.24

冬桜

大室山麓のさくらの里に行った。冬桜が咲いていた。
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病院以外への外出は4か月ぶりであった。
 
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冬桜の容貌である。このところ体重が6キロ落ちた。
かってこの石舞台に花を飾った。
森本先生ももう居ない。
 
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ところでこの写真は誰が撮ったとお思いか?
 
私が撮ったのである。右手の自撮り棒で撮っている。
先日千円で購入したが優れ物だ。
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2018.11.22

断捨離

断捨離真っ最中である。
先日はらくだ屋という焼津の古道具屋が来て茶道具、軸など一式を引取って行った。3万5千円であった。
 
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今日は庭の倉庫と屋根裏ロフトの片付けを「伊豆の便利屋<手伝い日和>」という業者に依頼した。
倉庫には工作道具、カーテン、お雛様、人形など、他に頂きもの、引き出物、妻が持たされた源右衛門の食器揃いなどが使われないままくすぶっている。
ロフトには47年分のKAZI誌全冊ほか海図、書籍類、書画の額などで一杯であった。
私一人では絶対に出来ない作業である。
 
男3人で来て3時間、この車で5台分を搬出した。5万5千円であった。
 
 
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ここに見える本は売れない本である。
 
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かく心を鬼にしての断捨離であったが、五木寛之に「75才を過ぎたら断捨離などするものではない。年寄りは思い出と共に生きるのだ。」の言葉があることを知り矛先が鈍った。
たちまち持って行くものが増えた。
 
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引越しを18日後に控えた  黒潮丸

2018.11.16

引越物語-マンションの部屋

中銀ライフケアマンション水口の分譲マンションを購入した。
中銀マンションは熱海に10ヵ所あり、2000人以上入居している。
なにが<ライフケア>なのかというと、看護師の常駐、食事サービスあり、要介護になった場合にケア棟に入居出来る、のサービスがあるからである。
水口は来宮駅からタクシー700円、熱海駅から1400円である。適宜バスもある。
 
部屋は78㎡でまあまあの家具が持ち込める。
先住者は高齢のインテリ男性だったようで、綺麗に後始末してあった。
 
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それでも手入れは必要だ。
1.和室をフローリングに替え、妻の部屋とする。
  障子を板戸にし、カーテンレール設置。
2.洋室を箪笥部屋とパソコン部屋にする。
3.リビングをカーテンで区切り、私の部屋とダイニングにする。
4.照明とエアコンを交換する。
これで150万円となった。
 
12月10日転居予定である。忙しい。
 

引越物語-熱海の新聞

妻と熱海の医院に行ったら待合に熱海の新聞が置いてあった。
 
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起雲閣で華道展が開かれているという。市華道連盟所属の6社中の出展という。
千家古流、京古流、MOA山月光輪花、小原流、池坊、池坊祥流の6派である。
草月が無いのが珍しい。
 
小原流はどんな先生だろう?一度教室をのぞいてみたい。
 
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昨年「蜜蜂と遠雷」(恩田陸 直木賞受賞)を読むまで、浜松国際ピアノコンクールのことを全く知らなかった。
伊東に20年暮らして、伊東の新聞には一度も出なかったということだろう。
 
ここでは今年第10回のコンクールで参加者が使ったピアノの銘柄が話題として記事になっている。
ヤマハが何人、カワイが何人、スタインウエイが何人。
 
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タクシーの運転手に和食の美味しい店を訊ねた。
「きときと」「てんしょう」「釜鶴-料理部」・・・
行ってみよう。
 
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熱海に住むことに昂ってきている  黒潮丸
 

引越物語-写真アルバム

アルバムの写真をスマホに移したりホームに入るその日のために>  秩父市高橋
 
いつだったか新聞歌壇で見付けてメモしておいた句である。
今私はまさにそのことを実行している。
 
私は比較的真面目に写真はプリントしてアルバムに貼って保存していた。
2000年頃以降はPCに保存するだけになったが。
引越しを前にして撮りためたアルバムの一部をスマホで撮ってPCに入れようと発心している。
そんなことをして誰が見るというのだ。
 
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貰ってくれるかい

小生、いよいよ熱海への転居を決めました。
詳しくは追々書きます。
 
先立つのは荷物の整理である。整理というより処分である。
何よりもまず本である。一番頭が痛い。
 
わが書庫の奥に「大言海」(大槻文彦 富山房 初刊1904)4冊がある。妻の祖父からうけ継いだ。
 
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祖父は陸軍獣医総監を務め、没後従三位をうけた。
亡くなった後、祖母に「これを頂きたい」と言ったら祖母は「貰ってくれるかい」と返した。
東京農大を苦学して卒業し、結婚後も楽ではない生活の中から総皮装のこの辞典を購うには相当な思いがあったであろう。
祖母はそれらの万感を思い返して、新しく迎えた孫に「貰ってくれるかい」とひとこと言ったのだ。
私はその思いを思ってとてもこの書を捨てられない。
この古い「大言海」を新居に伴う。
 
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もう一つ辞典がある。諸橋轍次の「大漢和辞典」(大修館書店 1959)全13巻である。
これは義父から受継いだ。これも捨てられない。
八方探して栃木県の田舎の古書店に引き取ってもらった。
肩の荷が下りた。
 
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 これも皮装本である。
 
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その他では堀田善衛、須賀敦子、茨木のり子あたりは持って行けそうだ。
岡本かの子、高橋和己は諦めた。
 
老いの道を歩き始めた  黒潮丸

2018.10.31

南瓜

 外つ国の南瓜は笑う十月尽    西川*
 
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一昨年10月にFacebookで見かけた句である。名句だと思う。
西川*氏は俳人ではない。IT技術者で書を嗜む。
 
  馬鹿面を南瓜で隠す十月尽    黒潮丸
 
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わが英国の孫娘
 

2018.10.29

ジュリアナTOKYO

ダンスついでに一題。
 
私がマリーナ建設に打込んでいた1991年11月、丸の内の出光本社に日商岩井レジャー産業部の面々が訪ねて来た。
なんと著名なセーラーでヨットデザイナーでマリーナのデザインも手掛けているロン・ホランドを帯同していた。
ヨット乗りの私はその盛名のご本人を前にして、ただただ恐れ入るばかりだった。
 
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用件は当時計画中だった出光三河みとマリーナにロンのデザインを使ってくれとの提案であった。
そして1週間後には本国の事務所に描かせたラフを送らせて持参した。
 
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そして日商岩井は当時流行りの盛りにあったジュリアナTOKYOのボックスシートに私を招待したのだった。
毎夜数千人が押し掛け、入場すら難しいと言われていたジュリアナTOKYOであった。
 
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結局この提案は既に計画が進行していたため採用に至らなかった。
 
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ジュリアナと言えば折口雅博である。
日商岩井の社員からジュリアナの成功を土台に、グッドウイル(人材サービス)、コムスン(介護サービス)などを手掛け遂に経団連の理事にまで上り詰める。
 
そして現在はトランプタワーに事務所を構え、投資ファンドで成功しているという。
 
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人間が違うな。

2018.10.27

ミスインターナショナル

今年のミスインターナショナル日本代表・岡田朋峰(ともみ)嬢20才である。
 
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この顔貌と名前から某俳優を思い浮かべるのは相当な年寄りであろう。
 
そう、これは二枚目俳優岡田真澄の娘である。
岡田63才の時の子供という!
 
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私は若かりし岡田真澄と話をしたことがある。
 

私は一橋文芸部の大和田政也に頼まれて「一橋文芸」発行の資金作りを手伝っていた。
資金作りとはダンスパーテイの開催である。
会場を借り、バンドを頼んで、女子大生にチケットを売る。そして利益を出す。
どうしてか私にはそのノウハウがあった。
 

石原慎太郎が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」が「文学界」の新人賞を獲った。
そこで一橋文芸部は「石原慎太郎・文学界新人賞受賞記念」と銘打ってパーテイを開き、一稼ぎを企んだ。
名前を使うからには石原先輩に挨拶しておかねばならぬ。私がその使者にたった。
「先輩をダシにしてパーテイをやらせてもらいます。」と言ったら、「ダシにするとは何事だ。」と頭から叱られた。
そういう物言いをする人であった。

 


この新人賞をきっかけとして「太陽の季節」の芥川賞につながる。

 


当日の会場は阿佐ヶ谷会館であった。
開場してしばらくして2人の青年が現れた。折り目正しく幹事の私に挨拶した。
石原慎太郎は来なかったが、代わりに弟の石原裕次郎と岡田真澄を差し向けたのであった。慎太郎なりの配慮でありサービスであった。
私も誰も一橋生は誰も2人の青年を知らなかった。まだブーム点火直前の彼らであった。
しかし2人が現れるやあたりは騒然となった。女子大生たちは彼らがなんたるかをすでに知っていたのだ。
確かに2人にはオーラがあった。いや物凄い熱気だった。
60年たった今も忘れない。

 



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石原裕次郎と岡田真澄の挨拶を受けた  黒潮丸
 

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