2017.09.06

灯台3-若山牧水と神子元島

前に若山牧水が神子元島に友人を訪ね滞在したと書いた。
どんな所だったのか。
 
たまたま牧水の「灯台守」という短編小説を見付けて読んだ。大正2年(1913)に書かれたものという。
当時牧水は28才、結婚し1子が生まれたものの生活は安定せず、自身の短歌結社の機関誌「創作」の発行に苦労している時期であった。
 
牧水は神子元島の灯台に勤務していた早稲田時代の学友Kに誘われるままに島を訪ねた。
Kは熊本の金満家の息子で大学卒業後実家から2万円の大金をもらって家を出た。
その金で長崎で島を買ったり種子島に住んだり勝手な暮らしをしていたが、アメリカに渡って放浪した挙句金が無くなり下級船員をしながら帰国した男であった。
もう実家には顔を出せない。そこで神子元島に灯台守の職を得たのであった。
 
「この島は周囲15,6丁くらいの岩礁で、固い子葉の一種の磯草が僅かに岩陰に生えているほか磯馴松一本をすら見ることが出来なかった。水も無論無い。洗濯や入浴のためには天水を溜めるように丁重な仕掛けがしてあり飲料水その他の食物および日用品等をば1週間に1度ずつ数哩を距てた対岸の下田港から灯台付属の便船で運んで来ることになっていた。」(灯台守)
 
 
Kは4人居る灯台守の次席であった。
牧水は便船で島に渡ったがその荒寥に恐れをなし、その日の帰便で帰ると言った。
するとKは激高し、「こんなに待っていたのに帰るとはなんだ!」と牧水を押し倒し続けざまに殴りつけた。
結局牧水は1週間留まることになった。
 
ある日、Kは牧水に「灯台守にならないか」と言い出した。
「6ヶ月の講習を受ければいい。そうすれば25円の給料になる。ここでの生活費は5円だ。毎月20円の貯蓄が出来る。」
Kはよほど淋しかったのだろう。なんとか牧水を引き留めたかったのだろう。
牧水も東京での生活苦を考えると惹かれないではなかったが、さすがに断って島を去った。
 
いま対岸の須崎に立つ歌碑の歌には確かに神子元島での苦い思いが滲み出ている。
 
<友が守る灯台はあはれわだ中の蟹めく岩に白く立ちおり>   牧水
 
*4人の灯台守が居た灯台が今は無人である。
*25円の給料に魅力を感じる時代に2万円がいかに大金であったか。

2017.09.05

灯台-2

前に私が灯台フリークである所以を書いた。
 
Imagelighthouseyacht170902
 
 
それぞれの灯台の光り方(灯質)を光る灯台模型を作ってみたいと書いた。
あわよくば売り物にしたかったのである。
灯台フリークは日本より海外に多いので世界に売ってみたかった。
 
~~~電子回路の外注~~~
思い通りに灯台を光らせるにはLEDライトと電子回路が必要である。
私にはその基礎知識すら無いので外注することにした。
1セットで1000円以内を想定した。
 
 
ケース1
​出来上がりで1個3500円。しかもサイズが大きく灯台模型に収まらないのであった。
 
ケース2
着手金10万円。その後も1灯台毎に設計料2500円、1個1500円であった。
 
いずれもわが想定を大きく上回った。
 
~~~自作~~~
自分で作れないものかと考えた。
 
私にはその素養はまったく無い。
用語もままならない中、やっと「LED実験・工作キット」に辿りつき取り寄せた。約2500円。
 
 
ピカピカと光るキットが1揃い入っている。
しかし光るだけである。「何秒毎に・・・」というような指示は別に勉強しなければならない。
さて入り込むべきかどうか、まだ手つかずである。
 
~~~灯台模型~~~
自分でもわずかに灯台模型を持っていたので、あちこちの灯台模型を簡単に入手出来ると思っていた。
ところがそういう世界ではなかった。神子元島の灯台、大王崎の灯台といって揃ってはいないのである。
注文して作ってくれる業者も無い。
理由ははっきりしている、ニーズが無いからである。
 
各灯台をデザインし、型をおこして制作し彩色し、幾つ売れるものか。
各灯台の売店に置けば少しは売れるだろうが、誰が型代を出すのか。有名灯台だけで50~100ヶ所ある。
売価は@3000円程度であろう。
 
~~~~~~
いつも思い付きだけの  黒潮丸
 

2017.08.20

灯台モード

このところ俄かに灯台モードである。
きっかけは「灯台はそそる」(不動まゆう)の書籍広告であった。
小さな広告だったが気をそそられて発注した。8/11。
著者は海事には関係の無い普通のOLだが、どこでどう狂ったか灯台愛が嵩じて個人で灯台のブログを運営し雑誌を発行している。
現在も夏休みで遠出してイギリスあたりの灯台を経巡っている。
 
 
内容は私としては特に共感も感動もなかった。飽くなき灯台フェチに感心したのみである。
一番の理由は彼女にとって灯台は「見る」対象なのに、私にとっては「導き」の対象だったからである。
 
~~~位置をとる~~~
私がヨットに最もよく乗っていた時代、GPSもなければ通信機器もない、一旦海に出れば陸と連絡をとる手段は何も無い時代であった。
自艇の位置はチャートに2点の陸標から直線を引き、その交点を自位置としたのであった。最も信頼できる陸標が灯台であった。
例えば東京から熊野灘に向かう場合、剣崎と風早埼から線を引いて交点に時間を記入しておく、そして爪木崎と竜王崎の交点で時間を記録する。その交点と交点の距離をデバイダーで計り、その間の距離で自艇のスピードを割り出すのであった。スピードメーターは持っていなかった。
線を引くのにハンドベアリングコンパスを用いた。目標に向けて方位を測定し記録するのである。
 
これが我が艇ではコンパスに次ぐ2番目の航海計器であった。
 
陸標を頼りに出来るのは沿岸航海である。陸が見えない大洋では天測になる。六分儀と天測表で難しい天測と難しい計算を行う。
私はそれをマスターする気力がなかったから沿岸航海ばかりであった。
 
陸標は夜間には灯台となる。ご存知のように灯台はそれぞれ固有の灯質(光り方)を持っている。
例えば剣崎灯台は「毎30秒毎に2白閃光、1緑閃光」である。石廊崎灯台は「単閃白赤互光 毎16秒」である。
暗夜に目指す方角に目指す光り方の灯台を認めた時の喜びは、固まった我が身を蕩かす思いがした。
 
主だった灯台の灯質(光り方)は覚えているのがクルーザー乗りの心得であった。御前崎とか、大王崎とか、見えてくる前に予見しておかねばならない。
とはいっても全部は覚えられない。そこで「灯台表」である。全国3000の灯台のデータが記載されている。
 
 
私のハンドベアリングコンパスと灯台表は最後の艇を手放した時に積み込んだまま渡してしまった。寂しい。
 
~~~神子元島灯台~~~
東京湾口の大事な灯台に神子元島灯台がある。「群閃白光 毎16秒2閃」
下田港から3マイルほど沖合の無人島である。小さな島にしては異様に大きな灯台が不気味である。
 
先日Facebookにドローンでこの島を写した動画が掲載された。見るほどに無愛想な島である。
ところが昔はここに灯台守が住んでいたのだ。
1913年、若山牧水が灯台守をしている学友を訪ねて島に1週間滞在したという。
牧水の学友と言えば早稲田卒だろうか。そんな人間がこの無人島に住んでいたのか?!
 
<友が守る灯台はあはれわだなかの蟹めく岩に白く立ち居り>  牧水
 
~~~灯台モデル~~~
灯台を好きな人は多いから、灯台の模型・モデルもそこそこ出回っている。
私も幾つか飾っている。
 
 
そこで思い付いたのだが、マイコンを仕込んでこれらの灯台を規定通りに光らせたい。
私にはとても出来ないが、クラウドソーシングで請け負ってくれる人が居るのではないか。
それでココナラに出したところ直ぐに手を上げる人が現れた。
 
しかし提案してきたのは電池とマイコンの入るコントロールボックスだけで弁当箱ほどの大きさになる。
私のイメージでは電池はボタン電池にして一式灯台の中に収まってしまうほどのものだ。
はてさてうまくいくかどうか。
 

2017.07.17

一帯一路対応と北方領土交渉

~~~海の日~~~
今日は海の日である。
中国の一帯一路構想と、ロシヤとの北方領土交渉について考えた。
 
170716
 
一帯は陸路であり、一路は海路である。
日本は一路にどう対応するか。
 
~~~北極海航路~~~
地球温暖化とともに、北極海航路が現実の動きとなりつつある。
 
Routedays
 
一路より北極海航路の方が遥かに経済的である。
 
~~~日露北方領土交渉~~~
北方領土交渉は「2島返還+α」と言っていたのがいまや「0島返還」、加えて1兆円ものカネをロシアに掠め取られようとしている。
2島返還、4島返還はとりあえず横に置いておこう。
それより「カムチャッカ半島に港を作ってあげるよ」と提案したらどうか。
その1兆円でカムチャッカに新港を作るのだ。
 
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北極海航路を利用してベーリング海峡を抜けた船はまずカムチャッカの港に寄りたい。
そこで荷物を積み替える。
北極海航路ではロシヤの砕氷船が随行するが、荷船自体も耐氷性を求められる重い船になるので早く積み替え​たいのだ。
 
日本向けも、中国向けも、アジア、インド向けもすべてここで積み替える。大変な港になるはずだ。
この港の建設を請けることこそ最大の日露交渉ではないのか?
地理的にカムチャッカでの建設工事は日本が最も優位にある。
 
~~~世界一路~~~
中国の一路構想は、北極海航路―カムチャッカ―津軽海峡―上海を加えることでやっと世界一路となる。
中国が津軽海峡を嫌って宗谷海峡を通るなら、宗谷海峡大橋を作る。
いずれにしろ海峡の航行は自由だが、世界一路の一角を日本が握る。
今年の海の日の黒潮丸の夢である。
 

2017.07.14

かかりつけ医

~~~私の常用薬~~~
・尿酸(痛風)
 40年前に発症し飲み続けている。30年前から止めてもいいのだが惰性で飲んでいる。
・アスピリン
 30年前にアスピリンの血液さらさら効能を知り勝手に飲み始めた。当時国内発売は無く、米出張先で買ってきていた。
 今はバッファリンAとかになって病院でもらっている。これも気休めの薬。
・逆流性食道炎
 7,8年前に発症し、はじめは原因が分からず悩んだがこの薬を飲み始めて治まった。唯一必要薬である。
 
これらの薬を貰いに2ヶ月に1度近所のH病院に行く。
ついでに血圧、血糖値、コレステロールを見てもらう。どれも問題無い。
 
~~~かかりつけ医~~~
このところ医療や介護の世界で「かかりつけ医」の文字がやたら目につく。役所が推奨しているのだろう。
それで、<かかりつけの薬局><伊東市民病院の受付><伊東市の老人窓口>に聞いた。
・「かかりつけ医」が定義されている法文はどこにあるか?。
・「かかりつけ医」と患者の間で何か契約するのか? 書面を取り交わすのか? その書式は?
・私の居住地域で「かかりつけ医」に相応しい医院はあるか?
 
どこもはっきりした返事が無かった。
 
~~~H病院~~~
車で5分、徒歩22分のH病院にはもう20年も通っている。
医者10数名の中病院である。
 
しかし10数名中常勤は3人くらいであとは非常勤、そしてしょっちゅう替わる。
夜間診療、休日診療、往診は無い。
 
とても「かかりつけ医」たり得ない。
 
~~~往診医~~~
近くに往診をする医者が居ると聞いたので行ってみた。
40代後半の医師1人のクリニック(内科、泌尿器科)であった。
 
あえて往診のことを聞くと、「患者さんが高齢になって通えなくなったら往診している。動ける人には来てもらう。」と気負いも衒いもなく答えた。
「かかりつけ医」の契約書は無いと答えた。
往診の理由を滔々と述べないのがいい。ここをかかりつけ医にするかもしれない。
 

2017.07.11

やまももの悩み

∞∞∞2017/7/6∞∞∞∞∞∞∞
毎日やまももの落果に悩まされている。
 
 
 
 
日毎に熟し、形も大きくなってきた。
 
しかしジャムはもう十分に作った。
ご近所には差し上げた。
 
写真の状態から人様に差し上げるには、1つ1つヘタを除って水で洗わなければならない。
年寄り夫婦にはもうそのエネルギーが無い。
捨てるしかない。
今朝は10キロ捨てたのであった。
 
 
妻の悲痛な叫びである。
 
あと何日続くやら。

馬が歌った

∞∞∞2017/7/4∞∞∞∞∞∞∞
~~~馬が歌うのを待つ~~~
トーマス・フリードマンが NY Timesに書いたコラムの抄訳がA紙に出ていた。
 
ある死刑囚が王様に「死刑を1年延ばしてくれたら王様の愛馬に歌を教え込む」と約束して延ばしてもらった。
仲間が「馬が歌うわけがない」と笑うと、死刑囚は「1年あればいろいろなことが起きる。王様が死ぬかもしれないし、馬が死ぬかもしれない。」と答えた。
 


これが私たちの北朝鮮政策だ。馬が歌うのを待つように「何かが起きる」のを待っている。
 

~~~This is a horse cry~~~
このほどわが国で王様の馬が嘶いた。
 
T高田、H萩生田、I稲田、S下村、A安倍
 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
馬丁  小池○○子
 

2017.06.27

曾孫への遺言

∞∞∞2017/6/24∞∞∞∞∞∞∞
~~~曾孫~~~
私には孫が2人いる。男子である。
1人は今年就職し、1人は大学に入った。
いずれ子を成すであろう。わが曾孫である。
 
もしそれが女子なら申し遺すことがある。
 
<絶対に桜蔭に入れるな>
 
~~~暴言~~~
何故なら、
あの豊田真由子の暴言は、中高を過ごした<桜蔭>で覚えたとしか考えられないからである。 
 
~~~~~~
孫馬鹿  森下一義
 

恐怖の季節

∞∞∞2017/6/23∞∞∞∞∞∞∞
~~~やまもも~~~
これから2週間、恐怖の季節である。
熟したやまももが降り止まぬのだ。
毎日5、6キロ落ちる。
 
 
 
 

~~~ネット~~~
落果を放置できない。
藪に落ちれば拾えないし、そのままにすると発酵して虫が寄る。
 
それでネットを張ってタモで浚う。
 
 
 
~~~収穫?~~~ 
拾ったとてどうなろう?
 
ジャム→食べきれない
リカー漬け→飲まない―アルコールを嗜まない
どちらも何年も前からのが貯まっている。
 
前年は23軒のお宅に加工しないままで配った。
 

次官、大臣、大統領

∞∞∞2017/6/23∞∞∞∞∞∞∞
~~~次官~~~
自民党国会議員豊田真由子が話題である。
 
東大、ハーバードを出て厚労省課長補佐であったという。
次官になる確率は相当に高かったであろう。
あの喚きようを聞けば、その確率は更に高かっただろうと思う。
 
 
~~~大臣~~~
その次官を捨てて国会議員に立候補したのは、次官で飽きたらず大臣を目指したからに違いない。
 
~~~大統領~~~
世の中ままならぬ。
議員になって5年、42才になったのに未だ2年生のぺーぺーに過ぎぬ。
 
折しも仏国では39才の大統領が誕生した。
遣る瀬無いなあ、真由子さん。
 

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