2019.04.21

囲碁クラブ

わが新たな居所「中銀ライフケア水口」には約250の居室があるが、空室や別荘的利用者も多く単身者もありで、常住者は200~220人と思われる。
20以上の同好会があり、私は囲碁クラブに入った。
専用の一室に十面程度の碁盤があり、午前中に行けば6~7人がたむろしている。
このほど参加希望者15名の総当たりの大会があり、私は2段格で出場し11勝3敗で優勝した。
次回からは晴れて3段である。
<今しばし生きなむとする茅屋に烏鷺闘わす朋のある幸>  黒潮丸
畏くも皇后美智子の今年の歌会始の御製を本歌とする。
<今しばし生きなむと思う寂光に園の薔薇のみな美しく>  皇后美智子
~~~~~~~~~~~~
私の碁歴
この20年、碁石に触ったことがなかった。
手ほどきをうけたのは父親からだが、その後習ったことも碁会所に通ったこともない。
会社での昼休みでは時間が足りないので、ゴルフの待ち時間にやったりした。
ここに来てから熱心に囲碁本を読んでいる。
「基本のヨセ」「定石原典・星 三々」「ツケ ハネ ノビ」・・・

囲碁クラブ

わが新たな居所「中銀ライフケア水口」には約250の居室があるが、空室や別荘的利用者も多く単身者もありで、常住者は200~220人と思われる。
20以上の同好会があり、私は囲碁クラブに入った。
専用の一室に十面程度の碁盤があり、午前中に行けば6~7人がたむろしている。
このほど参加希望者15名の総当たりの大会があり、私は2段格で出場し11勝3敗で優勝した。
次回からは晴れて3段である。
<今しばし生きなむとする茅屋に烏鷺闘わす朋のある幸>  黒潮丸
畏くも皇后美智子の今年の歌会始の御製を本歌とする。
<今しばし生きなむと思う寂光に園の薔薇のみな美しく>  皇后美智子
~~~~~~~~~~~~
私の碁歴
この20年、碁石に触ったことがなかった。
手ほどきをうけたのは父親からだが、その後習ったことも碁会所に通ったこともない。
会社での昼休みでは時間が足りないので、ゴルフの待ち時間にやったりした。
ここに来てから熱心に囲碁本を読んでいる。
「基本のヨセ」「定石原典・星 三々」「ツケ ハネ ノビ」・・・

2019.04.01

令によって

令和」の出典について菅官房長官は次のように述べた。

新元号の典拠について申し上げます。「令和」は、万葉集の梅の花の歌32首の序文にある「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用したものであります​。

白川静​​博士の「字統」は「令」について​次のように書く​。

礼冠を着け、跪いて神意を聞く人の形。
(中略)神意に従うことから令善の義となり令名・令聞のように用いる。また命令の意より官長の名や使役の義となり、のち敬称として令閨・令嗣のように用いる。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
 

​万葉集に使われているからといって​、「令」に梅の香りがするわけではない。

 

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2019.02.27

「箱の中の天皇」感想

赤坂真理「箱の中の天皇」を読んだ。
 
今上天皇明仁が<象徴天皇>の意味をどれほど考えつめ、どのように生きたかをとことん考察した小説である。
赤坂真理は<天皇の象徴性>についてあまりに深く考えたあまり、自から明仁に没入してしまった。
 
もし明仁がこの小説を読むとすれば、赤坂を自からの藩屏と感じであろう。
 
天皇制に居心地の悪さを思う  黒潮丸

2019.02.10

バンクシーの鼠

東京都の小池知事が大事にしまいこんだストリートアートと称する鼠の絵を覚えておられるだろう。
作者は<バンクシー>という画家である。
 
 
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アッハッハッ
これは私が描いた鼠である。
 
 
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実は eBay で933円で売っていた。
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これを買ってコピーして切り取って拡大してなぞったのである。
東京に行ってどこかに描こうか。
 
ストリートアーチスト 黒潮丸
 

2019.02.01

銅の髪

「プレバト」というTV番組がある。夏井いつきという俳人が主宰する番組である。ご覧になっている方も多いだろう。
彼女は松山の住人で俳句甲子園を発案し盛り立てた張本人である。
 
昨夜のプレバトでこんな句が飛び出した。
<着ぶくれて慰安婦像の銅の髪>  東国原英夫
 
参ったね。
慰安婦問題に関して日本人の気持ちをこれほど的確に現した言葉は無かったのではないか。
東国原 畏るべし。
 
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何年か前、やはり東国原にこの句があった。
<向日葵や畜魂二十九万頭>  東国原英夫
 
宮崎県知事として口蹄疫で29万頭もの動物を殺処分したことを思っての句である。
この時夏井いつきが「句碑を建てなさい」と言った。
 

2019.01.25

ある「会葬御礼」

「履きなれたデッキシューズ」などのヨット随筆で知られる田邊英蔵氏が1月22日に亡くなられたそうだ。93才。
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どなたか告別式に出られた方がその「会葬御礼」をFacebookにアップして下さった。
喪主の田邊麻里子氏とは随筆中にしょっちゅう出てきた8頭身美人の副長氏であろう。
素敵な会葬御礼だ。
われらかくありたし。
実は22日に先立つ2日前、1月20日に私は熱海後楽園ホテルに行ったのであった。
熱海マリーナを見下ろすカフェで海の仕事を志す某青年と語り合ったのであった。
田邊氏は熱海後楽園ホテルのオーナーであった。
 
Facebookには現蒼龍の写真も掲載された。
和歌山に在り、高齢のオーナーが新しいオーナーを求めているとのことだ。
 
190124tanabeeizosouryuuwakayama
 

2019.01.18

インフル禁足

11日に39度超の高熱が出た。クリニックに行ったがインフルは検出されず、抗生物質で熱は治まった。
15日に別のクリニックに妻の付添で行って、ついでに自分も診てもらったらインフルA型が検出された。
帰館してナースに報告したらたちまち3日間18日までの妻共々の禁足を命じられた。食堂にも行けない、新聞を取りに行くことも出来ない。食事は3度3度部屋まで配達してくれる。
熱は無く、飲む薬も無く、無聊をかこったが高齢者の集団生活ではやむを得ない措置であろう。
やっと今日一杯で解放される。
 
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禁足の間、たまたま買ってあった「皇后考」(原武史 講談社 2015)を読んだ。
650ページもある大冊でとても読める本ではないと思っていたのだが、手に取って読み始めたら面白くて面白くてまさに「一読巻を置く能わず」であった。
190117kogoukou
何が面白いかというと知らないことが書いてあったからである。
明治天皇には5男10女があったが皇后美子には子が無かったとか、大正天皇の行状とか、皇后節子が長男裕仁よりも次男雍仁を可愛がって元老たちが心配したとか、そんな話である。
初め2割くらいは面白がっていたが、だんだん馬鹿らしくなってきて後半はすっ飛ばした。ババジジの話しはもういい。
 
改元も元号もどうでもよい。服飾のようなものである。
 

2019.01.09

「安楽死を遂げるまで」

重いテーマの本であり、間に何冊か入ったりしてやっと今日「安楽死を遂げるまで」(宮下洋一 小学館 初刊2017/12)を読み上げた。
 
1976年生まれでスペインに生活するフリージャーナリストの著者が、スイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、日本の世界6ヶ国の医師、患者、家族を訪ね、安楽死の「瞬間」にまで立ち会ったルポルタージュである。
非常に真面目で厳粛な記録であり決してジャーナリステイックな筆致ではないが、トータルとしてやはりジャーナリストによる作品である。
 
私にはとても348ページにわたる内容を紹介する力は無いのでAmazonの紹介文をそのまま引用しよう。
 
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オランダの死因3〜4%は安楽死。「死に方」を考える

本書は欧米で活躍するジャーナリスト、宮下洋一氏が自殺幇助団体の代表であるスイスの女性医師と出会い欧米の安楽死事情を取材しながら死をめぐる思索を深めていくノンフィクションだ。

実際に自殺幇助の現場に立ち会った著者は、ヨーロッパ人の強い自我に衝撃を受ける。安楽死はオランダの死因の三~四パーセントだと言われても、日本人である著者はその数に驚きを隠せない。取材を進めるうちに著者は、病による苦しみを抱え、安楽死を望み、自ら死んで逝く人々のまなざしのなかに包み込まれていく。荘厳な個の最期に同情の入り込む余地はなく、彼岸へと去っていく者によって此岸に立つ不安を覚える。

スイス、オランダと当事者たちとの対話を重ねるなかで著者は次第に「安楽死を選べる」ことによって「死を選択しない自由」が生まれることを知る。多様な死に方のオプションがあって初めて人は「生きること」を自らの意思で再選択できるのでは、と。

思えば命は自然からのギフトだ。あたりまえに享受してきた「生」に限りがあると知るとき、人はもう一度能動的に、命をつかみとらねばならず、その瞬間から新たに「生きる」という行為が始まるのかもしれない。本書は「安楽死を望む人々」を取材しながらも、誰もがそれぞれの「死に方」をもっている、という人間存在の多様性へと啓かれていく。死に方とは「生き方」なのだった。

欧米を回った著者は日本に戻り、安楽死に関わった日本の医師たちのその後を追う。西洋から東洋へ。ふいに文章のトーンが変わり、読者は曖昧な薄暗い世界へ引き込まれていく。終末期における医療現場の混乱、対話の不在が露呈する死の臨床。救いはないのか。

しかし、著者の優れた共感力は、薄皮を剥ぐように医師の内面へと迫る。次第に日本的な死生観が医師の語りを通して顕現してくる。その思いは著者にではなく、苦境を支えてくれた地域社会に向けて独白のように語られるのだった。著者は、医師たちのモノローグの中に彼らと自分のつながりを敏感に感じ取っていく。

西洋をていねいに取材してきた著者の結論は、実に予想外であった。終章に著者は記す。西洋的文化の中で見失っていた「生かされて、生きる」感覚を日本での取材を通して発見した、と。これは、西洋を体験した著者だからこそ探り当てた東洋の真珠であると思う。著者の目を通して、読者もまた西洋と東洋の死生観を俯瞰することになる。

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2019.01.08

日産自動車

ゴーンさんはどうなることやら。
 
今日「日産自動車極秘ファイル2300枚」(川勝宣昭 プレジデント社)を読んだ。
30年前、労組委員長として日産に君臨した塩路一郎に対して立ち上がった著者ら7人の戦争記録である。
かねて関心のあった歴史だから面白く読んだ。
ただ国鉄改革3人組の葛西、井手、松田に比し、日産7人組は誰も偉くならなかった。
川克、石原、久米、辻、塙と続いた経営陣は7人組に目を掛けることなく、結局日産を駄目にし、ゴーンの登場に至る。
そしてまたゴーンを引き倒す。
 
昔日産に片山豊というエースが居た。
東京モーターショーを立上げ、北米日産の社長としてダットサンを売りまくり、「ファレディーZ]を世界一のスポーツカーに育てた。
日産の経営陣は片山の能力を恐れ、遂に本社に戻さなかった。
 
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日産にマリン部門があった。
ボートを作り、マリーナを運営した。
佐島マリーナは森繁久弥が個人で作り、日産が引き継いだ。
今福山が、桑田が、YOSHIKIが個人でマリーナを作れるだろうか。
私は森繁さんの縁で東京湾マリーナに艇を置くことが出来た。
 
三河みとマリーナの近くに日産マリーナ東海があった。
新門司マリーナとマリーナ河芸は三河みとマリーナと同時期の建設である。
 
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私は日産には随分たくさんの油を買ってもらったが、トヨタは難攻不落でどうしても出光の油を売り込むことが出来なかった。
 
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こうして日産にはご縁があるのだが、なんとも冴えない会社である。
 

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