563 posts categorized "8-偶感"

2009.12.21

羽子板を飾った

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年の瀬の雑仕事を片付けている。
とても<煤逃げ>というわけにはいかない。

今朝はカーテンを冬のカーテンに取り替えた。重くて大変だ。
ついでに家中の扇風機を倉庫に格納した。
ついでに倉庫の中を少し片付けた。
ついでに羽子板を出して正月用に飾った。

羽子板は娘が生れた時の正月に貰ったものだ。45才になる。
本来はお雛様も羽子板も娘が持って行くべきものだろうが、ずっと親のうちに置いてある。
いつまで置いとくものか。毎年老夫婦が飾るのみである。

 

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2009.12.18

伊東地震見舞い

伊東に地震と報じられている。
わが家のあたりも昨夜来群発地震?に襲われ、静こころない心地である。
しかし被害といったものはなく、棚の物が落ちることもない程度なので、ご安心ご放念下さい。

お見舞いのメールを頂いた方、どうも有難うございました。

妻が「お見舞いのメールがありましたか?」と聞くから、「3件あった。」と答えたら、「私は10件以上よ。」という。
ケータイのメル友から続々と入るのだ。
「あなたの普段からの人生態度が悪いから、お見舞いされないのよ。」と説教された。

 

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2009.12.16

花盛り?

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わが家の近くに新規のパチンコ屋がオープンした。
丸きりの山を切り拓いて造成した土地に、典型的なパチンコ店のスタイルで建てた、文字通りの新規オープン店である。
今日がオープニングであった。

パチンコ屋事情に詳しくないので何とも言えないが、とにかく駐車場一杯、店内一杯であった。
内部に入ってみたが、遊んでいる人の3割以上が足元に獲得した玉を3箱も4箱も置いていた。
なるほど、そういうマーケッテイングであるか。

パチンコ屋に入ったのは20-30年ぶりか。
私は触りたくないから玉は買わない。無料のコーヒーを飲んだ。

玄関前の花輪、これも花盛りの写真の1つであろうかと撮影した。後ろの山の稜線がいかにも伊豆高原である。

 

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2009.12.15

政治利用

中国高官と天皇の会見について、政治利用であるとかないとか議論が起きている。

私は政治利用に賛成である。

天皇を別格に奉り、ひいては神格化に至るのはやめてもらいたい。
そういうところに変な虫が付いたらどうするのか。
中には後醍醐天皇みたいなのが現れぬとも限らぬ。

トップが凡くらであれ腹黒であれ、政府は一応国民に開かれている。
その政府が利用するように決めてある方がよい。

 

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2009.12.14

煤逃げ

<煤逃げ>という季語がある。

大掃除や煤払いなど師走の忙しい仕事を奥方に押し付けて、亭主が句会に出かけたり釣りに行ったりすることをいう。

煤払いの間、老人や病人をどこか別の場所に避難させることもいうらしい。

内憂外患、鳩山首相は心底<煤逃げ>したい気分であろうなあ。

どこに逃げるか。私の推薦はロシヤの宇宙船である。

 

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2009.12.09

隣りのネーブル

うちの斜向かいの別荘にネーブルの樹がある。
持ち主は滅多に来ないし、とってもいいと言われているので毎年美味しく頂いていた。
ところが一昨年くらいから、増えた台湾リスがこの味を覚えて食べるようになった。
樹の上で、どんどん中味を食い尽くす。皮だけが黄色く残る。
なくなっては堪らないと、まだちょっと早いのだが少し取り込んだ。

あーあ。正月過ぎればもっとずっと甘く旨くなるのに。
でも旨いよ。

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2009.11.30

事業仕分け

自分が行っている事業の、事業仕分けをしようと思い立った。
と言っても金を使っている事業は無く、対象はもっぱら時間とエネルギー資源である。

しかしどうもまだ削るべき事業がない。
もっと深化させるべき事業はあるが、自身のエネルギーや脳力の枯渇から現状維持がやっとであることは判った。

それで思いは、今後の限られた時間とエネルギーの中で、まだやっていないがやってみたい事業の仕分けに入った。
正直言ってたいしたことは出て来ない。
恥ずかしいから書かない。

 

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2009.11.20

胸にバラの花を挿して

胸にバラを挿して歩いていて、ふと次のフレーズが口をついた。

  丹花を咥えて巷を往けば、畢竟惧れはあらじ

岡本かの子のどこかにあった。

私が岡本かの子を読んだのは大学1,2年当時である。膨大な短歌を除いて殆ど全作品を耽読した。
渋谷宮益坂にたしか<麦書房>という古本屋があり、そこで「鶴は病みき」「老妓抄」「生々流転」の初版本を見付けた時は驚喜したものだ。
「生々流転」の書き出し、<遁れて都を出ました>の一節に痺れた。
かの子の生家大貫家が二子新地にあったというので目蒲線緑ヶ丘のわが家から自転車で何度か探索に行った。田園風景の中、雅びなサイクルージングであった。

その後ドイツ語の講読でニーチェ「ツアラツストラ」のトバ口を読み、<人間は克服さるべきあるものである>としてわが文学趣味を克服したのだった。
アルスツアラツストラドライツイッヒヤーレアルトバル、フェアリースエルザイネハイマート・・・
アッハ。思い出すなあ。
本格的にヨットに乗るのはそれからである。

”丹花”といえば赤い花である。何の花だろう?
かの子といえば牡丹だが、口に咥えて歩く花ではない。トゲのあるバラでもない。
ハイビスカスか。コウショッキか。

いま、わが胸に赤いバラを挿して歩く。
老いの歩みの、いささかでも軽くなろうというものだ。

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2009.11.19

バラのブローチ

先日静岡の目抜き通り呉服町を歩いていて小さなギャラリーに「花に魅せられて-布花展・山下洋子」の看板を見つけて入った。

なかなか素敵な展示だった。

ちょっと壁掛けをと思ったが6万円だったのでやめて、小さなバラのブローチを買った。
作者が手づから胸に付けてくれた。
きれいな人だった。

当分はずさないぞ。

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Aaa


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2009.11.11

森繁久弥とメイキッス号とふじやま丸と佐島マリーナ

森繁久弥が亡くなった。
大きな役者だった。

TVでいろんな人が思い出を語り、業績を偲んでいるが、彼と海との関わりが全然出て来ないのが淋しい。

これから書くことは私のうろ覚えの記憶なので間違いもあると思うが、書いておきたい。
森繁が最初に船を持ったのは「メイキッス号」である。1959年に石原慎太郎に紹介された「天山」という35フィートのヨットが気に入って譲り受けたものという。
そして1964年に白崎謙太郎設計により73フィートの鋼鉄製ケッチ「ふじやま丸」を建造した。
これがいかに大変なものだったか。例えば船舶法、船員法などにより船であり続けるためには専任の船長、機関長が常時必要なのであった。
台風で陸に乗り揚げる事故もあった。
このあたり「アッパさん船長」(現在中公新書にあり)に書いてあったと思うのだが、三河みとマリーナに寄贈してしまって手元にない。

病は嵩じて「ふじやま丸」を係留していた三浦半島佐島にマリーナを作ってしまった。
あれだけ規制の厳しい時代に個人でマリーナを作ったのである。苦労や思うべし。長男の森繁泉が運営にあたった。
しかしさすがに持ちきれず、日産が肩代わりした。現在の日産・佐島マリーナである。

私が出光の社員としてマリーナ建設にかかった頃(1990年前後)、日本マリーナビーチ協会の専務理事をしていた森繁泉さんに大変お世話になった。
おかげで随分海の世界の方たちと知り合うことが出来た。
ちょうどその頃「メイキッスⅢ世」(イタリア製57フィートボート)が東京湾マリーナにあり、私の「ウインディ・ホリデイⅡ号」もそこにあった。

1991年、森繁久弥は「メイキッスⅢ世」で日本一週の航海に出た。泉さんの運転である。
これが最後の海行きではなかったか。
「海よ友よ-メイキッス・日本一周航海記」が出ている。

ご冥福を祈ります

 

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