2015.07.19

ソフトバンクのチームジャパンと早福和彦

5月初め頃より微かに伝えられていたが、ソフトバンクがチームを作ってアメリカズ・カップに挑戦する計画がいよいよ動き出した。
今月末からバミューダで始まる予選に参加するという。
本戦は2017年であり、これから3年にわたる戦いが始まる。
 
ア・カップ戦は毎度使用艇を巡って熾烈な駆け引き・争いがあり、ぎりぎりまで予断を許さない.。今回は以前の20人乗りから5人乗りの小型艇に変更された。
だから日本も参戦出来るようになったのだが。
この騒動で有力艇ルナ・ロッサ(伊)は不参加を表明した。
 
ソフトバンクチームは早福和彦(ニッポンチャレンジ時代からの選手で、解散後15年も雇われクルーとして世界を回ってレーサーを続けてきた男である)を総監督に据え、あとの4人に日本人はいない。
早くもルナ・ロッサのヘルムスマンChris Draperが参加するとの話もある。
 
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思えば日本は1992、1996、2000年の3回にわたりニッポンチャレンジとして挑戦したが、予選通過すら叶わなかった。
中心となったのはSB食品の山崎達光とヤマハであった。
 
そして15年のブランクの後、ソフトバンク孫正義が名乗りを挙げたのである。
その意気やよし!
 
しかしもう1人忘れてはならない人物が居る。
ニッポンチャレンジの前にア・カップに挑戦した男が居た。名古屋の人で小林正和といった。
ヤマハのようなバックも持たず、いわば徒手空拳での名乗りであったが、伊勢湾にベースキャンプを構えて訓練を開始し天晴な覚悟を示した。
1990年頃に資力が尽きた。不動産業だったと聞く。
 
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このほどソフトバンク・チームジャパンからクルーの募集要項が発表された。
主な募集要項は、
・19歳以上~35歳未満
・健康な日本人男性
・身長180cm以上、体重85kg以上
・日常の英会話が出来る方
・体力、運動能力の優れた人 / セーリング経験不問
 
英会話能力以外はニッポンチャレンジの際の募集要項も殆ど同じでなかったか。
合格者は当面の基地を置くバミューダで訓練を受け、2名程度を正クルーにするという。
 
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追記
思い出した。
小林正和氏のチームはたしか「ベンガル・クラブ」と言った。
小林氏の営業母体は「慶屋」グループと言った。
 
そしてまた思い出した。
早福和彦ははじめベンガルチームに居たのではなかったか?
そしてベンガル解散後、ニッチャレに潜り込んだのではなかったか?
 
ベンガルからニッチャレへ、これだけでも大変な物語である。
しかし早福和彦はニッチャレ解散(2000年)から現在まで15年間、ずっと1人で世界のレース艇をクルーとして渡り歩き、レーサー人生を続けてきたのである。
それはもう壮絶な物語であったろう。
 
彼ももう50歳。
その彼を孫正義が拾った。
何が待っているか。
 
一匹狼の流れクルーとチームジャパンの総監督では仕事が違う。
経験や努力で身に付く能力ではない。彼にその天賦があるか?
 
早福和彦、何処へ行く?
健闘を祈ろう。
 
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2014.09.03

SUPは流行りそう

地元紙に御前崎のサーファー永松良章さんがSUP(スタンドアップ・パドルボード)の世界選手権で優勝したとの記事が出ていた。
ハワイのモロカイ島からオアフ島53kmを5時間半で渡ったという。
 
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私はSUPを知らなかった。
調べてみて、サーフボードの上に立ってパドルで漕ぐアクテイビテイであることを知った。
サーフボードは大波の上で素足でボードに立つ。難しい。
ウインドサーフィンはボードにマストとセールを立てて風で走る。やはり難しい。
SUPは長いパドルを持ってボードに立って漕ぐ。これは易しそうだ! 30年前の私ならすぐにやるだろう。
 
それにしてもボードは局所的な遊びと思っていたが、50kmも動くとは、違うジャンルのスポーツとなる。
 
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HawaiiのSUPで検索すると、JTBのオプショナルツアーがあった。半日で110$である。
 
ついで国内を見ると逗子や葉山のサーフショップが2,3年前からSUPの講習を始めていた。
半日で6500円である。どうやら半日でなんとかマスターできるもののようだ。
 
年寄りは感度が鈍いね、今頃知るとは。
 
 
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さらに探していて、永松氏が江の島から伊豆大島に渡った記事を見付けた。64kmである。
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疲れたらボードに座って休憩する
 

2014.08.27

VOC志摩とパールレース

1826

アルバムを繰っていて、開業当初のVOC志摩ヨットハーバーの写真を見付けました。

VOC会員募集のパンフの写真です。(1974

この桟橋とビーチハウス、そして丘の上のクラブハウスだけの施設でした。

私はこの時、会員になったのです。

この時代のVOCこそ我が聖地です。

1974shimayachtharber2h

クラブ艇の「天城」をチャーターして関東、関西まで乗り回したものです。

これは1975年の鳥羽パールレースの写真です。

当時は鳥羽湾から油壺のレースでした。鳥羽湾に繋いだブラジル丸の船上で前夜祭をやりました。

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いま、パールレースは五カ所湾-江の島に変わりました。

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2014.01.16

北極海航路?5

昨年のクリスマスの日、ロシヤの調査船「アカデミック・ショカリスキー」号が南極海で氷に閉じ込められ立ち往生した。
 
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近くにいた中国の砕氷船「雪龍」号が救援に向い、搭載のヘリで「ア・・・」号の乗員52名をオーストラリアの砕氷船に運んだ。
 
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ところが「雪龍」号も氷に閉じ込められ動けなくなった。
 
埋め込み画像 2「雪龍」号
 
 
年開けて10日過ぎ、アメリカの砕氷船「ポーラー・スター」号が両船を救出した。
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めでたしめでたし。
 
 

2014.01.03

北極海航路-4

北極海航路の話にエピソードを1つ入れよう。
 
~~~怪男児・郡司大尉~~~~~~~~~
退役海軍大尉郡司成忠は北千島が放置され土民の密漁のままになっていることを憂い、国土・資源・権益の確保を目的として「報效義会」を設立、海軍関係者を中心として数百名の会員を集めた。しかし資金が集まらず、なんと手漕ぎボートで千島入植を目指すこととした。
この時期、サンクトペテルブルグ条約(1875)により千島全体が日本領となっていたが、政府に千島経営の余裕は無かった。
明治26年(1893)、38名の志願者が5隻の海軍払い下げの短艇(9m)に分乗して盛大な見送りの中、隅田川言問橋を出発した。
しかし八戸を出航した夜に嵐になりボート2隻と19名を失った。
なんとか船便を得て千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)に着いたが、最初の年、および次年の越冬で15名が死亡した。
明治29年(1896)、家族連れを含め56名の第2次入植隊が出発した。海も畑も豊かで、缶詰工場を建てたり、人口も増え結婚や出産があるなど入植地の経営は順調に進んだ。
 
 
明治37年(1904)、日露戦争が始まる。郡司は20名ほどで義勇隊を組織し、カムチャッカに進攻?した。あえなくソ連軍の捕虜となり、戦後捕虜交換で帰国した。この時郡司はカムチャッカに「日本国」の石柱を立て、現在ハバロフスクの博物館にあるという。
 
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←の先が占守島である。
 
郡司大尉は幸田露伴の次兄である。つまり幸田あやの伯父である。
 
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現在占守島に残る「志士の碑」 郡司成忠建立
1990年 阿部幹雄(フォーカス誌記者)撮影 
 
 
~~~世界島~~~~~~~~~
ところで諸兄は「世界島」という言葉もしくは概念をご存じだろうか。
 
「世界島 World Island 」とはアフロ・ユーラシア大陸、つまりユーラシア大陸とアフリカ大陸を一緒にした大陸で、イギリスや日本など周辺の島を除いたものという。
地政学の開祖ハルフォード・マッキンダー(英 1861-1947)の命名という。
南北米大陸の2倍の面積である。
 
マッキンダーはこの概念からドイツやロシヤの陸上勢力と英国の海上勢力を論じたらしい。
 
ふむふむ。
 
~~~世界島一周ヨットレース~~~~~~~~~
私はまず「世界島一周ヨットレース」を提唱したい。
 
ああ。
考えることは山ほどあるぞ。
 
出発地はどこにするか。いずれにしろ北極海は先に済ませたい。
時計回りか、反時計回りか。
反時計回りの場合、日本列島は除かれているのだからやはり中国のどこかか。そして宗谷海峡を抜けてベーリング海峡だろう。北極海はバレンツ海のどこを抜けてドーバー海峡か。そしてヴェルデ諸島の内側を通ってケープタウン。マダガスカルを無視するかどうするか。そしてマラッカ海峡。きりは無いね。
 
「世界島一周ヨットレース・実行委員会」のメンバーは世界島構成国以外の島国とする。
 
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正月から忙しいことである。
 
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樺太生まれの 森下一義

2014.01.02

北極海航路-3

~~~北極海航路のメリット~~~~~~~~~
発地および着地によって条件は変わるが、いずれにしろ北大西洋から太平洋に出るベーリング海峡経由の北極海航路のメリットは大きい。特に極東地域へのメリットが大きい。
・距離、時間、燃費   日本の場合距離は3分の2になる。
・スエズ運河、ソマリア海通過の政治的リスクを避けられる。
・ソマリア海、マラッカ海峡の海賊を避けられる。
・北極海の資源(LNG、石油、その他)開発
 
開発による環境変化、グリーンランドの独立?(現在はデンマークの属領)、ロシヤの権益要求(先年ロシヤは氷原下の北極点にチタン製のロシヤ国旗を埋めた、通航にロシヤの砕氷船同行を義務付けている・・・)、ベーリング海峡の水深等、多くの問題もある。
 
~~~日本の立地~~~~~~~~~
極東の立場で北極海航路を見てみよう。
 
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赤丸で港を記している。上海、釜山、苫小牧である。
黄丸で海峡を記している。津軽海峡、宗谷海峡、ベーリング海峡である。
▲はわが生誕地ユジノサハリンスク(樺太-豊原市)である。
 
ご覧のように上海、釜山からベーリング海峡を目指すには必ず津軽海峡か宗谷海峡を通らなければならない。必ずである。
勿論どちらも国際海峡として航行の自由は国際的に保証されているのだが、何となく気分がいいではないか。
それに宗谷海峡には宗谷大橋の建設が長年議論されている。是非実現したい。
 
次に苫小牧である。何故苫小牧であるか。
苫小牧港を北極海とアジアの間のハブ港と位置付ける。釜山の位置を奪う。
 
北極海を航行する船は砕氷船が同行するとしてもそれ自体が耐氷性能を持つアイス・クラス1Aでなければならない。それだけコストが嵩むのである。
そんな船で長く走ることはない。苫小牧で普通の船に積み替えればよい。
苫小牧が北に対するアジアの中心になるのである。横浜や神戸ではない。
 
 
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樺太生まれの 森下一義

2013.12.31

北極海航路-2

ヨーロッパから北極海に入り、ロシア・シベリア海岸からベーリング海峡を抜けて太平洋に出る航路を北東航路と云った。
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北極点中心図

初めて船で北東航路を抜けたのは1879年スエーデンのノルデンショルド率いるヴェガ号(43m、350t、捕鯨船改造の蒸気船)であった。
ヴェガ号はその後横浜に入港し、神戸、長崎に寄ってシンガポール、スエズ運河を経てストックホルムに帰港した。ヴェガ号の成功は横浜から世界に発信された。
神戸滞在中乗員は京都、琵琶湖に遊んだという。当時の日本人はヴェガ号をどのように見たのであろうか。
ちなみに西南戦争(1877年)の2年後である。スエズ開通が1969年、1873年に岩倉使節団一行がスエズを通過している。
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ヴェガ号 350t
 
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北極海は殆ど氷結している海であり、1930年代からはソ連の砕氷船で辛うじて通航を果たしていたがソ連崩壊後はその配置も失われつつあった。
 
しかし近年の地球温暖化により年間4ヵ月程度は通航可能となり、いずれ通年通航可能になるのではないかと言われている。
そのため本格的な航路設定が進められつつある。
名前も「北東航路」から「北極海航路」(NSR Northern Sea Route)と変わった。
 
2009年に商用船が初めてベーリング海峡を通過し、今年は100隻近くになるという。
わが国には昨年LNG船がNSR経由で到着し、今年はナフサのタンカーが入っている。
今年8月、大連からロッテルダム向けの鋼材を積んだ中国船が出航した。
10月にはロシヤからナフサタンカーが韓国に到着した。
 
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一瞥してわが国に対する北極海航路の優位は明らかであるが、他にも多くの利点がある。-次回
 
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樺太生まれの 森下一義

2013.12.30

北極海航路1

このところ北極海航路に凝っている。
 
以前は北極海の航路として北東航路と北西航路の2つが言われた。
北東航路はスカンジナビアからロシア・シベリア海岸をベーリング海峡に進む航路である。
北西航路は欧州・北米からデービス海峡を経て多島海抜けベーリング海峡に至る航路である。
 
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このうち北西航路は年間で数ケ月間解氷する期間があり欧州・米国に近いこともあって18世紀以降航路開発の試みが多くなされた。
最初に大西洋から太平洋に船で抜けたのはロアール・アムンゼン(ノルウエイ)である。1903-1906年のことであった。彼は北極点到達を目指していたが1909年ロバート・ピアリー(米)に先を越されたことを知り、一転1911年12月南極点に初到達した。
なお1979-1982年に日本の堀江謙一が1本マストのヨット「マーメイド号」で日本-ハワイ-ホーン岬-デービス海峡-ベーリング海峡-ハワイの、南北米大陸一周航海を成し遂げている。偉業である。
 
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この図は北米大陸のみである。堀江は更に南米大陸を回った。
 
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森下一義 a sailor and a gardener

2013.11.29

堤清二の死

堤清二が死んで提灯記事がボソボソと灯る。
 
私はこの男が大嫌いだ。
 
バブル期、この男は「西洋環境開発」なる会社を作り海辺の土地利権を狙った。
節操の無い大会社が小汚い有象無象を出向社員として送り込んだ。
頭は郵船からの成り下がりだったか。
活動の一環としてシーボニア、葉山マリーナ、逗子マリーナの株を買い占め、わが国海洋文化の伝統を破壊してしまった。
その元凶が堤清二だった。
 
当時私は直にこの連中と接する立場にあり、その都度胸糞が悪くなるのであった。
 
私は堤清二を許さない。
 

2013.11.04

江の島で拾い事故

本日は江の島ヨットハーバーで28Fヨットのサーベイでありました。
 
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サウンデイングする黒潮丸君
 
 
良い艇で、順調に進んでいたのですが、海上運転でハーバーから10分出たところでプロペラの回転がストンと落ちました。
近くに小さな発泡スチロールのブイがあり、浮きロープを曳いて流れていたらしいのです。
それを拾ってペラに絡ませた。
舵を握っていたのは勿論オーナーです。
 
折しも近くに定置網の大きなブイがあったので、ジブを出してなんとかそのブイに縋り付き、ハーバーのレスキュー艇を呼びました。
レスキュー艇は20分で到着、網があるからと保安庁も呼び、漁協の船も呼びました。
 
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左から ハーバーのレスキュー艇 漁協の船 保安庁  一目3隻、すごい凄い
 
漁協は自分のブイでないと見極めたのか喚くこともありませんでした。
結局海上で1時間半、ハーバーに戻って1時間のロスタイムでした。
日本のマリンスポーツの中心点でのトラブルだから、この時間で済みました。
私が長らく遊んでいた駿河湾、三河湾、熊野灘だったら、レスキュー艇が来るまでに半日でしょう。
 
我々の艇が被害者である事件ですから、これからさてどうなるか。
レスキュー艇の出動費用の請求だけで済むと思いますが、サーベヤーの私はそこまでタッチしません。
 
 

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