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2018.12.15

武田陽信と小林正和

昨夜名古屋のFさんという人から電話があった。いきなり、
「武田さんのお墓に詣ってきました」と言う。何のことやら?
 
武田陽信という男がいた。
この男、勅使河原蒼風が草月流の跡目と定めた愛娘勅使河原霞を攫った男である。
霞24才、その美貌と立場から当時天下一の女性であった。対する武田は34才、妻と2人の子供がいる商社マンであった。霞はこの男にのぼせ、「私は草月を捨てます」と言って奔った。
天下の大事件であった。昭和31(1956)年のことである。
数年後武田はシドニーホバートヨットレースに参加する。吠える40度線と呼ばれる海域を走る過酷なレースとして知られる。武田は日本人として初めて海外の大レースにチャレンジした男であった。60数艇中34位の成績であったという。
 
小林正和という男がいる。
1985年頃、英虞湾内に基地を構え「ベンガルベイヨットクラブ」としてアメリカズカップへの挑戦を表明した。そのオーナーが小林正和であった。名古屋のビル賃貸業者であったという。
資金が尽きたか、1990年には撤退する。しかし私は敢えて最初に孤軍旗を揚げた小林の意気を壮とする
SB食品の山崎達光もア・カップ挑戦に名乗りを上げ、こちらにはヤマハがバックに付き殆どナショナルチームとして1992,1996,2000と3回の挑戦を行うが予選通過にも至らず敗退した。山崎も好し!
 
昨夜電話してきたFさんはこのベンガルベイヨットクラブの流れを汲む人であった。ベンガルチームの若手のクルーであったようだ。
そして私はそれを知らなかったが武田陽信がベンガルチームのプレイイングディレクターを務めていたという。
 
私が書いた武田陽信や小林正和の記事が検索するとよく出るので私が彼らと親しかったと思い墓参を報告してきたのだ。この2人を記憶する人はもう少ない。
もって瞑すべし。
 
黒潮丸未だ世に在り。

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Comments

黒潮丸通信を拝見いたしまして、初めてメール致します。
私は、角俊彦(スミトシヒコ)と申します。以下自己紹介を致します。
1、居住地 神奈川県相模原市磯部(相模川は近くにありますが海はありません。)
2、生まれ 福岡市(熱しやすく飽きっぽく、博多人特有の性質があります)
3、年齢   67歳(まだ鼻たれ小僧です。)
4、職業   無職(このように書くと何かプー太郎みたいで少々抵抗があります。しかしながら
            今は縁があって近隣小学校で理科実験のお手伝いをしております。本当は
            理科は、大の苦手で子供たちに偽先生と言われております。)
5、夢    世界のゴルフ場(最南端、最北端、最高峰、最深度<プレー済>)のプレー制覇の
        妄想を持っています。
6、Contact理由 以下3点です。
①小林正和氏と言う人物に関心を持ち、検索している内に貴サイトを拝見しました。その後、通信欄を拝読したところ、今の日本に失われようとしているチャレンジ精神、自己責任原則などの精神が縷々書かれているところに深く共感したためです。
②以前勤務していた会社の保養所が伊豆高原の八幡野にあり、そこを起点に中伊豆GC,伊東CC,天城高原GCなどをよく利用していたためです。
③福岡の友人が、ヨットを所有しており(ヨット歴40年という事です。九州のレースには以前は出ていたそうです。友人は飲む事が目的で共同購入者は競技志向との事です。)、初めて乗せてもらった経験があるもので。
以上です。宜しくお願い致します。

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