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2018.12.31

今年の辞世

以前、辞世は毎年作るべきと書いたことがある。
 
毎年とはいかないが今年の辞世を作った。
<舟を捨て庭捨てて次何捨てる> 2018/12 黒潮丸
 
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<波の背を割きて進みしわが帆舟(ほぶね)>  2016/7
​<年々に恥かくことの多くしていよよ近付く彼岸なりけり> 2012​/12
 
 
Voyagetonextage
 

2018.12.28

熱海図書館

熱海図書館に行ってカードを作ってもらった。
来宮駅から歩ける場所にある。
 
伊東図書館に似て古くて狭い図書館だが、それでも図書館は図書館だ。今後大いに利用させてもらおう。
似ているようで伊東とは微妙に違う点もある。
・開架展示の書籍が多い  各作家の展示作品が伊東の倍くらいある。書庫が小さいのか?
・本が傷んでいないと思った  利用者が少ない?
・学生の席が別の階にある
 
初めて借りたのは早坂暁「花へんろ風信帖」である。
実は先信の武田陽信と勅使河原霞のスキャンダルは早坂暁の「華日記」で知ったことだった。
シドニーホバートレースについてはNORCの記録や古い舵誌に当たったが、華道界のことは全面的に早坂の記述に頼った。
それで早坂の随筆集に関心を持ったのである。
 
しかし「風信帖」の名は頂けない。
181227fuushinchou
「風信帖」  空海
 

2018.12.24

船出

・衣類  ゴミ袋に入れてどんどん廃棄した。
・布団  孫たちが冬に来てもいいだけ揃えてあったが全部お払い屋に渡した
・食器  お払い屋に処分してもらった。
・書籍  4分の1を残し、半分を中古書店に送り、4分の1を廃棄した。
・家具  3分の1を運び、3分の1を残し、3分の1を廃棄した。
 
アルバムは写真に撮る予定であったが戦争が始まるとその余裕が無くなり、15%程度しか撮れなかった。
その中に下の写真があった。
960330-mmmarina-farewell3-1.jpg
 
960330-mmmarina-farewell2-1.jpg
 
これは出光を定年退社するにあたり、我が手作りのマリーナからマイボートに乗って船出するところである。
前途に希望があった。
この当時はすぐに年金を満額もらえたこともあり、一刻も早く会社を離れたかったものだ。
 
いま熱海に来てからの写真を探したがこれしか無い。
181213-nakaginminaguchi-front.PNG
 
これでは駄目だ。正月に孫たちが来るからもっとちゃんとした写真を撮ってもらおう
 
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取りあえず予定している活動
1.小原流生け花
  教場が起雲閣というのが素晴らしい。
2.site「終活曼荼羅」の運営
  終活ばやりでいろんな終活項目が唱えられている。それを曼陀羅図にしてサイトを作りたい。
 
hyoushi.jpg
このような終活項目が20余りありそれだけの仏様が並ぶ。
まだまだアイデア段階でコンテンツはこれからだが、その初っ端のページ「曼陀羅図」がうまく作れない。
HTMLは表のサイズを固定してくれないのだ。WordPressにいいテンプレートがあるが、WordPressに何度挑戦してもうまくいかない。
果たして完成させられるかどうか自信が無いが、とにかくやってみよう。
 
ともあれ新生活の船出である。

2018.12.15

武田陽信と小林正和

昨夜名古屋のFさんという人から電話があった。いきなり、
「武田さんのお墓に詣ってきました」と言う。何のことやら?
 
武田陽信という男がいた。
この男、勅使河原蒼風が草月流の跡目と定めた愛娘勅使河原霞を攫った男である。
霞24才、その美貌と立場から当時天下一の女性であった。対する武田は34才、妻と2人の子供がいる商社マンであった。霞はこの男にのぼせ、「私は草月を捨てます」と言って奔った。
天下の大事件であった。昭和31(1956)年のことである。
数年後武田はシドニーホバートヨットレースに参加する。吠える40度線と呼ばれる海域を走る過酷なレースとして知られる。武田は日本人として初めて海外の大レースにチャレンジした男であった。60数艇中34位の成績であったという。
 
小林正和という男がいる。
1985年頃、英虞湾内に基地を構え「ベンガルベイヨットクラブ」としてアメリカズカップへの挑戦を表明した。そのオーナーが小林正和であった。名古屋のビル賃貸業者であったという。
資金が尽きたか、1990年には撤退する。しかし私は敢えて最初に孤軍旗を揚げた小林の意気を壮とする
SB食品の山崎達光もア・カップ挑戦に名乗りを上げ、こちらにはヤマハがバックに付き殆どナショナルチームとして1992,1996,2000と3回の挑戦を行うが予選通過にも至らず敗退した。山崎も好し!
 
昨夜電話してきたFさんはこのベンガルベイヨットクラブの流れを汲む人であった。ベンガルチームの若手のクルーであったようだ。
そして私はそれを知らなかったが武田陽信がベンガルチームのプレイイングディレクターを務めていたという。
 
私が書いた武田陽信や小林正和の記事が検索するとよく出るので私が彼らと親しかったと思い墓参を報告してきたのだ。この2人を記憶する人はもう少ない。
もって瞑すべし。
 
黒潮丸未だ世に在り。

2018.12.02

引越物語-刺繍のもの

断捨離の精神は捨てたものの、引越しの荷物整理は悲しい。
 
2階の押入れの天袋の奥からこんなものが出てきた。
 
181202shishuuzabuton2
 
181202shishuuzabuton4
 
妻が私の還暦祝いに作ってくれた赤い座布団である。自分の刺繍を松坂屋で仕立てさせてくれた。
一度も使ったことがない。
さすがに捨てるに忍びず移転の荷物に含めたが、果たして置く場所があるか?
戸塚きく先生について戸塚刺繍をやっていた。刺繍の糸をボストンバッグ2つ、用布を洋服箱2つ、廃棄した。
額は4枚残した。
 
181202shishuugaku
 
琥珀磨きの一式は大きな箱に入れて見も知らぬ人に呉れてしまった。

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