« September 2018 | Main | November 2018 »

2018.10.31

南瓜

 外つ国の南瓜は笑う十月尽    西川*
 
161031-NishikawaHIrosi-kabocha.jpg
 
一昨年10月にFacebookで見かけた句である。名句だと思う。
西川*氏は俳人ではない。IT技術者で書を嗜む。
 
  馬鹿面を南瓜で隠す十月尽    黒潮丸
 
161030-kate-2daughters.jpg
わが英国の孫娘
 

2018.10.29

ジュリアナTOKYO

ダンスついでに一題。
 
私がマリーナ建設に打込んでいた1991年11月、丸の内の出光本社に日商岩井レジャー産業部の面々が訪ねて来た。
なんと著名なセーラーでヨットデザイナーでマリーナのデザインも手掛けているロン・ホランドを帯同していた。
ヨット乗りの私はその盛名のご本人を前にして、ただただ恐れ入るばかりだった。
 
181029-Ron-Holland-namecard-911125.JPG
 
181029-Ron-Holland.jpg
 
用件は当時計画中だった出光三河みとマリーナにロンのデザインを使ってくれとの提案であった。
そして1週間後には本国の事務所に描かせたラフを送らせて持参した。
 
181029-ronholland-rough-MMMarina.jpg
 
そして日商岩井は当時流行りの盛りにあったジュリアナTOKYOのボックスシートに私を招待したのだった。
毎夜数千人が押し掛け、入場すら難しいと言われていたジュリアナTOKYOであった。
 
181027-OriguchiMasahiro-Juliana.jpg
 
結局この提案は既に計画が進行していたため採用に至らなかった。
 
~~~~~~~~~~~~
ジュリアナと言えば折口雅博である。
日商岩井の社員からジュリアナの成功を土台に、グッドウイル(人材サービス)、コムスン(介護サービス)などを手掛け遂に経団連の理事にまで上り詰める。
 
そして現在はトランプタワーに事務所を構え、投資ファンドで成功しているという。
 
181027-OriguchiMasahiro.jpg
 
人間が違うな。

2018.10.27

ミスインターナショナル

今年のミスインターナショナル日本代表・岡田朋峰(ともみ)嬢20才である。
 
181026-okadatomomi-misinterntional.PNG
 
この顔貌と名前から某俳優を思い浮かべるのは相当な年寄りであろう。
 
そう、これは二枚目俳優岡田真澄の娘である。
岡田63才の時の子供という!
 
~~~~~~~~~~~~
私は若かりし岡田真澄と話をしたことがある。
 

私は一橋文芸部の大和田政也に頼まれて「一橋文芸」発行の資金作りを手伝っていた。
資金作りとはダンスパーテイの開催である。
会場を借り、バンドを頼んで、女子大生にチケットを売る。そして利益を出す。
どうしてか私にはそのノウハウがあった。
 

石原慎太郎が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」が「文学界」の新人賞を獲った。
そこで一橋文芸部は「石原慎太郎・文学界新人賞受賞記念」と銘打ってパーテイを開き、一稼ぎを企んだ。
名前を使うからには石原先輩に挨拶しておかねばならぬ。私がその使者にたった。
「先輩をダシにしてパーテイをやらせてもらいます。」と言ったら、「ダシにするとは何事だ。」と頭から叱られた。
そういう物言いをする人であった。

 


この新人賞をきっかけとして「太陽の季節」の芥川賞につながる。

 


当日の会場は阿佐ヶ谷会館であった。
開場してしばらくして2人の青年が現れた。折り目正しく幹事の私に挨拶した。
石原慎太郎は来なかったが、代わりに弟の石原裕次郎と岡田真澄を差し向けたのであった。慎太郎なりの配慮でありサービスであった。
私も誰も一橋生は誰も2人の青年を知らなかった。まだブーム点火直前の彼らであった。
しかし2人が現れるやあたりは騒然となった。女子大生たちは彼らがなんたるかをすでに知っていたのだ。
確かに2人にはオーラがあった。いや物凄い熱気だった。
60年たった今も忘れない。

 



181027-yujiro-masumi.PNG
 
石原裕次郎と岡田真澄の挨拶を受けた  黒潮丸
 

2018.10.22

ネット3題

最近面白いと思ったネット3題
 
1.細断
英国の絵画オークションで1億5千万円で落札された絵が、作者の意図により自動的に細断された事件は記憶に新しい。
 
うどん県香川県で或る作家がうどんをぶら下げた作品を作った。
高額な買い手も現れたそうだが、猫が食べてしまったそうである。
 
181022udon
 
2.街灯
中国四川省成都市は2020年までに照明用の衛星を打ち上げ、街灯の代わりに地上を照らして電気代を節約する計画だそうである。
照明衛星は月とともに輝き、月より8倍明るいという。
50平方キロの範囲がカバーされ、電気代200億円が節約されるという。
うまくいけば2022年に追加で3機を打ち上げるそうだ。
地方自治体が考えて実行するところが素晴らしい。 
 
181022lightmoon
 
 
3.鬼手
将棋竜王戦ランキング戦5組決勝で藤井聡太7段が絶妙な一手で勝利をおさめた。
 
18102277fu
 
図は先手が後手藤井七段の飛車の前に7七歩と打ったところである。
万人が万人飛車が避けると考える。ところが藤井は7七飛と歩をとった。
瞬間あたりは静まり返ったという。AI将棋ソフトはフリーズ、もしくは暴走したという。
将来この一手は「将棋ソフトを殺した手」として記憶されるであろう。
 
しかも藤井はこの形になることを十数手前から予期していたという。
 
私なら角をとる  黒潮丸

2018.10.11

豊洲市場

今日豊洲市場の開場だという。
まずは芽出度い。
 
9211kotooilterminaltoyosugastank_00
 
この写真は1992年11月の撮影である。
私が立っているのは出光江東油槽所の岸壁である。ヨットは我が愛艇「ウインデイ・ホリデイⅡ」号。
 
対岸は東京ガス豊洲工場、既に上物は撤去されている。
ここが汚染土を除染して?豊洲市場となった。
 
出光用地は有明の森につながっていく。
 
 
9211kotooilterminaltoyosugastank__2
黒潮丸、57才。

2018.10.09

「惜櫟荘だより」

作家佐伯泰英に随筆「惜櫟荘だより」がある。
 
佐伯泰英は「居眠り磐音江戸草紙」シリーズなどで知られる時代小説作家である。
出版不況の折から時代小説の出版もままならない中で、毎月<書下ろし時代小説>を文庫本で発行するジャンルを開発し、ベストセラーを連発している。
もともと文庫は単行本として世評が確立したものをアーカイブとして収めるものであった。書下ろし時代小説は文庫本に最もそぐわない。
だから佐伯は自らを卑下して月刊文庫家と自称する。
 
 
181008saekiyasuhide
~~~惜櫟荘の修復~~~~~~~~~
その佐伯が仕事場として2003年に熱海に別荘を購入した。1930年代に開発された伊豆山の別荘地である。
眼の前の相模灘の眺めや豊かな自然に充分満足していたが、ある時隣りの岩波家の別荘が売りに出されると聞いた。
初めて行ってみるとそれは素晴らしい建物であった。1941年岩波茂雄が吉田五十八と組んで建てた近代数寄屋の名建築「惜櫟荘」であった。
 
181007sekirekisou
 
これを壊してはならない、と佐伯は「惜櫟荘」を入手し完全修復を志す。
解体し、すべての部材を保存して復元する。東大寺ばりの修復工事であった。
その過程を毎月岩波の広報誌「図書」に連載したのが「惜礫荘だより」である。
2014年、日本建築学会文化賞を受賞した。
 
~~~中銀ライフケアマンション第三伊豆山~~~~~~~~~
熱海に老人ホームを探す中で、「中銀ライフケアマンション第三伊豆山」に行き当たった。
「中銀ライフケア マンション」は老人ホームではなく分譲マンションであるが介護機能を持っている。熱海に10ヵ所ほど展開している。
その中の「第三伊豆山」に着目して訪ねたのだが、これがまた最高の立地と施設であった。
眺望は真鶴半島から錦ヶ浦まで殆ど170度ひらけ、エントランスやロビー、食堂は一流ホテルの如くである。
そこの最高の1室はさすがに高い値段を付けていたが、「300万ほど下がらないか」と言ったら「検討する」との返事だった。
 
慌てましたね。
よくよく考えたらこれからの老残の姿をあのロビーや食堂に毎日運ぶのはどんなに気疲れすることだろう。
結局断った。
 
第三伊豆山と惜櫟荘は直近の場所であった。
 
~~~~~~~~~~~~
相模灘に黒潮は流れない  黒潮丸
 

2018.10.03

老々介護―クレカの暗証番号

~~~9月30日~~~~~~~~~
仔細あって小樽港から伊豆高原に帰ることになった。
千歳空港に着いたのが12時前、既に関空あたり向けは欠航になっている。鉄道も計画運休とやら。
 
ANAの自動発券機に並んで入力してみたら羽田行き13時30分に空席があった!
これはラッキーと入力を進めていったが最後にクレジットカードの暗証番号を聞かれた。
え?
クレジットカードに暗証番号があるとは知らなかった。それを入力しないと購入出来ない。その機械は現金では買えない。
そもそも暗証番号とは何ぞや?
 
仕方なく発券窓口に並んだが長蛇の列である。
1時間半立ちんぼで並んでやっと順番が来た時にはもう30日の切符は無く、翌1日の8時半の切符となった。
 
ホテルをとらねばならない。
千歳ステーションホテルというのに電話したら喫煙ルームならあるという。
難色を示したらシングルの最後の1部屋ですよというので仕方なくそれをとった。
悲惨であった。
 
~~~10月1日~~~~~~~~~
早起きして7時前に空港に着いた。
それで11時30分発を確保した。
 
 
千歳の空は晴れていた。羽田着13時半。
京急で品川に向かおうとしたら運休。 
結局蒲田まで戻って品川に行き、新幹線で熱海、伊豆急線で城ヶ崎海岸に着いたのが16時45分であった。
 
帰宅してすぐに我が「MY PWリスト」を見たら、ちゃんとクレジットカードの暗証番号が書いてあった。
私は暗証番号を忘れていたのではなく、クレカに暗証番号が存在すること自体を忘れていたのであった。
 
~~~総括~~~~~~~~~
ANAの自動発券機にちゃんと暗証番号を入れさえしたら30日の13時半に乗り、京急のストップも無く帰宅出来たのであろうか。
スマホで航空券を買えるようにしてあれば、1時間半も並ばずに切符を入手出来たのだろうか。
今回の私の災難は老人呆けが無ければ回避できたのだろうか。
 
私は必ずしもそうは考えていない。
並みの人の行動だったと思っている。
そして老人が人並みに動いて無事に帰宅出来たことを喜んでいる。
 
~~~~~~~~~~~~
 
老々介護シリーズは家人の意向により中断します。    黒潮丸

« September 2018 | Main | November 2018 »