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2018.06.02

ギャンブル依存症

IR法でギャンブル依存症対策のためカジノへの入場は週3日までとなっているそうな。​

私は20才代から40才代まで、長年にわたり週3日以上ギャンブルをする麻雀依存症であった。

大学入学早々手ほどきを受け、爾来50才の声を聞くまで毎週3、4回の麻雀を続けた。

もう辞めようと思った頃、どれほどの時間を費やしたかを計算したことがある。2万5千時間と出た。

午後6時から始めて(*私は営業職でデスクに座っての残業はしたことが無い)午後11時まで5時間、これを週3、4回、30年にわたり続けたのである。

相手は得意先・取引先・社内で、半分以上は営業絡みの残業と言えなくもない。

家内には全部残業と言ってあった。

私は酒席が嫌いだったから、麻雀でのお付合いはむしろ望むところだった。

昭和30~50年代には麻雀が好きな得意先が多かった。

某漁連の部長は麻雀というと本当に涎を垂らすのだった。あだ名をバイキンと言った。麻雀菌のバイキンである。

某通運の石油部長には、商談は午前中に来いと言われていた。そして注文を貰って会社に連絡し、正午から雀荘に行くのである。行かないと注文を貰えない。いつも石油会社の営業マンが何人か揃った。

某石炭会社の部長は1年に365回の麻雀をすることを心掛けていた。一流大学を出た一流会社の本社部長である。自宅に麻雀部屋があった。

しかし次第に自分より年長者は減り、得意先というより取引先や社内のメンバーが増えていった。

その頃の月締めの成績は年間で浮きが10ヶ月、沈みが2ヶ月程度だった。浮いて5、6万円(場代、飲食代を引いて)、小遣いにはなったが時給600円であることに気が付いた。

安月給取りがわずかな金を奪り合っても仕方が無いじゃないか。まず社内メンバーとの麻雀を止めた。これが依存症からの脱却の初めであった。

あとはガソリンスタンド屋さんや出光への出入り業者など。50才以降は学生時代の仲間以外と麻雀をすることは無くなった。


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麻雀以外のギャンブル。

パチンコはしない。競輪、競馬もやらない。宝くじは買わない。ゴルフの賭けはチョコレートだけ。花札やトランプはしない。将棋、囲碁は賭けない。


将棋は弱かったが転勤して大抵半年でその事業所で一番になった。

囲碁はこの15年石を握ったことが無かったが、今年になって数番する機会があった。意外に腕は落ちていなかった。2段格といったところである。ただやっていないので手筋が思い浮かばず、一々考えるので時間がかかって嫌われる。

あと勝負事では百人一首が得意である。

 

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