短歌と黒潮丸
1日1歌の本歌取りを始めて以来、 私が余程の短歌人と誤解されている向きもあるので私と短歌との関 わりを述べておこう。
私と短歌の接点は次の3点である。
1.百人一首
2.山中智恵子-雨師(うし) として祀り捨てなむみはふりに氷雨は過ぎて昭和終んぬ
3.新聞歌壇
1.百人一首
私は弟妹弟の4人兄弟だが育った当時父母を含めて家中で百人一首 を楽しんでいた。 母の実家でやっていたので父も巻き込まれたのだと思う。
毎年10月末になると正月に備えて練習に励んだものだ。
とにかくカルタ取りが目的だから歌の意味などは全く眼中に無い。 例えば<村雨の露もまだひぬ槇の葉に霧立ち上る秋の夕暮>なら< む>を読んだ途端に<きりた>を探すのである。< らさめのつゆもまだひぬ>の部分は忘れてしまう。
上の句からでも下の句からでも自在に言えた。 それで相手が探し難いように取札を並べる。
一首の鑑賞など考えたこともないが、 それでも小倉百人一首を完全に暗記していることは財産ではあろう 。
2.山中智恵子
<雨師(うし) として祀り捨てなむみはふりに氷雨は過ぎて昭和終んぬ>
昭和天皇の葬儀に詠んだ山中智恵子の昭和への挽歌である。
たまたまこの歌を初めて読んだ時心が震えた。 その衝撃はいまだ醒めない。あの服喪一辺倒の世相の中で、 これだけ明確に天皇を批判した言論があっただろうか。
天皇を古代王権のよって来たったであろう呪師・雨師の長として< 祀り捨てなむ> と詠みきった心情は昭和を生き抜いた世代の激情であろう。
もともと王とは雨師(レインメーカー)であった。呪術によって雨をもたらす力を持つ者が、 古代では即ち王であった。雨を降らす力がある間彼は王であるが、 その力が失せた時王は殺され、新たに呪力を持つ者が王となった。 呪術に基づく古代王権の名残を天皇制は引き摺っている。少なくとも昭和天皇は宗教的な力を強調された時期があった。 そうであれば、その天皇の死は雨師として祀り捨ててしまおう。 雨師の最後を飾るように氷雨が降り、昭和は終わった。 ―歌人・沢口芙美
私は万葉集とか斉藤茂吉などは読んだことが無いが、 山中智恵子との遭遇以来現代短歌のアンソロジーは時々繙く。
「現代秀歌百人一首」(馬場あき子・篠弘)、「近代秀歌」「 現代秀歌」(永田和宏) これらに出ている歌は上5句でどの歌か大体分かる。
新聞歌壇は毎週楽しみにして必ず目を通す。
投稿したことは一度も無い。
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今回いまわの際になっての百首本歌取りをやり通して冥土への手土 産にしよう。 黒潮丸
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