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2017.10.27

三養荘で芸妓踊り

伊豆長岡の三養荘で芸妓さんの踊りを観た。 ハッハッ、豪気なもんだ。
 
~~~三養荘~~~
三菱・岩崎弥太郎の長男久弥が伊豆長岡に建てた別荘である。
3千坪の庭は小川治兵衛の作とされる。
戦後昭和22年から旅館営業となったがかってのご威光から別格扱いされ、伊豆第一の格式を誇った。
 
庭に点在する大きな離れ屋が宿泊棟であった。
私は20数年前に妻と泊まったことがあるが、当時1人1泊5万円したと思う。
浴室の床の伊豆石が印象に残っている。
 
今回行ってみて、プリンス系列になっていることを知った。
料金も1人1泊25千円程度である。プリンス系列の宿泊プランに合わせたようだ。
庭を拝観しただけで部屋には入っていないので詳しくは判らないが、それ相応のレベルになっているように思われた。
庭木の剪定も、掃除も、除草も、それなりにきちんと行われているが、どこか厳しさに欠ける。
 
玄関
 
 
他で見たことが無い燈籠だ
 
 
~~~あやめ座~~~
この三養荘の大広間を使って、伊豆の国市観光協会や長岡見番が「華の宴・あやめ座」という踊りの会を企画した。今年は第2回目だそうだ。
観客は120-130人も集まっただろうか。入場料3000円。
気の置けない楽しい会であった。
 
 
 
 


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年金ではなく稼いだ金で、自分の座敷で芸妓を舞わせたい  黒潮丸
 

2017.10.21

丞相病篤かりき

わが家の老犬ロビーは16才、もう2年2カ月も悪性腫瘍で抗がん剤治療を続けており、その薬害で眼は見えず、耳は聞こえず、足は衰え、やっとこの夏を越した。
犬種はワイヤーフォックステリア、体重10kgの精悍な犬であったが、もういけない。
 
 
この2週間、ほとんど寝ている、立てないので食事は妻が手で丸めて口に入れてやる、排泄は紙おむつで受ける。
医者はもうこの状態で生かしておく意味は無いという。しかし排泄の後おむつ交換を要求して我らを呼んで吠えるのを聞くと、まだ生きたい意志を感じざるをえない。
ロビーの病篤し、命旦夕に迫る。
 
~~~丞相病篤かりき~~~
O兄の西安・敦煌旅行記、漢詩、<病篤し>ときて、<丞相病篤かりき>のリフレインが口に付いて離れなくなった。
 
星落秋風五丈原   土井晩翠
祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原、
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか。
丞相病あつかりき。
 


清渭の流れ水やせて
むせぶ非情の秋の聲、
夜は関山の風泣いて
暗に迷ふかかりがねは
令風霜の威もすごく
守る諸営の垣の外。
丞相病あつかりき。
 


帳中眠かすかにて
短檠光薄ければ
ここにも見ゆる秋の色、
銀甲堅くよろへども
見よや侍衛の面かげに
無限の愁溢るるを。
丞相病あつかりき。
 

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何時の頃覚えたものか、あとは忘れた。全篇300行を超える長詩である。
 
 
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老夫婦でやっと老犬1頭を支えている 黒潮丸
 

2017.10.15

子規と漱石の漢詩

先信で「子規は漢詩のルールを覚えられなかったから俳句に逃げたのだろう。」なんて書いて大恥を晒した。
所詮私は文墨の士ではない。
 
子規と漱石は慶応3年(明治元年)の同年生まれである。
2人は同じ下宿に暮らすほど親友であった。
 
~~~子規~~~
 
夏目漱石の伊予に之くを送る
 

去(ゆ)けよ三千里
君を送れば暮寒(ぼかん)生ず
空中に大岳(たいがく)懸かり
海の末に長瀾(ちょうらん)起こる
僻地交遊少なく
狡児(こうじ)教化難からん
清明に再会を期す
後(おく)るる莫かれ晩花の残(そこな)はるるに
 
明治29年1月、正月で帰京していた漱石が任地の松山に戻るのを子規が新橋駅に送った時の作という。
このあとすぐ子規は脊椎カリエスを発症し以来癒えることがなかった。
 
~~~漱石~~~
 
客中春に逢いて子規に寄す
 

春風 東皐(とうこう 東の丘)に遍き
門前 碧蕪新たなり
我が懷は 君子に在り
君子 嶙峋(りんじゅん 険しい山)を隔つ
嶙峋は 跋ゆ可からず
君子 空しく穆忞(ぼくびん 純粋な心)
悵望(ちょうぼう 嘆く)するも 就く可からず
碧蕪 徒らに神を傷ましむ
憶う昔 交遊の日
共に 管鮑の貧しきを許しき
斗酒 乾坤を凌ぎ
豪氣 星辰に逼る
 
松山に戻った漱石はすぐに熊本に転任になる。
これは熊本から子規に送ったもの。
 

2017.10.14

漢詩-3題

~~~王維・渭城の朝雨~~~
先日、学友O兄より「西安から敦煌まで」の旅行記をもらって感動した。
80才を超えて1800kmのバスツアーへの単独参加である。
彼は30年前に同じコースを旅した経験があるというが、それにしても何たる気力、体力であろうか。
 
途中の祁連山脈は平均高度4000m、長さ2000kmという。
 
学識経験に裏打ちされたその所見は並みの旅行記とは隔絶した深みにある。
豊富な写真が添えられているが、私の気を引いたのはこの1枚であった。
 
 
敦煌の郊外陽関に立つ王維の像である。​
なんだ、これは! 王維は友を西安(長安)の郊外渭水まで見送ってあの有名は送別の詞を作ったのではなかったのか?
王維の思いがこの石像に乗り移って陽関まで飛んで来たのか?
 
元二の安西に使いするを送る   王維
渭城の朝雨 軽塵をうるおし
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出づれば 故人無からん
 
送別の詞といえば万人が思い浮かべるこの詞を、65年前に我らに教えてくれたのは豊橋東高校の坂柳童麟先生であった。
今に脳裏に刻まれて消えることがない。遥かに師恩を憶う。
 
~~~杜甫・春望~~~
妻は10年前に乳がんの手術をうけ、その薬害であろう、めっきり髪が薄くなった。
それで今年になってウイッグを付け出した。
最近、「地髪が薄くてウイッグが留まらない」と嘆く。
 
たちまち私は杜甫の<春望>を想起した。
太平洋戦争敗戦後の我らには殊更に身に沁みた詞である。
国破れて山河あり
城春にして草木深し
・・・・・・
結句2区
白頭を掻けば更に短く
すべて簪(しん)に絶へざらんと欲す
 
~~~漢詩の作法~~~
たまたま漢詩を思い出すことが重なり、はて自分でも作ってみようかと、ちょっとだけ思った。
 
しかしその世界は予想以上に厳しい世界であった。
かって連歌に、何句目に花の句を入れろ、月の句を入れろ、恋の句を入れろとと約束事があってなんと面倒な世界かと思ったが、漢詩はそれ以上にきまりの多い世界であった。
「押韻」の言葉は知っていたがとても簡単なものではない。何万字とある漢字が必ず106個の韻目のどれかに属し、同じ韻目の中で押韻しなければならない。
「平仄」(ひょうそく)はもともと漢字の発音に由来するもので、どの字も平声(ひょうせい)、上声(じょうせい)、去声(きょせい)、入声(にゅうせい)のどれかに分類される。
漢詩を作るためには使用する字の韻目と平仄を知らねばならない。漢和辞典をひけば出ている。この確認作業を「圏発」というらしい。
 
「押韻」の規則
1.5言句では偶数句末に、7言句では初句と偶数句末に押韻する
2.押韻は「平声」30韻の中の同じ韻目に属する字で揃える
3.押韻には同じ字を使わない
4.押韻しない句末には「仄声」の字を用いる
特別ルール: ・通韻 ・冒韻 ・踏み落し
 
「平仄」のきまり
1.二四不同
2.二六対
3.一三五論ぜず
4.孤平の禁
5.下三連の禁
6.反法・粘法
7.同韻の禁
8.同字重出の禁
9.押韻には平声を用いる
10.韻を踏まない句の末字は韻字と逆の平仄にする
11.末字と5字目(5言句では3字目)の平仄不同
12.各句の頭字を同じ平仄にしない
例外.挟み平
 
老生の頭では何度読んでもこの規則を覚えられない。
 
「李白一斗詩百篇」と言われるが、李白の詩はどんなに酔っていてもこのルールを外れなかったという。
漱石も鴎外も立派な漢詩を作っているが、幼い頃からこのルールを叩き込まれたのであろう。
子規は案外このルールも連歌のルールも覚えられずに俳句に逃げたのではないか?
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漢詩作成アプリを開発してノーベル文学賞を窺う  黒潮丸
 

希望の党の公約―ベーシックインカム

希望の党(小池百合子代表)の選挙公約が発表された。その中に「ベーシックインカム」の言葉がある。
正確には「ベーシックインカムの検討を開始する」であるが。
懐かしい。
私がこのブログで「ベーシックインカム」に触れたのは2008/10であった。
~~~2008/10/24~~~
「ベーシック・インカム」とは、一定額の所得を、すべての人々に、個人ベースで、無条件に交付しようという構想である。
現在の財産や所得、過去の就労経験、将来の就労希望とは無関係に支払われる。
私はゲッツ・ヴェルナーの「ベーシックインカム―基本所得のある社会へ」(現代書館 2007/11刊)を読んで感銘を受け、「ベーシックインカムのこと」と題して次のように書いた。
1.この書でヴェルナーは、「近代工業化社会は大規模化、生産性の向上により、社会の成員のすべてに労働の場を与えることが出来なくなった。しかしそれでは資本主義社会が成立しない。職のない者にも購買力=ベーシック・インカムを与えなければならない。」という。
一見社会主義思想のように見えて、資本主義社会の維持を目的とする。この解釈でいいのかどうか?
日本国内の<グローバル化に負ける>議論とレベルが違うところである。
2.世界中でいろいろ議論されているが、決定的に<この構想は成り立たない>と証明した人はいない。
Googleで「ベーシック・インカム 議員」と検索すると幾つか出てくる。わが国会でも何度か質問されている。(2008年当時で)
しかし殆どは、「私はこんな言葉も知っていますよ」というひけらかしである。
政府の答弁も、「難しい。検討不十分。不可能。」と官僚の作文通りになっている。
そりゃそうだろう。こんなことが実現したら官僚は飯の食い上げだ。
~~~2017/6/12~~~
「隷属なき道―AIとの競争に勝つベーシックインカム」(ルトガー・ブレグマン 文芸春秋 2017/5刊)が発刊され、評判だったので読み始めた。
新たに得た知識
・1960年代、米大統領ニクソンはベーシックインカムの法案に着手し、圧倒的賛同を得て下院を通過、しかし上院で民主党の反対に遭い、数年後に廃案になった。
カナダで1970年代に世界最大規模のベーシックインカム実験「ミンカム」が行われた。実験の結果は、町では入院期間が8.5%減り、家庭内暴力も減少、メンタルヘルスの悩みも減った。
・ブラジルからインドまで、メキシコから南アフリカまで、2010年にはすでに45か国の1億1千万を超える家庭に現金が届けられている。
しかし30%ほど読んで面倒くさくなり、あとは未読で抛ってある。
~~~2017/10/6~~~
今あらためて「希望の党の公約」と聞いて、<今更なによ><新しそうな単語のひけらかしだろう>の感が強い。
官僚に忖度させて実現に結びつければ大したものだ。
一応「隷属なき道」を最後まで目を通すか。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
年金制度をやめてベーシックインカムになっては困る  黒潮丸

さくらの里の石舞台

9/29~10/1と伊東さくらの里で「クラフトの森フェスティバル」があった。
並みの露店市やフリーマーケットと違ってこの「クラフトの森」は出展に審査があって格式が高いのだそうだ。
好天に恵まれていい人出であった。
 
毎年森本先生社中で石舞台に花を活けていたのだが、先生が亡くなってこの2年は花が無く、淋しかった。
今年、花が復活したという。
楽しみにして出掛けた。
 
 
 
 
 
あたりに関係者は居らず受付で聞いたら作者は日吉鈴子先生、教室を開いて教えるのではなくホテルなどのディスプレイを仕事にしている方だという。
このすすきの穂の赤は染料を吸わせて染めたものである。
 
~~~森本先生~~~
思えば私はこの石舞台で森本香恵子先生の作品に魅せられ、中伊豆まで訪ねて弟子入りしたのであった。
それまで花は専ら植えるものであったが、初めて切って楽しむことを覚えた。
一昨年、亡くなられた。
 

2014年10月、ここでの最後の作品となった
 

​手前の緑色の花器と、奥の白い壺が森下の作品​
 
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師恩を偲ぶ  黒潮丸

カード取扱い-事始め

~~~20年前~~~
もう20年も昔、私がアメリカでマリンサーベイの講習を受けた時、講師であるサーベヤーの爺さんが(75才、今の私より7才も若い!)いとも簡単に現場(ボートの上)でクレジットカードでの入金を受け付けていたのに衝撃を受けたものだ。
 
 
日本でその当時のカード取扱いはしかるべき店舗を持った営業体でどこぞ?の協会の審査に合格し​、5万円もするカードリーダーを購入し、規定の伝票を揃えて扱うものであった。
とても個人営業のマリンサーベヤーに許可?は出なかった。
諸兄の中にはその許可を出す側にいた人も居るであろう。
 
7、8年前にその基準が緩和されたらしいので再度申請した。
却下された。
 
​~~~カード決済のニーズ~~~
現在わが家にとってカード決済のニーズは小生のマリンサーベヤー業務より、妻の「琥珀磨き体験工房」にある。
通常の客単価は6、7千円だが家族4人で来れば3万円にもなる。
やはり旅先での現金支出は抑えたいところであろう。
カード可なら大きな石を選ぶかもしれない。
 
~~~Square~~~
3年前頃からスクエアSquareという会社がスマホに小さなカードリーダーを取り付けるだけでカード決済が出来るサービスを始めた。
最初は無料でカードリーダーを呉れたがあまり冴えなかった。このところリーダーが有料になって機能改善されたというので申し込んだ。
リーダーは5千円、決済手数料は3.25%である。
 
 
このカードリーダーをスマホのイヤフォンジャックに差し込み、客のカードのICチップを挟んで読み込ませるのである。
 
 
Squareのアプリを起動し、試しに私のカードを挟んで1000円を​決済させたら一発で成功であった。
 
~~~iphone7~~~
実際に取り扱うのは妻のスマホである。
はたと困ったのは妻のiphone7にはイヤフォンジャックが無いのである。(私のは1型古いiphone6S)
さてさてと調べたら、iphone7の購入時の箱にコネクターが入っていた。
 
 
 
問題解決! 早速500円の決済に成功した。​
 
~~~現金とカード~~~
私はずっと支払いには現金の方が相手に親切だと思っていた。
カードでは手数料を引かれるし、実際の入金に多少のタイムラグがある。
しかしこれは老人の考えであった。
昨今では忙しいレジの現場などで現金は煩わしいのだそうである。
数えなければならないし、釣りを渡さなければならない。
カードならすっと通してそれで終わりである。
 

神縄断層―伊豆半島の付け根

、妻が「神縄断層見学」のバスツアーに参加した。
「神縄(かんなわ)断層」とは静岡県小山町で見られる伊豆半島が本州にくっ付いている現場である。
私は数年前に行ったことがあり、その感激をあまり語るものだから今回東海バスのこのツアーを見付けて妻だけ参加したのであった。
 
 
これが現場である。
無造作にコンクリの擁壁が迫っているが、この工事をした時には断層と知らなかったらしい。
右側の礫層が伊豆半島側であり、左側の凝灰岩が本土側である。
伊豆半島側が礫層なのは、酒匂川や黄瀬川から流された砂利が伊豆島に堆積して礫層となり、そのまま本土に押し付けられたのだそうだ。
 
これは妻が撮った写真だが、7年前に私が撮った写真と全く同じである。
私より余程生物や地学に関心が強い妻には大感激であったようだ。
 
ところで妻たちのツアーバスはこのあと「景が島渓谷」にまわったらしい。
山の中で大きな柱状節理が見られる景勝地だという。
そしてそこの説明版に西行の歌を見付けた!
 
 
<ひさたへて我が後の世を問へよ松あとしのぶべき人もなき身を> 
西行といえば900年も昔の歌人である。手植えの松もあったという。!
にわかに信じ難く、ちょっと調べてみた。
すると西行の家集「山家集」にある歌であった。 ただし数文字違っている。
 
<ひさに経て我が後の世を問へよ松あとしのぶべき人もなき身ぞ>
 
そして四国善通寺玉泉院にも歌碑と手植えの松があるのであった。
 
 
900年昔に西行は御殿場をまわって奥州に行ったということか。
それにしても1000年を経ても人情は変わらないのう。
 

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