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2017.05.31

初島、三島、ルーシー・バートン

~~~初島~~~
21日、伊東のクルーザー「ペーパームーン」(ババリア34)で初島に行った。久し振りのクルージングだった。
1980年代からのヨット仲間Gさんの艇である。Gさんとは伊東港に艇を並べた間柄である。
彼との共通の話題はニール号探索に入れあげたYさんだ。Yさんのことで話は尽きなかった。
タクシー運転手のYさんはどこの営業所に移ってもそこでトップ3の稼ぎを上げた。勘のいい人だったがフィリピンで死んだ。
私の初島の記憶は誰も居ない避難港での停泊だ。本当に誰も居ない港で泳ぎ、魚を捌き、飯を炊いて、静か過ぎる海で寝た。
伊東まで5マイルだから怖さは無い。15分も歩けば人の居る部落もある。
そんなところが日本に何時までもある訳はないな。
開発の手が入り、ホテルが出来、フィッシャリーナと称してマリーナが出来て竜宮は消えた。
 
昔の初島はもう無い。
潜って天草を採り、浜に干していた朝鮮の海女はもういない。
 

昔の浜辺のあたり
 

​今の初島マリーナ​
 
旨い昼飯を食べて、2時には伊東に帰着した。
それだけのことなのに、猛烈に疲れた。筋肉の使い方が畑仕事とは違うのであろう。
22、23日と身体が使い物にならなかった。
玉手箱を開けた浦島太郎の如くであった。
 
~~~「私の名前はルーシー・バートン」~~~
25日、たまたま「私の名前はルーシー・バートン」(エリザベス・ストラウト)を読んだ。
NY在住の作家が原因不明の病気で入院することになり、田舎から母親で出てきて5日間付き添ってくれる、その母親との会話や作家の心情をとりとめもなく書き留めただけの、物語も何もない作品である。何も無くても作品となっているところに文学があるのだろう。
しかし文学音痴の私には日本の私小説、川崎長太郎の抹香町ものとの違いが分からない。
 
これがNYでベストセラーなのだそうだ。
著者が育った時代、一家は貧しく、大叔父のガレージを住処にしていた。母親は今も貧困を引きずっている。著者は作家になってようやく貧困から脱したと感じている。その母娘の会話。
ヒルビリーとはまた違ったアメリカの貧困の記憶。
NYのハイブラウの読書家たちが、何故この本を読むのか?
 

 
私は図書館で借りたこの本を読了して食堂の棚に置いておいた。
妻に特に薦めはしなかった。貧しく育ったことのない妻がシンパシーを感じる作品とは思えなかったからである。
ところが妻は中身を覗いて読み始め、面白いと言ってあっと言う間に読んでしまった。
妻はNYの人士並みの本読みである。
 
~~~三島 楽寿園~~~
28日、三島の楽寿園で「ジャパン・フラワーオープン・in 静岡」なる催しがありハンギングバスケットや寄植えの展示があったので出かけた。
三島に行くには電車である。もう車では行かない。
 
 
 
寄植えにはこれだけの花材を使う
 


​見れば自分でも作りたくなる。生産者直売なる花屋が何軒も店を出して格安で売っている。伊豆では手に入らないハンギング用の花材もあってあれこれ買ってしまった。
両手一杯になり、もう歩けない。もうどこにも行けない。車ではないから駅まで戻って電車に乗らなければならない。
後から買えばいいと言われても、売れて無くなってしまう。
結局駅前で焼肉定食を食べて早々に帰った。
本当を言えば源兵衛川やうなぎ屋、三嶋大社や佐野美術館、大岡信記念館にも行きたかったのだ。
 
~~~値上げ~~~
29日、給油所で6月からタイヤ値上げと言われタイヤ交換した。
 

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