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2016.10.16

「庭園に死す」「天皇の公務」

∞∞∞2016/10/12∞∞∞∞∞∞∞
~~~庭園に死す~~~
私がこれまでに読んだガーデン関連図書の中で、最も感銘を受けたのは「庭園に死す」(野田正彰 春秋社 1994/3)である。
以前に書いた感想文を再録する。
 
著者野田正彰は人間の精神形成を研究してきた精神病理学者であり、その名も高き比較文明論の論客である。そして京都造形芸術大学元教授でもある。なぜ芸大教授なのか。この著書あるが故か。
人間は両親から遺伝子情報を与えられて生まれてくる。そして母親との接触から始まり、多くの人との接触を通じてその社会の文化を受け取り精神形成を行う。
それでは風景という刺激は精神の形成にとってどんな役割を果たしているのか。
著者の庭園への関心はここに始まるという。
 


その関心は半端ではない。<あとがき>によれば彼の庭園の知識は「造園の歴史」「日本の古庭園}(いずれも岡崎文彬)によって得たというが、前者は上中下3巻(各巻17千円)、後者は上下2巻(58千円)の大冊である。
あまりの読み返しに 本は綻びてしまい2代目を購入したという。専門分野・精神病理学の本でもこれほど何度も読んだ本はないという。
秀才がそれほど打ち込むのだから半端ではない。
 


本の内容は大きく4つに分かれる。
その1は日本庭園である。50以上の庭を訪れる。さすがに京都の庭は自分の庭を歩くが如くである。京都在住のせいかと思ったが、擦り切れるほどに読み込んだ名著の知識に裏打ちされているのであろう。公開されていない庭園も京都では殆どを巡っている。
京都だけではない。平泉の毛越寺は言うに及ばず福島、鹿児島、熊本、山口、島根益田、三重、大津、静岡と、庭があると聞けば残さず足を運んでいる。そしてきちっとした歴史観、文明史観の上で論ずるのだからなまじっかな庭巡りの本はとても太刀打ち出来ない。
 


その2は現代の都市景観を論ずる。
山裾に修学院離宮が隠れ幡枝に円通寺が佇む比叡山の山頂にミニ・スキー場があることを嘆く。
苗場のホテルをすべて川の手前に建てていたら、人と山との対面はすっかり変わっていただろうと説く。
大阪南港の高架線がこれほどの景色になることを知っていたら、もっと効果的なデザインを考えただろうにと惜しむ。
ランドスケープデザインの世界である。
 


その3は中国庭園である。
日本文化の源流を意識して中国の庭を見ている。
10数ヶ所を巡る。日本の庭園研究家でこれほど中国の庭を見て回った人がいるだろうか。
 


その4はヨーロッパ・イスラムの庭である。
約30の庭を紹介する。ヴェルサイユでは周囲5キロの大カナルを半日かけて歩いてまわる。アルハンブラでは宮殿の中の修道院に滞在し4日間を庭鑑賞に費やす。
景色が人間の精神形成にどう働くかを考える人の庭巡りだから、生半可な庭巡りではない。
まして好きな世界で著者独特の名文は時に美文に亘る。
 


掲載された百数十葉の写真は4-5枚の例外を除いてすべて著者の撮影によるという。構図といい、焦点深度といい、撮影の季節といい、とても素人の写真ではない。
学者の旅先なのだから特別な機材も持っていないだろうに、脱帽するのみである。
 

 
世のガーデン記事、庭園書籍の編集者たちはこの本の存在を知っているのだろうか。
知っていたら新たな本の編集に絶望するに違いない。
 




 
∞∞∞∞2016/10/13∞∞∞∞∞∞
~~~村上春樹~~~
2012年3月、吉本隆明が亡くなった時、私は<1冊も読んだことが無い>と書いた。
左翼の教祖とも目された吉本の著作を1冊も読んでないとは、多少ともインテリと目されるであろう私にとっていささか気が引けることではあった。
そこで<ゾウリムシ論>を書いた。
 
ゾウリムシは単細胞生物である。
外界に対して、それが自分の体内に取り入れられるか入れられないかの反応しか無いのだという。
私が吉本を読まなかったのはゾウリムシ反応である。
 

いま私は村上春樹を1冊も読んでいない。
新刊を買ってきたこともあるし図書館で借りたこともある。
ところが1冊として最後まで読み切ったことがない。途中で読みたくなくなるのである。
私のゾウリムシ反応である。
 
∞∞∞2016/10/14∞∞∞∞∞∞∞
~~~天皇の公務~~~
 
雨師(うし)として祀り捨てなむみはふりに氷雨は過ぎて昭和終んぬ> 歌人・山中智恵子
 


昭和天皇の棺が黒い馬車に乗って東京の街を進むとき冷たい雨が降っていた。
 


沢口芙美は次のように解説する。
 

もともと王とは雨師(レインメーカー)であった。呪術によって雨をもたらす力を持つ者が、古代では即ち王であった。雨を降らす力がある間彼は王であるが、その力が失せた時王は殺され、新たに呪力を持つ者が王となった。

 


呪術に基づく古代王権の名残を天皇制は引き摺っている。少なくとも昭和天皇は宗教的な力を強調された時期があった。そうであれば、その天皇の死は雨師として祀り捨ててしまおう。雨師の最後を飾るように氷雨が降り、昭和は終わった。 一首はこのような意味であろう。

 


天皇が現人神として存在した時期に青春時代の重なる作者にとって、天皇の存在は重くのしかかっていたに違いない。そのような時期に生きた自分の人生をも込めて、「祀り捨てなむ」と言い切ったのだろう。

 


昭和が終わった時、多くの昭和挽歌がうたわれたが、天皇制の深みにまで降りてこう歌った人は他にいなかった。私はこの歌を読んだ時心が震えた。

 


一連に次歌がある。

<そのよはひ冷泉を超え賢王と過ぎたまふ、そよ草生(ひと)を殺しき>

 


     
 

私も心が震えた。

 


皇室典範には雨師の仕事をどう書いてあるのだろう?

 



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