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2016.09.13

天草(てんぐさ)物語2―ニール号

マイボートを伊東に置いていた当時、私の勤務地は丸の内帝劇ビルであった。
私はヨット遊びに社内の同僚や後輩を誘うことはなかった。彼らの出世に障ることを慮ったからである。
 
ヨット仲間はもっぱら当時主宰していた「PCオーシャンヨットクラブ」や舵誌の「仲間募集」欄で募った。
そんな中に稲取のFさんが居た。
彼の前職はプロの潜水夫だった。仕事の現場があまりに危険なので辞めたのだという。当時は稲取のホテルの支配人をしていた。
さらに聞けば彼は日比谷高校出身だという。奥さんは浅草生れ浅草育ちの江戸っ子だった。屈折した人生だとも云える。
彼の家を訪ねたことがあったが高台で眼下に白波の寄せる浜を見下ろす、海の男の理想の家であった。
その時中学生くらいの女の子が、「お父さんもお母さんも狡い。2人はすべてを知ってここに来たのに、私はここしか知らない。」と零した。
彼女は鋭い。今どうしているか。
彼は現在東伊豆町会議員として人並み以上の活躍をしている。いい友人を持った。
 
「ウィンデイホリデイ」号上で雑談をしている時、ふとFさんが<沈船を知っている>話になった。
潜水夫の仕事をしている時、南伊豆妻良港の出口で沈船を見付けたのだという。場所もきっちりと山立てをして記録してあるという。
 
この話に食い付き、夢中になったのがYさんである。沈船引揚げなんて夢ではないか!
実はこの沈船は無名の宝船ではなかった。嵐で沈んだフランス船ニール号として地元では知られた存在で、地元の海臧寺に招魂碑があるのだった。
1874年ウイーン万博に出展後、展示物や最新の織機などの宝物を積んでマルセーユを出帆したニール号は横浜に向かう途中石廊崎沖で嵐に遇い、妻良沖で難破したのだった。
 
 
Yさんはお構いなしである。
国会図書館に行き、国立公文書館に行きと、ニール号に関するあらゆる情報を集め始めた。
そしてとにかく現場に行きたいと言い出した。
 
ここでちょっとYさんの話をしよう。Yさんは舵誌の募集記事をみてやって来た。
ある日曜日の朝、約束の時間より1時間も早く来て伊東漁港の堤防で待っていた。あのちょっとシャイで飄々とした姿を今も忘れられない。
彼が乗ってきたのはアマゾンとかいう1500CCのバイクだった。ヨット経験無しのバイク乗りだった。
そのバイクで年に一度は北海道一周に出る。ある年大学生の息子と一緒に出掛けたが息子はどうしても従いてゆけず、途中でパーティを解いたという。
彼は都内のタクシーの運転手で、当時Gキャブに居たがどこへ行ってもその営業所でトップの稼ぎ上げるという。勘がいいのだ。
ヨットのことも実に注意深く我々の動きを観察し、2度と聞くことはなかった。私が間違ったやり方をしていると間違ったまま覚えられ、赤面したものだ。
私は大学でも出光でも、国会図書館や公文書館に自分の調べものに行った人を聞いたことが無い。
 
 
彼の切迫衝動は抑え難く、88年9月遂に現地へ行って潜ることになった。
この行動のリーダーはFさんである。「ウィンデイホリデイ」のクルー4名で出掛けた。私はこの時は参加していない。
Fさんは思慮深く、現地の宿に泊まり、現地の漁船をチャーターして現場に向かった。いずれ地元の協力を必要とすると考えたのであろう。
 
そして見付けた。
Fさんの見立て通り、水深35メーターの海底に殆ど砂に埋もれてそれはあった。
 
Fさんと海底の写真
Fさんのスケッチ  海底のニール号
 
(続く)
 

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