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2016.04.18

コーヒーカップのこと

TV映画を見ていてふとコーヒーカップに目が留まった。
あれ、あれは誰のデザインだったか?
確かに一時期傾倒した作家の作品だが、その’だれ’かがどうしても思い出せない。
 
必死で考えた。そして以前静岡のギャラリーで見たことだけを思い出した。
さてどのギャラリーだったか? その’どこ’を思いだせば、ブログにでも記録してあるだろう。
そして同じギャラリーで重森三玲の展示を見たことを思い出した。
こうなればEvernoteがものを言う。これはタイトルだけでなく文中の単語に至るまで検索してくれる優れものだ。
重森三玲の展示を見たのは今は無い「静岡アートギャラリー」だったと判明した。。
そして静岡アートギャラリーから’スージー・クーパー’の名前に辿りついた。
「ウエッジウッドの歴史」展示会(2009/9)でスージー・クーパーを知ったのであった。花柄の食器デザインで名をはせた有名デザイナーだった。
当然窯元のハウス・デザイナーかと思ったらさにあらず、自分で食器会社を持って制作をウエッジウッドに発注する立場だったらしい。
恐れ入ります。
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ひなげし
さて重森三玲である。著名な造園家である。
作品は数多いが、これは東福寺方丈庭園の市松模様である。
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しかし彼の真価はここでは無い。
彼は初めて日本中の日本庭園500庭を実測してまわり、図入りで「日本庭園史図鑑・26巻」「日本庭園史体系・33巻」を刊行した。
これはとてつもない大事業である。成し遂げた重森三玲は巨人である。
彼こそ文化勲章の第一号に相応しい。なのに受賞していない。庭師は対象にならないのか?
 
彼は1896年岡山生まれ、東京芸大を出て絵を志すがまわりに俊秀が多いのに悲観し、生け花や茶道に目を向けたらしい。
1933年、華道界の革新を目指して「新興いけばな宣言」を起草した。集まった仲間は勅使河原蒼風、中山文甫、桑原専渓らであった。
宣言の内容は、「いけばな」は懐古的感情を斥ける、形式的固定を斥ける、道義的観念を斥ける、植物学的制限を斥ける、花器を自由に駆使する、といった昭和初期の世情からすれば思い切った革新的なものであった。
文化勲章をもらえなかったのは案外この「宣言」が原因かもしれない。
戦後、小原豊雲、安達潮花らも加わり前衛いけばなは空前の盛況を迎える。 (三頭谷鷹史「前衛いけばなの時代」)
 
しかしあらゆる形式を排するとした彼らも、集金システムとしての家元制度を斥けることは出来なかった。
のちに勅使河原霞、安達瞳子が家を出て親を悲しませるのも、もとはこの「宣言」にあるのであり、身から出たさびとも云える。
前衛の最たる蒼風が、草月流が巨額の脱税で挙げられた時に「これで勲章が無くなった。」と零したという。 (早乙女貢「華日記」)
 
四国から中川幸夫という華道家が出てきた。三玲に見いだされた彼は文字通り形式を排する「宣言」を実践し、終生家元とならなかった。
幼時カリエスを患った彼は背中にコブを持ったネゴ背であった。
池袋の一間のアパートに極貧の生活を送りながら、時に華道界を驚かす作品を発表し続けた。20万本のチューリップを散らしたこともあるという。赤の使用が特徴である。
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赤といえば私は蜷川実花の作品にいつも中川幸夫の赤を視るのである。
中川の情念が実花に乗り移っているに違いない。
コーヒーカップに蜷川実花の花を貼って中川幸夫へのオマージュとしよう。
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グロリオーサ
 
かくして話はカップに発してカップに収まった。
長生きし過ぎた年寄りの話はかくも、くどい。
 

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