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2016.03.15

信長公茶会記

「癒しと憩いのライブラリー」でたまたま「草庭」(堀口捨己 1968年刊)という本を手に取った。
ガーデニング関係かと思ったらさにあらず建築関係の本だったが、中に「信長公茶会記」なる1章があった。
44ページにわたり、100項目の注記のある力作であった。偉い人の書くものは違う。
最初に書かれたのが昭和12年、「草庭」に納めて出版したのがS23年、再販したのがS43年、それを私はS91年の今年手に取った。
堀口捨己(1895-1984 建築家 芸大教授 芸術院賞 歌会始召人)
 
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実は私は茶会記に関心を持った時期があった。
オープンガーデンなど「お庭拝見」の際に「庭会記」の記録を残すことを考えたのであった。
 
わが家にあった「茶会記百選」(裏千家茶道教科15 淡交社 1980年刊)に、信長が津田宗及を招いた茶会記が出ていた。 
天正2年(1574)2月3日  「天王寺屋会記」
堺衆であり本願寺門徒である津田宗及にとって、堺に矢銭を課し石山本願寺を攻めた信長は許せざる相手であった。しかし天下の趨勢に抗すべくなく、天正1年に京都での信長の茶会に列席、翌2年信長の本拠岐阜に参賀して、信長から茶会に招かれたのであった。
会記には道具類から料理に至るまで細かく記されているが、中に「紹鴎茄子」という名器がある。これはもと武野紹鴎の所蔵であったが、娘婿の宗及が預かり、信長に献じたものであった。これにより宗及は千石を拝領したという。招かれたとはいえ茶をたてるのは宗及である。信長は宗及の点前を見ていて自らは服さず、宗及に賜って宗及が自服したという。
 
茶会記あるがゆえに、われらは今この光景を瞼に見ることが出来る。
 
毎度言う、茶に茶会記あり、花に立花図あり、何ゆえ庭に庭会記の文化なきや。  1996/06/14記
 
160314
 
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​「茶会記」とはまことに潔い詞章である。
名詞と数詞の羅列による叙事であり、形容詞は入らない。
茶会記の記述こそ茶道修業の真髄であろう。​
 
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写真が判りやすいのでこれを載せた。
 
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「庭会記」の普及を目指してそのネット化を志した。
「掲示板」を考えたり、WordPressでのサイトを考えたりしたが、どれもわが能力不足で挫折した。
今ならスマホアプリ化であろう。
 
しかし、もう無理だ。
これが夢の残骸である。
 
Titleillustgardenersnfieldnote11061

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