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2016.02.28

追悼句会

「癒しと憩いのライブラリー」(サザンクロスゴルフ内)に郷土資料の一角がある。
そこで「山川家の祖先と八幡野」(山川速水 千秋社 1990)なる1冊を手に取った。
八幡野の昔を知りたかったのである。
 
山川家は播州三木市から流れて江戸初期に八幡野に住み着いた落ち武者の一統らしい。
港の上の称名院に過去帳や墓石が残っているという。
変遷はあったが、大正から昭和初期には医院を開いていたようだ。
 
大正15年5月、院長山川某の妻が亡くなった。享年42歳。
院長は各地から会葬に集まってくれた人たちが散じないうちにと、すぐに追悼の句会を開いた。
参加15名。題「ほととぎす」。
喪主院長の句、<ほととぎす啼いて帰らぬ夜なるかな>
第1席の句、<かあちゃんは今どこにいるほととぎす>
 
喪主の句は、どこぞ俳書に先出は無いか?と思うほどの名句であろう。
句会には小6の長男も参加していた。みんな第1席の句はその子の作だろうと投票したのであった。
実はそれを当て込んで受けを狙った神主さんの作であった。
 
葬儀直後の句会といい、喪主の句といい、神主さんの茶目っ句といい、当時の八幡野の文化度が偲ばれる。
現在妻のはまっている「facebook俳句会」のレベルをはるかに超えている。
 
大正から昭和の初期、八幡野の医者は池や赤沢までの往診(午後は往診が常であった)に馬に乗ったそうである。
馬丁を雇えないので家族で馬の世話が大変だったそうだ。
夜の急患の往診依頼にはカゴを担ぐ若い衆を連れてきた。
伊東から八幡野港までは東海汽船に乗った。
 
160225yamakawakeyawatanobook
 

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