俳句の「挨拶」について
先に確定申告作成の最中に< 年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山>(西行) の句を思い出したと書いた。
それ以来、西行と芭蕉の本を続けて読んでいる。
「光の王国 秀衡と西行」 梓澤要
西行の東国行を題材にしたフィクション。 こんなことはあり得ないと思ったが西行のことは何も知らないので あった。
「月と西行」 水野精一
老精神科医の西行フォロー
「西行」 白洲正子
意外に腰の据わった西行論
「西行花伝」 辻邦生
恋歌
「芭蕉紀行」 嵐山光三郎
芭蕉がこれほどの西行フリークであったことを初めて知った。 西行と芭蕉は500年、芭蕉と嵐山とで300年の時間差がある。
「芭蕉のうちなる西行」 目崎徳衛
1921年生まれ。聖心女子大教授。存命なら93才か。 1980年刊行の本を図書館で見付けて読んだ。
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最後の「芭蕉のうちなる西行」に感激して手元に置きたいと思い、 古書を探して入手したがこれが美本で更に感激したのであった。
中に「芭蕉の挨拶について」の1章があり<俳句の挨拶> について書かれていたが、私のまったく知らない世界であった。
「俳諧という文芸を成立せしめる根本的契機の1つに、『挨拶』という興味深い主題がある。この事について山本健吉氏の名著『純粋俳句』の中の、たとえば次の文章を想起するのは、ほとんど常識といってよいだろう。
<俳句は次の三つの命題の上に成立する。1.俳句は滑稽なり。2.俳句は挨拶なり。3.俳句は即興なり。> 」
「しかるに子規以降の近代俳句はもっぱら写生を旨とし、『挨拶』を夾雑物として排した。その結果近代俳句はモノローグの袋小路に突き当たり、和歌や詩の持つ抒情性を羨望していたずらに自己を見失った。」
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そして芭蕉の俳句はほとんどが挨拶を含んでいることを知った。
そう言われてみて初めて意味が判るのであった。
これまでは何も知らずに字面を追っていた。
<行く春や鳥啼き魚の目は泪>
「奥の細道」への出立にあたり千住で詠んだこの句は、芭蕉庵の後始末を含めすっかり世話になった弟子杉風(千住の魚問屋主人)への挨拶であるという。
<塚も動け我が泣く声は秋の風>
弟子一笑が亡くなりその追善の席で詠んだ句という。知らなかった。
<さまざまの事おもひ出す桜かな>
芭蕉が初めて仕えた故主蝉吟を偲ぶ席での句という。これまでただ桜の句として覚えていた。
<鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎>
弟子杜国の不幸で伊良湖をたづねた時の句という。伊良湖崎はわが故郷であるが、これまで単純に鷹の渡りを詠んだ叙景と思っていた。
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しばらく西行と芭蕉に現を抜かしているうちに、MOOCの図書館学は早くも落伍したのであった。
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