電車に挨拶?
私の母はこの3月で100歳になる。
施設に入っているが会話はしっかりしているし自力で食堂まで歩く。
みんな揃ってのお祝いは昨年すませたので、今年は妻、娘、孫とわが家だけでのお見舞いであった。
新幹線で上京し、JR、私鉄など乗換え乗継ぎ、その都度切符を買う。
妻が見兼ねてSUICAを買えと言う。きょろきょろ、うろうろ、年寄りが危なっかしくて見ていられないと言う。
娘が私を売り場に連れて行き、金の入れ場所、ボタンの場所を示してくれてやっとSUICAを入手した。
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私はこれまでSUICAを持つことを拒否してきた。
その理由。
切符売り場で金を払って切符を買うのは電車に対する挨拶である。
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俳諧は<挨拶>の要素を含んでいるという。
集まった同好の士に対して、場所を提供してくれたスポンサーに対して、発句はまず<挨拶>から始まらなければならない。
芭蕉は千住から「奥の細道」の旅に出立した。
<行春や鳥啼き魚の目は泪>
千住は魚屋が多い町だという。芭蕉庵を建ててくれ、後の始末まで頼んだ弟子の杉風は幕府ご用達の魚問屋の旦那であった。この句の<魚>は杉風であり、杉風への挨拶である。
また陶淵明「帰田園居」の「羈鳥は旧林を恋し、池魚は故淵を思う」を踏んでいるという。
ついで日光に立ち寄り、<あらとうと青葉若葉の日の光>と詠んで幕府に挨拶を送った。
この時期よく思い出される<さまざまの事思い出す桜かな>は、芭蕉が故郷伊賀で最初に仕えた蝉吟の年忌で、故主の遺族への挨拶である。
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子規に始まる近代俳句は写生を第一とし、<挨拶>は不純として排した。
近代俳句は芭蕉を超えられない。
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私は切符を買うことを電車に乗る<挨拶>とした。
妻は「こんな思考回路の男と50年一緒に居る苦労を解ってよ」と娘にこぼした。
私は心中、「もうしばらくの辛抱だよ」と呟いた。
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