臓器移植のこと-または鬼の話
つくづく健康保険証を眺めていたら、 裏面にとんでもない表示があった。
「臓器提供意思表示欄」というもので、1と2が「 臓器提供の意志あり」に○を付けるようになっている。
すぐに「3.私は臓器を提供しません」に○を付けた。
気が付けば運転免許証の裏面にも同じ表示があったので3に○ を付けた。
危ないところであった。
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インドの昔話にこんな話があるという。
旅人が空家で一夜を明かした。鬼が死骸を持って入ってきた。 その後から来た鬼と
取り合いになり、旅人にどちらのものか言えと命じた。 最初の鬼のものだと言うと後
からの鬼は怒り、旅人の手を身体から引き抜いて床に投げた。 前の鬼は死骸の手を引
き抜いて旅人にくっつけた。後の鬼が旅人の脚、胴、 頭とすっかり引き抜き、その度
に前の鬼が死骸の脚や胴をくっつけてくれた。 旅人の身体がすっかり入れ替わってし
まうと、二匹の鬼は仲良く半分ずつ死骸を食ってしまった。
旅人は驚き、 自分の身体はどこの誰ともわからぬ人の死骸になってしまい、 生きてい
る自分が本当の自分かどうか判らなくなった。 そこで寺にとびこみ、「自分の身体は
あるのかないのか」と聞いた。
坊さんは言った。「人間の”われ”は仮のものだ。人は”われ” にとらわれて苦し
む。仮のものだとわかれば苦しみはなくなる。」
旅人が空家で一夜を明かした。鬼が死骸を持って入ってきた。
取り合いになり、旅人にどちらのものか言えと命じた。
からの鬼は怒り、旅人の手を身体から引き抜いて床に投げた。
き抜いて旅人にくっつけた。後の鬼が旅人の脚、胴、
に前の鬼が死骸の脚や胴をくっつけてくれた。
まうと、二匹の鬼は仲良く半分ずつ死骸を食ってしまった。
旅人は驚き、
る自分が本当の自分かどうか判らなくなった。
あるのかないのか」と聞いた。
坊さんは言った。「人間の”われ”は仮のものだ。人は”われ”
む。仮のものだとわかれば苦しみはなくなる。」
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私はもう10年以上も前から、この喩え話を何度か引用してきた。
出所は判らないままだったのだが、今回やっと調べがついた。「 大智度論」という仏典だそうだ。
「私は何処に在るのか」を考える論だそうだ。 龍樹という偉いお坊さんが書いたものだという。
しかし私には臓器移植の話としか考えられない。
脚、胴、 頭が入れ替わった自分が自分のままであるとは考えられない。
臓器移植の医師は鬼である。
私は臓器移植に反対である。
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