北極海航路-4
北極海航路の話にエピソードを1つ入れよう。
~~~怪男児・郡司大尉~~~~~~~~~
退役海軍大尉郡司成忠は北千島が放置され土民の密漁のままになっ ていることを憂い、国土・資源・権益の確保を目的として「 報效義会」を設立、 海軍関係者を中心として数百名の会員を集めた。 しかし資金が集まらず、 なんと手漕ぎボートで千島入植を目指すこととした。
この時期、サンクトペテルブルグ条約(1875) により千島全体が日本領となっていたが、 政府に千島経営の余裕は無かった。
明治26年(1893)、 38名の志願者が5隻の海軍払い下げの短艇(9m) に分乗して盛大な見送りの中、隅田川言問橋を出発した。
しかし八戸を出航した夜に嵐になりボート2隻と19名を失った。
なんとか船便を得て千島列島最北端の占守島(シュムシュ島) に着いたが、最初の年、および次年の越冬で15名が死亡した。
明治29年(1896)、 家族連れを含め56名の第2次入植隊が出発した。 海も畑も豊かで、缶詰工場を建てたり、 人口も増え結婚や出産があるなど入植地の経営は順調に進んだ。
明治37年(1904)、日露戦争が始まる。 郡司は20名ほどで義勇隊を組織し、カムチャッカに進攻?した。 あえなくソ連軍の捕虜となり、戦後捕虜交換で帰国した。 この時郡司はカムチャッカに「日本国」の石柱を立て、 現在ハバロフスクの博物館にあるという。
←の先が占守島である。
郡司大尉は幸田露伴の次兄である。つまり幸田あやの伯父である。
現在占守島に残る「志士の碑」 郡司成忠建立
1990年 阿部幹雄(フォーカス誌記者)撮影
~~~世界島~~~~~~~~~
ところで諸兄は「世界島」 という言葉もしくは概念をご存じだろうか。
「世界島 World Island 」とはアフロ・ユーラシア大陸、 つまりユーラシア大陸とアフリカ大陸を一緒にした大陸で、 イギリスや日本など周辺の島を除いたものという。
地政学の開祖ハルフォード・マッキンダー(英 1861-1947)の命名という。
南北米大陸の2倍の面積である。
マッキンダーはこの概念からドイツやロシヤの陸上勢力と英国の海 上勢力を論じたらしい。
ふむふむ。
~~~世界島一周ヨットレース~~~~~~~~~
私はまず「世界島一周ヨットレース」を提唱したい。
ああ。
考えることは山ほどあるぞ。
出発地はどこにするか。いずれにしろ北極海は先に済ませたい。
時計回りか、反時計回りか。
反時計回りの場合、 日本列島は除かれているのだからやはり中国のどこかか。 そして宗谷海峡を抜けてベーリング海峡だろう。 北極海はバレンツ海のどこを抜けてドーバー海峡か。 そしてヴェルデ諸島の内側を通ってケープタウン。 マダガスカルを無視するかどうするか。そしてマラッカ海峡。 きりは無いね。
「世界島一周ヨットレース・実行委員会」 のメンバーは世界島構成国以外の島国とする。
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正月から忙しいことである。
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樺太生まれの 森下一義
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