北極海航路-2
ヨーロッパから北極海に入り、ロシア・ シベリア海岸からベーリング海峡を抜けて太平洋に出る航路を北東 航路と云った。
北極点中心図
初めて船で北東航路を抜けたのは1879年スエーデンのノルデン
ヴェガ号はその後横浜に入港し、神戸、 長崎に寄ってシンガポール、 スエズ運河を経てストックホルムに帰港した。 ヴェガ号の成功は横浜から世界に発信された。
神戸滞在中乗員は京都、琵琶湖に遊んだという。 当時の日本人はヴェガ号をどのように見たのであろうか。
ちなみに西南戦争(1877年)の2年後である。 スエズ開通が1969年、 1873年に岩倉使節団一行がスエズを通過している。
ヴェガ号 350t
~~~~~~~~~~~~
北極海は殆ど氷結している海であり、 1930年代からはソ連の砕氷船で辛うじて通航を果たしていたが ソ連崩壊後はその配置も失われつつあった。
しかし近年の地球温暖化により年間4ヵ月程度は通航可能となり、 いずれ通年通航可能になるのではないかと言われている。
そのため本格的な航路設定が進められつつある。
名前も「北東航路」から「北極海航路」(NSR Northern Sea Route)と変わった。
2009年に商用船が初めてベーリング海峡を通過し、 今年は100隻近くになるという。
わが国には昨年LNG船がNSR経由で到着し、 今年はナフサのタンカーが入っている。
今年8月、 大連からロッテルダム向けの鋼材を積んだ中国船が出航した。
10月にはロシヤからナフサタンカーが韓国に到着した。
一瞥してわが国に対する北極海航路の優位は明らかであるが、 他にも多くの利点がある。-次回
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
樺太生まれの 森下一義
The comments to this entry are closed.
Comments