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2013.08.15

ゴロフクで思い出したこと-4

~~~日本高周波-城津の闇船物語~~~~~~~~~
敗戦後日本高周波鋼業城津工場の残留従業員の組織「日本人世話人会」が運航した闇船について、ここ数回で書いた以上のことを私は知らない。
今さら聞こうにも父はもう居ない。
 
いずれにしろ、どこの誰の助けも借りない自主運航であった。
またある意味、不法運航であった。
闇船であった。
そして2000人以上の仲間を南朝鮮に運んだ。
 
~~~夏目雅子の義父の物語~~~~~~~~~
伊集院静に憧れてやまない叔父がいた。母の弟である。戦時中、剣道全国大会で御前試合に出たほどの俊才であった。
朝鮮戦争が勃発し、若い彼は祖国独立の理想に燃えて日本から戦いに参加した。北朝鮮軍に参加した。
戦いは京城から釜山、反転して平壌から鴨緑江、そしてまた平壌、開城と半島全土を揺るがし舐め尽くし、そこに大きな悲劇を残した。
停戦後叔父は実家に潜んだがそこは南鮮側であり、赤の残党狩りが吹き荒れていた。彼は庭の鶏小屋の地下に穴を掘って隠れた。見付かれば棍棒で撲殺される。

窮状を伝え聞いた姉(伊集院の母)は「何とかならないか」と夫(伊集院の父)に泣き付く。
父は山口県防府あたりで廻船業を営んでいた。彼は持ち船の1隻を高速船に仕立てて部下と共にミョンピョン島の近くに潜航し、暗夜1人上陸する。多額の米ドルとダイヤモンドを身に付けて。
そして義弟を見つけ出して救出する。

これを英雄と云わずして誰を英雄とするか。
しかし伊集院静はその著「お父やんとオジさん」で遂に父の名前を出さない。
やはり非合法の側面があまりに多いからであろうか。

~~~辛坊治郎のヨット遭難物語~~~~~~~~~
辛坊治郎と盲人セーラーの乗るヨットがクジラと衝突して沈没し、海自の飛行艇US-2に救助された。
この事件について世間の論調は一斉に辛坊非難にまわった。

クジラとの衝突はあり得ることだし、海自の救助を受けるのは格別非難されるべきことではない。
世間が非難にまわったのはこの航海自体にまやかしを感じたからだろう。
マスコミお抱えの名前を売らんがための航海だった。
辛坊本人の覚悟が伝わらなかった。

~~~闇船の世界~~~~~~~~~
船で海に出るとはどこかで闇に繋がる営為である。
申請をして補助金をもらってやる仕事ではない。

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森下一義 a sailor and a gardener

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