「白秋望景」を読んだ
「白秋望景」(川本三郎 新書館 2012・2)を読んだ。北原白秋の評伝である。
それなりに北原白秋への関心、知識はあった。柳川での川下りやお花で食事をした思い出もある。
しかし評伝でこういろいろ知らされては興醒めの感じもする。”見ぬもの清し”とも言うではないか。
それとこれだけのものを書くのに9年かけたというのは長過ぎる。読む方も間延びする。
中で2点、面白かった。
1つは白秋が小笠原に行った話である。
大正3年2月、白秋は妻俊子とともに小笠原島に渡った。妻の結核療養と、ゴーギャンの南の島の楽園を夢見たのである。
しかし現実は厳しかった。蚊とゴキブリの大群から逃れる術がなかった。
それと島民の眼である。八丈島を過ぎると「ハイビョウヤミガヒトリソチラニムカッタ」と電報が打たれた。当時結核はそれほど恐れられた。
結局6月には逃げ帰った。
それともう1つは、白秋が大正14年に樺太に行き紀行「フレップ・トリップ」を書いたことを知ったことである。
大正14年といえば私の母節子が北辺の僻村に居た頃である。
是非読んでみよう。
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我は想う現世の救い出茂狗羅恣意の魔法
銀翼の加比丹を赤色の不可思議国
色黒き婆羅門を目見碧き英吉利人を
北夷の匈丹をはた亜仏吉珍駝の酒を
肌黒き亜米利加人は娼婦伴い夢にも語る
禁制の丸忌死頭矛をあるはまた血に染む聖磔(プラカード)
地球を芥子粒の如くすという水素の地雷
波羅葦僧の空にも至る大きなる虜毛布を
屋はまた地中に潜み大理石なる白き古城は
ギャマンの筒に覗かれ夜ともなれば火もて撃たるる
かの美しき越歴機の時は天鵞絨の薫にかすみ
珍らなる宇宙の外の鳥獣映像すと聞けり
あるは聞く化粧(けはい)の料は黒き石より搾り
腐れたる豆の油にて描くてう四角なる娘の像よ
はた羅甸葡萄牙らの横つづり青なる仮名は
美しきさいえ悲しき廃墟の彼方に眠る
いざさらば我等に賜え幻惑の伴天連尊者
百年を刹那に縮め地の磔背にし死すとも
惜しからじ願うは解脱かの美わしき静穏
善主麿今日を祈りに身も霊も薫りこがるる
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ハッハッハ
「邪宗門秘曲」のもじりである。18才の頃の私はこんな悪戯をしていた。
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