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2012.10.21

カムチャッカ半島と千島列島-3

私が何故千島列島に強い関心を持つのか?

私が樺太=サハリン生れだからであろう。


 


何故樺太で生まれたか?

父(森下梅一)と母(三浦節子)が樺太に居たからである。

 

何故父と母は樺太に居たか?

父の父母(森下一郎、きそ)、母の父母(三浦義男、しず)が樺太に居たからである。

 

母方

私の母方の祖父三浦義男は大分県宇佐郡安心院の出である。

つい先年、「駱駝」という雑誌で<日本一美しい村>と紹介された。

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陸軍軍人であったが大正の軍縮で若くして中佐で退役した。さらに僻地で国にご奉公をと樺太に渡り、雪深い北辺の地で町長など務めたという。

娘節子は豊原高女を卒業し小学校の教諭となった。

 

父方

父方の祖父森下一郎は愛知県渥美郡小中山の出である。伊良湖岬の三河湾側の半農半漁の豊かな村である。祖母キソは村に1軒、今に続く旅館小川屋の娘である。
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伊良湖岬灯台から神島、鳥羽方面を望む


一郎は海外雄飛の大志もだしがたく、家督を弟に譲って樺太豊原に渡り小間物屋(化粧品店?)「美好軒」を開いた。

息子梅一は小樽高商を出て昭和6年樺太道庁に就職した。

 

一義誕生

かくして樺太・豊原市(現ユジノサハリンスク)において梅一・節子が結ばれ、昭和10年私・一義が誕生したのである。

 

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梅一は樺太道庁から朝鮮総督府に転属し、時勢がら新鋭の軍需工業「日本高周波鋼業-城津工場」に転職した。

敗戦。

梅一はソ連軍により工場保安要員として抑留され、生涯帰国の望みを絶たれたと思った。

せめて子供のうち半分でも日本に帰したいと、昭和21年9月、エンジンのない帆掛け船の漁船をチャーターして11歳の長男・私と8歳の次男一乗を送り出した。

 
私のヨットライフの起源である。

 
なお弟は私と同じ一橋大学に入学し、ボート部の代表幹事を務め新日鉄に入社した。

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私が北洋に関心を持つ所以をお分かり頂けただろうか。

 

なお母節子は決して樺太を再訪したいとは言わなかった。

北辺の僻村での生活は、郡司の報效義会の如くであったのだろうか?

 


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