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2012.07.30

「東京プリズン」を読んだ

「東京プリズン」(赤坂真理 河出書房新社 2012/7/6)をやっと読了した。

この書物を、発行月内に”読んだ”と報告できることがちょっと誇らしい。

  


もの凄い小説である。

1980年中学卒業後、母親の意向でメイン州の高校に留学した主人公は、英語に苦しみアメリカの文化に違和感を覚えながら日々を過ごす。

半年後、全校公開デイベートが行われる。デイベートでは肯定側、否定側2人づつのチームがそれぞれ立論、反対尋問、最終弁論を行い、審判が裁定を下す。

論題-「日本の天皇には第2次世界大戦の戦争責任がある。」

主人公マリ・アカサカは肯定チームに指名される。デイベートの完遂が進級の条件として与えられる。

  
 


私にはまだこの小説について感想や所見を述べる能力がない。

Amazonの読者レヴューから幾つかを引用する。

 


~~~by sacra~~~~~~~~~

この本について、この本の偉大さについて、きっとこれから多くの評論家が絶賛し、分析し、評価するだろう。あるいはこの本を受け入れられず、強く拒絶する人もいるかもしれない。きっと今でも誰かがどこかで感想を書き綴っているに違いない。私は、まだ、この本について書く言葉を持たない。言葉を失うほど引き込まれ、そして解放された。そもそも、赤坂真理さんの紡ぎだす見事な言葉について語る言葉など、私のちっぽけで貧相な語彙のポケットには入っていない。だけど、私は『東京プリズン』について語りたい、書きたい。だから、『東京プリズン』によって引き戻された私の個人的な記憶について書こうと思う。ディベートの壇上に上がったマリのように、「I am(私は)」から始めたい。 ・・・(後略)

 


~~~by Joh~~~~~~~~~

(前略)

ようやく、赤坂さんの生みだした物語が単行本にもなり、書店に並ぶ日を迎えた。
どれほど待っていたことか、物語を2年以上の歳月をかけて生んでくれた赤坂真理さんには感謝と敬意をあらわす言葉しかない。

言葉が必要だった、沢山の大量の、多くの言葉が物語が。あの時間に対して犠牲に対して死に対して、故郷の身内の知人の死に対して受けた喪失の痛みに対して、いつか顕したい意志が欲望が込み上げる感情がずっとこの国の底に沈殿していた。失われたものを取り返したい一心で死に物狂いでしてきてしまったこと、その時に振り返らなかったこと、捨ててしまったこと、ずっと黙っていたけど疑っていたこと。傷ついた世代が傷だらけのままで作った地の、その上に成り立っている世界で世代が重なり生きていることに対して。

できれば、赤坂真理さんの物語を発端にして、これから沢山の言葉が溢れ出し、新たな検証が始まりますように。それは3.11後を生きている、私達の明日へ直結した言葉と検証となり、新たな物語の始まりになると思っている。

 


~~~by logos&pathos~~~~~~~~~

主人公がたびたび幻視に遭遇したり、1980年の自分が29年後の自分にコレクトコールしてくるなど、実際には考えられないSF的な手法でもって物語が展開していくこの小説。読者の評価、あるいは好き嫌いが大きく分かれる作品だと思う。読者の中には、設定の強引さに嫌悪感を催す人がいるかもしれない。
私自身、これは絶対に学者や評論家にはできない、小説家ならではの歴史検証法だと、高く評価したい。著者の歴史観について、あれこれと意見を挟むつもりもない。戦争観・天皇観といったセンシティブなテーマに正面から取り組んだその勇気に、ただただ敬意を表する。
現代と30年前とが何度も何度も交錯していくことに、読みづらさを覚えないでもないが、これも小説でしかなしえない仕掛けの中で、十分に許容することができる物語の進め方だ。
まぎれもない大作で、ことは日本だけの問題にとどまることなく、アメリカ、そしてキリストにまでも踏み込んでいる。その意味では、我が国のみならず、広く国際的にも読まれるべき作品だと思う。「東京裁判」とは何だったのか、戦勝国と敗戦国との関係はどうあるべきなのか。是非、我が国以外の人々にも、考えていただきたいものだ。
と言いながらも、実際は日本という国こそが、一番この問題に目をそむけているようなところがあるのではないか。
ともすれば忘却の果てに追いやりたい過去の歴史に斬り込み、これから進む道を考える。それをしっかりと小説を通して問題提起する著者の志を称えたい。  (後略)


 

2012.07.29

コジュケイの”ちょっとこい”

”ちょっとこい! ちょっとこい!”

高く喧しいコジュケイの鳴き声をご存知の方は多いと思います。


いつも双親揃って、6-7羽の子供を引き連れて鳴きながら歩いています。

あまり飛びません。

生垣を飛び越えるのではなく間を抜けて歩き回ります。


どうしてあんなに鳴くのか分かりません。

<雉も鳴かずば撃たれまい>といいますが、コジュケイがあれだけ鳴くのは何か理由があるのでしょう。


今朝コジュケイの一家を見ましたが、双親と子供1羽でした。何かに襲われたのでしょう。

珍しく鳴かないで歩いていました。


同胞を猫に獲られたコジュケイの親子3羽が声無く歩む    黒潮丸


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写真はネットで拾ったもので私の撮影ではありません。


 

2012.07.27

「原子力船むつ」の運命

皆さんは「原子力船むつ」をご記憶だろうか。

私にも殆ど記憶はなかったのだが、原潜事故を考えているうちに「わが国最初の原子力船むつ」の名前と、その悲劇の運命が思い出された。


「原子力船むつ」は運輸省の観測船として1968年着工された。

総トン数8200トン。全長130メートル。

造船所-IHI東京。軽水炉-三菱原子力工業。


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陸奥大湊港を母港とし、1974年初の試験航行に出た。

そこで遮蔽リングの設計ミスとかで<放射線洩れ>事故が起きた。

これが大きく<放射能洩れ>と報道され、大騒ぎとなった。

陸奥大湊港は入港阻止を決議し、以後日本中の港が入港を拒否した。


「原子力船むつ」は新造船として出港しながらその後どこにも入港を許されず、16年も漂流を続けたのである。

こんなむごいことがあろうか。


当時の日本には軍艦ではない原子力船を国産技術で建造し運航しようとする元気があった。

それを根幹ではない枝葉のミスを咎めて騒ぎ立て、廃船に追い込んだのである。

どんな機械にも慣らし運転は必要である。まして「原子力船むつ」は新技術の塊りであった。なんと酷いことを・・・

私には当時の反対運動についての記憶、知識はないが、O健三郎やS龍一はきっと今と同じようにアジっていたのだろうと思う。

私には日本の衰退は「原子力船むつ」の運命と共に始まったような気がしてならない。


 

2012.07.26

年寄りのデモ参加

最近の原発再稼働反対のデモに年寄りの参加が多いと喜んでいる向きがある。



ここ10年で日本国民の1人あたり年収は100万円近く下がっている。

考えてみよ。年寄りの年収が1人100万円下がったか?

下がったのは若い人、働く人たちの年収である。

年寄りは若い人たちの年収がさらに下がるような行動をとるべきではない。

若い人たちのために、子供たちのために、というのはおためごかしである。


 


 

うな牛丼を食べた

すき屋のうな牛丼を食べた。

うなぎと牛肉が載って、880円であった。

うなぎはいつもスーパーで1800円で買ううなぎの40%くらいのサイズであった。


旨かった。

年金生活者にとってはまことに結構なメニューであった。


年金生活者だから遠慮して丑の日より1日早く、働く皆さんより30分早い11時半に行って有難く頂いたのであった。


 

災害大国の原発事故経験

幾つか出た福島原発の事故調査報告の中で、「わが国は地震や津波の多い災害大国だから・・・」というのがあった。

だから特別に原発に対して慎重であらねばならない、というのであろう。


それで私は考えた。

地震や津波といえば揺れと冠水である。
これは船である。 原子力潜水艦や原子力空母はどうなんだろう。

調べたが事故記録は簡単には見付からない。

軍事機密だからである。

それにしてもスレッシャー号、スコーピオン号など名前を知る例を含め米ロ合わせて数十件はあるようだ。

船の原子炉事故による直接の死者だけで2000人にもなるだろう。

現在就航中の原潜は米で70隻、露が50隻だそうだ。

乗組員は現役だけで数万人に上る。

どんなに揺れても、どんなに水を被っても、彼らは原潜をやめようとは言わない。


わが国では1度の福島事故で全国の原発を廃絶しろという人がいる。

ヒロシマ、ナガサキの経験の故か?

 

2012.07.25

<たかが電気>派は

私が勤務していた出光では30年前に大分で地熱発電に着手しまし​た。私の同輩もそこに配属されました。

役所の杓子定規、環境保護派の無理解、社内の無関心の中で苦労を重ね、やっと発電が開始されました。
そこでは爾来30年、何の問題もなく、地球の持つエネルギー・地熱だけ​で発電が続いています。故障のないこと、稼働率の高さが特色だそうです。

昨年噴火で話題になった宮崎の新燃岳、あそこの地熱エネルギーは​簡単に利用できる分だけで100万KW級の原発数基分に匹敵する​そうです。

環境保護派、エコ派、たかが電気派の皆さんはそれでも新燃岳の地​熱発電に反対なのでしょうね。


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反原発デモに年寄りが多いと<たかが電気>派は喜んでいるようで​す。
そうでしょうね。若者は自分たちが不幸になる政策を望みませんか​ら。

伊豆で、浜岡原発反対署名が多かったと<たかが電気>派は喜んで​いるようです。
そうでしょうね。年寄りが多いから。


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原発反対を叫ぶ人たちは、こんな記事は目に触れるのも汚らわしい​と読む気はないのでしょうね。
「高速炉」の再評価と技術継承を考えよう  常盤井守泰



従来の原発とは発電方式が全く異なり、桁違いに安全性が高いのだ​そうです。
68才の原子力技術者が、もう自分には実現する時間がないだろう​がせめてこの技術を継承し、いつの日か実現して欲しいと願ってい​ます。



2012.07.21

ショウケイを欣ぶ-独鈷の湯にて

昨日、修善寺に行った。

新井旅館で「幸田露伴の手紙を読む」という催しがあり、冷やかしに行ったのである。


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修善寺 独鈷の湯   右奥が新井旅館


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新井旅館にはこういう文人墨客の手蹟や書画が多く残っており、今回は幸田露伴の手紙を読む集まりだった。

私は古文書?読解に趣味は無いが、幸田露伴には深く惹かれている。


昭和30-50年代、真船豊という劇作家がいた。彼の戯曲が総合雑誌に載るほどの人気作家だった。


~~~塩谷賛「幸田露伴」から引用~~~~~~~~~

ある時真船が塩原温泉に寄ると同じ宿に幸田露伴が滞在中だった。

「ご紹介しましょうか」と宿の者に言われ、慌ててやめさせた。とても自分が露伴と対面出来るほどの人間と思わなかったのである。

数日考えに考えた末、普段ならお目にかかれないが旅先のことだから一目だけと心を決め、衣服を改め名刺一枚を手に参上した。いと静かに障子をあけると露伴は白髭を胸にひろげて大の字に寝入っていた。名刺だけを厳かに置いて引き上げた。

夕食をしていると番頭が現れ、幸田先生が「寝ていて大変失礼した。ただいまもしよろしかったらお出かけ下さい。」との伝言を伝えた。

真船は箸を置いてすぐ立ち、着物を着かえて出掛けた。露伴は黒絽の羽織の紐をきちんと締め、端坐して待っていた。

真船は自分のことをこう名乗った。「私は会津のいなかの酒屋の倅でございまして、ときどき東京へ商用で参りますものでちょっとこちらへ立ち寄りましたら先生が御滞在になっておられますよう伺いましたので、大層不躾ではございますがご挨拶申し上げました。」

相手は偉大な文人で自分は文士のはしくれに過ぎないという意識がこういう言をなさしめたのであった。


「おお会津から」と露伴。こうして二人の付き合いは始まったが、真船の方から罷り出でてお話を伺ってもせいぜい30分がやっとで早々にお暇して帰って湯に飛び込む。そのくせ朝になるとまた行きたくなって行く。

香道の話、茶道の話、ここにある蒲生氏郷野立ての岩の話、お柳さんの話など。そのお柳さんのことを心易く話すが誰のことか分からない。聞き返すのも憚ってやや久しく聞いたあと、やっと足利義政のお局で香道の創始者柳の局であった。これが露伴の話の調子であった。


「このあいだ東京から孫娘が来ましてな。この手すりから見ているというと、その孫娘がはだしになって急流の瀬を越しては川の中の洲へ行き、また早瀬を越してこちら側へ帰る。同じことを何遍も繰り返して遊んでおりまして、早くやめればいいのにと思って眺めていると頭に詩の一句が浮かんだのです。脱履(だっく)してショウケイを欣ぶ、という文句で、700年もまえあちらの人はこの孫娘と同じことをして自然を喜び、それを詩にまで詠んでいるのでして。これは蘇東坡の詩にある文句です。」

ショウケイが真船にわからない。相手にただす勇気はない。こんな句がわからないというのでは話の腰を折ってしまう。いろいろと案じて渉渓という字に思いいたった。


東京に帰ってから真船はショウケイを聞いてまわったが誰も知らなかった。そのうちの1人内田誠が露伴のところに出入りしていて、「先生自身に聞いたほうが早い」と実行してくれた。内田が「真船は渉渓だろうと自分できめておりますが」というと、「字が違う。小さく掲げる、その小掲だ。」と露伴が教えた。

それを聞いた真船は喜んで叫んだ。「ああ、目に見えるようだ。ちょいと裾を掲げて水を超すさまが。字というものはなんと恐ろしいものだ。」


その後久保田万太郎にこの話をすると、「日本にもそれと同じ詩がありますよ。」と言って、「夏川を越す嬉しさよ手に草履」という俳句を示した。作者は蕪村。

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私は独鈷の湯を見ていてこの一文、この一節が頭に浮かんだ。どこに出ていた文章だったか、何とか取り出そうとするがどうにも思い出せない。

一晩考えて、塩谷賛の「幸田露伴」(全4巻)の各章を辿って、やっと在所を見付けた。もう20年も昔に読んだ本である。

 

2012.07.19

新潟港にて

所用で新潟港に行きました。
上越新幹線に初めて乗りました。


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新潟駅前  昭和39年、新潟地震の救援物資(ガソリン)を積んでタンクローリー10数台を連ねて乗り込んだ時以来です


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今回のお仕事


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佐渡航路のフェリーです


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ベゴニアのフラワーボールが見事でした

 

2012.07.11

激輩の一時愉快心

「京師暴発。実に激輩の一時愉快心より生じ、その事採るべきものなし。」


これは<禁門の変>を聞いた時の勝海舟の言であると。


いま原発再稼働反対の官邸デモを”激輩の一時愉快心の発露”とまでは思わないが、”激輩”にわが国の行く末を委ねてはならない。


<禁門の変>において<横浜鎖港>が大きな問題の1つであった。一旦開港していた横浜を、再び鎖港せよとの議論であった。


幸い当時の日本人は攘夷論を封じた。

 

2012.07.09

センセンカクカク

国が買ったら現状通り”立ち入り禁止”だろう。

面白くもなんともない。


都が買ったらどうなるか。

・遊覧飛行

  まず手始めに石垣発着

  ついで那覇から  オスプレイ-借りられるといいな

  ヘリポート建設

・フィッシング

  最初は周辺海域での釣り

  避難桟橋 緊急給油

  魚料理屋 トイレ

・ツアー

  沖縄から  大阪から  東京から

  韓国、マニラ、ベトナム、タイ・・・ 各国から

  台湾をツアーコースに含める  宿泊は台湾にすれば喜ぶよ

・石油探査

  参加資格は東京都に税金を払っている会社


 

2012.07.06

緑のカーテン

わが家の緑のカーテンです。


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ゴーヤ アサガオ フーセンカヅラ


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室内から見ると


 

昨日の生け花レッスン

昨日は7月の生け花レッスンでした。

先生のお宅で2鉢を活けました。


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ギボシ ランタナ キキョウ  全てわが庭で切ったものです


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アガパンサス(わが庭) スモークツリー(先生の庭で) ベニバナ(唯一の購入品)

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持ち帰って一夜明けた今日、活け直しました。


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水盤はYAHOOのオークションで2000円で買ったもの

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アガパンサスは持参したのはミニでしたが、今朝大きい種類のを伐りました
ボーンチャイナのピッチャーは、御殿場アウトレットの”ウエッジウッド”の特売で4200円で買いました。


 

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