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2012.05.02

延命治療と自己決定権

人事不省あるいは自分の意思を表明出来ないない状態で病院に担ぎ込まれ延命措置が始められた後に患者の意志が明らかになった場合、医師はどのように対処すべきか、延命措置は中止され得るのか、という問題です。

認知症の専門医笠間睦氏は、彼のブログ「Aspil・ひょっとして認知症?」に次のように書いています。今年2月の記事です。
ここ

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自己決定権の尊重という、医療倫理上もっとも重要な原則に照らす限り、患者本人の意思が明瞭に示されている場合に延命治療の中止を認めるかどうかが議論の対象となることはありえない。議論の対象になるとすれば、それは、昏睡患者などで、患者本人に意思を表明することができない場合だが、その場合でも、米国の判例は『昏睡患者などで本人に意思を表明することができない状況においても、その自己決定権の行使を保証する』という立場をとり、近しい家族による本人の意思の推定を、きわめて合理的な手段として受け入れているのである。

 米国の医療史において、カレン・クィンランやナンシー・クルーザンの事例は、『患者の自己決定権は延命治療の場においても尊重されなければならない』という原則を、法的に確立する貴重な事例となった。

 医療倫理的には、治療を始めないという決定と、一度開始された治療を途中で中止するという決定とは、患者の自己決定権という原則に照らせば等価の決定である。言い換えると、『治療を継続しなければ死んでしまう』という状況において、『治療を中止する』という患者の決定を受け入れることができないという態度は、『患者の自己決定権は一切認めない』と言っているのと何ら変わりはないのである。

 もし、日本で、『一度つけた人工呼吸器は絶対に外さない』と決めている学会や病院があったとしたら、その学会や病院は『私たちは患者の自己決定権は一切認めません』と宣言しているのと変わらないのだということは、明瞭に認識されなければならない。

 現在の米国医療において、延命治療の中止はルーティンの医療行為であり、昨今の日本のように、『安楽死』や『殺人』と混同されることはありえない。カレン・クィンランの呼吸器取り外しを巡って両親が法的手段に訴えたのは1975年のことだったが、当時、米国でも、延命治療の中止が安楽死と混同されたり、中止に関わった医療者が殺人罪に問われる可能性が論じられたりしたことを考えると、延命治療の中止を巡る現在の日本の状況は、30年以上前の米国の状況に酷似しているといってよいだろう(言い換えると、いまの日本は、米国と比べると30年以上遅れた議論をしていることになる)。
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以上の文章は、李 啓充(り・けいじゅう)医師の書かれた著書から引用し一部改変したものです(李 啓充:続・アメリカ医療の光と影─バースコントロール・終末期医療の倫理と患者の権利 医学書院, 東京, 2009, pp46-48)。

李 啓充医師は、1980年に京都大学医学部を卒業し、天理よろづ相談所病院内科系ジュニアレジデント、京都大学大学院医学研究科を経て、1990年よりマサチューセッツ総合病院(ハーバード大学医学部)で骨代謝研究に従事し、ハーバード大学医学部助教授を経て、2002年より文筆業に専念されております。鋭い医事評論で知られる高名な先生であり、米国ボストン在住です。
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75才以上の人間にとって病院は避けるにこしたことはないようですね。

 

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