歌遍歴
民謡を思い出したついでに歌の遍歴を書いておこう。
~~~流行歌~~~~~~~~~
駆け出しの営業マンとして習った歌の歌い方は、
1.指名されたらすぐに歌え。愚図愚図するな。
2.新しい歌を歌え。古い歌は先輩・上役が歌う。
であった。
だから常に新しい流行りの歌を覚えるのに追われた。
常に手帳に歌詞を書きとめるのであった。
歌わなければ席に連なる資格はないのであった。
~~~軍歌~~~~~~~~~
その頃、料理屋・飲み屋には歌の豆本が置いてあった。
歌詞の載った本である。タバコより2回りほど小さくて厚さも7-8ミリの豆本である。
まず流行歌があって、それから小唄とか民謡がちょっとあって、巻末に軍歌が10数曲出ていた。
私はこの軍歌が全部歌えた。全部歌うと長いから1行目だけをメドレーで続けたものだ。
豆本記載に限らず、軍歌というものは全部歌えた。
私は小学4年で敗戦だから、小学低学年でラジオで聞いて覚えたのだろう。
さすがに日清・日露戦争の歌は少し怪しかった。
軍歌が右翼の歌になって、歌うことをやめた。
~~~寮歌~~~~~~~~~
寮歌もよく歌った。
接待の酒席や飲み屋で寮歌を歌うわけはないので、多分うちの宴会で歌ったのだろう。そうだ、父親が歌うのを聞いて覚えたのだ。
昔のナンバースクールの寮歌は殆ど全部歌えた。
一橋寮歌というのがある。
私は歌詞が印刷されているほどの一橋寮歌なら全部歌える。
寮にも入らなかったのにどこで覚えたのだろう?
長い長い「離別の悲歌」というのがあった。
”人の命の旅の空 憧れ遠く集いより 燃ゆる緑に駒とめて 伝えの小琴まさぐりし
三年(みとせ)の波よ 幻の 光芒今し薄れては おだ巻き返す術もなく 春永久に
恨みあり”
参考書もなしに今、口をついて出たよ。2番も出るよ。やめておこう。
~~~ギター~~~~~~~~~
47歳から50歳の頃、ギターを習った。
清水で、藤田先生の教室に通った。
<コンドルは飛んでいった>とか<禁じられた遊び>とか弾いて、
安倍川上流での合宿や駅前ホールの発表会に参加した。
静岡から東京への転勤の時、送別会で弾き語りを披露した。
曲は南こうせつ<夢一夜>と、玉置浩二の<恋の予感>だった。
今はもう弾けない。
~~~カラオケ~~~~~~~~~
私はカラオケにご縁が無い。
理由ははっきりしている。飲み屋に行かないからである。
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Comments
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「離別の悲歌」を加藤登紀子が歌っているそうだ。 聞いたことはないが。
Posted by: 黒潮丸 | 2011.08.22 17:32