« 彫刻家の敬称 | Main | イングリッシュガーデン講習会 »

2011.07.18

三島由紀夫と小林秀雄と

橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」(新潮社 2002年)を読んで(全体の20%しか読まなかったが)ホッとしたところである。

三島由紀夫は1925年に生まれ1970年に死んでいる。
私は彼の著作を殆ど読んでいない。彼は文学者としてスター作家であり常に時の人であった。ましてやあの死にざまである。多少の本読みであり1935年生まれの私が”読んでいない”のは、よほどの”読まない”意思を反映している。
しかしこれほどの大文学者の著作を読まないことについて、常に”それでいいのかな”、”かたくなな独りよがりではないのかな”の思いも無くはなかった。

今、ホッとして、敢えて三島を読まなかった私の感性も捨てたものではないと密かに自賛している。
橋本治のこの著作の内容をここで紹介することはしないが、彼も三島を読まなかったのだそうだ。理由は自分を文学者と思わなかったから。しかし物書きとしてこの本を書くにあたってはすごい読み込みをしている。「豊穣の海」だけでも3度も4度も。
そして「三島は日本がこのように変わっていくことを全く洞察していなかった。」と言っている。

~~~~~~~~~~~~

私が橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」を読んだのは「三島」への関心からではなく、ちょっと前に彼の「小林秀雄の恵み」を読んだからである。
この本のテーマは小林の「本居宣長」である。

私にとって「本居宣長」はいかにも気になる本であった。書棚にあって、過去何度か読みかけては途中で挫折する本であった。
「小林秀雄の恵み」が「本居宣長」を扱っていることを知って、これを読めば少しは判るかなと思ったのであった。

私に判ったのは「本居宣長」はクソ真面目人間小林秀雄の独りよがりの著作で、本物の本居宣長は桜偏愛の歌詠み人間であったことである。小林のおかげで古事記に却って勿体が付いてしまった。

橋本治は「小林秀雄の恵み」を書くにあたって「本居宣長」を10度も読んだのではないか。橋本が書くまで小林に噛み付く人間はいなかった。凄い物書きだ。
その橋本に「三島・・・」があるのを知って読んだのだった。

~~~~~~~~~~~~

今私は日本の世界的大作家であるM・Hを読まない。
いや、それでも2,3冊は読もうとして買ったことはあるのだが、どうしても読み進められないのである。どうしてか判らないが読めない。

望むらくは何年かたって、橋本治がM・Hについて解題してくれることである。そして”読めなくて当然だよ”と言ってもらいたい。


 

« 彫刻家の敬称 | Main | イングリッシュガーデン講習会 »

Comments

Post a comment

(Not displayed with comment.)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21255/52240242

Listed below are links to weblogs that reference 三島由紀夫と小林秀雄と:

« 彫刻家の敬称 | Main | イングリッシュガーデン講習会 »