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2011.07.31

民謡のこと

TVで民謡の全国大会をやっていた。
なんだか民謡が特殊な伝統芸能と化して、特別な才能に恵まれ訓練を受けた人でないと唄えないものになったいた。
私の若いころには誰でも唄っていた。皆で唄った。
あんな難しいのばかりでなく、易しい民謡がたくさんあった。

例えば正月、父を囲んで家族みんなが集まってお屠蘇を頂く。
そのうちに酒盛りになる。
なんだかお客さんも加わる。そのうちに唄になる。
こういう時はまず民謡だった。小唄ではない。カラオケも無い。

九州の唄が多かった。母の出が宇佐、小倉だったせいか。それとも弟や妹の連合いが八幡製鉄だったせいか。
炭坑節。黒田節。五木の子守唄。田原坂。おてもやん。おはら節。稗つき節。
博多節や刈干切唄は難しかった。

私は社会に出て最初に仙台に赴任した。
そしてまず覚えたのが斉太郎節。松島~の さ~よ~瑞巌寺ほどの 寺もな~いとえ~ である。これは後年出光の50周年だったかに椿山荘で踊ったことがある。
塩釜甚句。花笠音頭。八戸小唄。新庄節。新相馬。
3年の赴任中に難しいと言われたさんさ時雨も覚えた。

次に千葉に行って、千葉の民謡を覚えようと思ったがあまり無いのであった。
それでも白浜音頭、銚子大漁節、木更津甚句などを覚えた。
千葉で営業課長になった時、思い立って小唄を習いに通ったことがある。婆さん芸者の家に通ってそれでも3つくらいさらったか。それが紳士としての素養だと思っていた。いつの間にかやめた。

千葉から転勤したのが昭和48年。
その頃から世の中はカラオケ文化に変わっていった。

 

2011.07.29

紅蜀葵(こうしょくき)が咲いた

今朝、庭の紅蜀葵(こうしょくき)の第一花が開きました。
見事です。


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<汝が為に鋏むや庭の紅蜀葵>   虚子

モミジアオイとも言います。これからしばらくは毎朝幾つか開くでしょう。

 

2011.07.27

買い物なう

三島に映画を観に行った。
ちょっと遠出なのでいつもは遠慮がちに行くのだが、昨日のハンバーグがあるので今日は大きな顔をして行く。

勿論買い物もかねている。
紅茶(200gの大缶を3つ)、パスタソース幾つも、サラダドレッシング幾つも、琥珀接着剤、花の苗いろいろ、などなど。
どれも伊東には無いものである。

映画は「小川の辺り」。藤沢周平原作で東山紀之主演の時代劇である。
東山の幼馴染が家中のトラブルから出奔する。その幼馴染の妻は東山の妹であった。藩主の命で東山が討っ手となる。・・・

監督は知らない名前であった。
山田洋二、木村拓也、檀れいの「武士の一分」の方がずっと良かった。
ただ1点、もろ肌脱ぎになった東山の上半身がバタフライの松田のように見事であった。
余程鍛えているのだろう。

  

2011.07.26

はしたない?

今日ハンバーグを作った。

東北大震災以来ぴたっと止まっていた琥珀磨きのお客様が、夏休みに入って急に復活した。
ここ3日続くし、今日など午前2人と午後2人である。
妻は大忙しなので昼食はいなり寿司を買ってきて、夕飯は私がハンバーグを作った。
味の素のクックレシピを見てその通りに作ったが、大成功であった。

今日のタイトル”はしたない?”はこれからである。
ブログで「ハンバーグを作った」と書いたら、その写真を載せるのが今時ブログの常識だし、作法というものだろう。
その写真の出来栄えを競うことこそ本命なのだ。

しかし私はこのハンバーグの写真を載せることが出来ない。
私にとってそれはあまりに”はしたない”ことだ。
もう私にはブログを書く資格がないのかもしれない。

  

2011.07.21

ニューサイランの花

私が手入れをしている庭で、珍しいニューサーランの花が咲きました。

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(撮影日が違うので光線が違う)


非常に珍しいもののようで、ネットで探すと<40年に一度・・・>と騒いでいるのもあれば、<植えて10年で2度咲いた>と書いているところもあります。


 

2011.07.19

イングリッシュガーデン講習会

16、17日とRHSJ(王立園芸協会日本支部)の集中講座「今改めて英国庭園を知る」を受講してきました。
RHSJでは時々講習会や見学会があり、私は時々参加します。

今回の内容
1.英国庭園の歴史Ⅰ  赤川裕 明治学院大学名誉教授 英国史
2.英国庭園の歴史Ⅱ  赤川裕 同上
3.英国庭園の用語   小嶋めぐむ RHSJ事務局
4.世界中から英国に集められた植物
                二宮孝嗣 セイセイナーセリー代表
5.美しいガーデンと特徴的なデザイン
                吉谷桂子 ガーデンデザイナー
6.英国庭園のトレンドとこれから
                館林正也 花咲園芸総研代表

~~~赤川裕 氏~~~~~~~~~
大昔ケンブリッジにも学んだというが私より年輩でさすがに話が古い。
庭園史に限らず英国史全体にわたる話で、それはそれで有益だった。そもそもイギリスがローマの進駐下にあり、395年に東西ローマの分裂でローマが引き上げた後に残された遺産・・・から説き起こす。こんなイングリッシュガーデン史は聞いたことがなかった。
この先生にランスロット・ブラウンが出現し活躍出来た時代背景をゆっくり聞きたいと思った。

~~~小嶋めぐむ 氏~~~~~~~~~
RHSは毎月機関紙「The Garden」を送ってくる。
そして1月遅れでその和訳を載せた「RHSJ」を送ってくれる。
小嶋さんは事務局でその和訳を担当している方で、とても興味深く話を聞いた。かって私が関心をもったコピシング coppicing も取り上げられていて、議論してみたいと思った。

~~~吉谷桂子 氏~~~~~~~~~
私はたまたま吉谷氏の「英国ガーデン日記」(東京書籍 1996・11)を読んで持っている。これは彼女が夫についてロンドンで暮らすことになり、たまたま買った花の苗からガーデンにのめり込む、今から思えば微笑ましい主婦の旅行記のようなものである。
そこから発して現在の第一線、第一級のガーデンデザイナーとして活躍するまでになるには、才能もあっただろうが随分努力もしたのだろうなとかねて敬服していた。
今回初めてその謦咳に接することが出来た。
内容は一貫して、<イングリッシュガーデンは長く続いたカラースキーム全盛の時代からフォルム重視に移りつつある>であった。このことを熱意をもって2時間テンションを下げることなく語り続けた。その情熱に打たれた。
ちょうどグループを引率した英国ガーデン巡りから帰ったばかりで、その各庭からフォルム重視の現場を見出し、写真を撮ってきていた。
<今年88歳のベス・チャトーにして然り、自分はまだ55歳、少しでもベスに近付きたい。>と結んだ。
最近の日本の園芸雑誌は彼女に寄せ植えばかり作らせているが、もっと本格的な庭作りの場を与えたい。


というわけで、有意義な2日間でした。12時間、びっちり椅子に腰掛けているのは慣れないことで疲れました。
場所は飯田橋の研究社のホールで、初日は神楽坂でうな重、2日目はマックを食べました。


 

2011.07.18

三島由紀夫と小林秀雄と

橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」(新潮社 2002年)を読んで(全体の20%しか読まなかったが)ホッとしたところである。

三島由紀夫は1925年に生まれ1970年に死んでいる。
私は彼の著作を殆ど読んでいない。彼は文学者としてスター作家であり常に時の人であった。ましてやあの死にざまである。多少の本読みであり1935年生まれの私が”読んでいない”のは、よほどの”読まない”意思を反映している。
しかしこれほどの大文学者の著作を読まないことについて、常に”それでいいのかな”、”かたくなな独りよがりではないのかな”の思いも無くはなかった。

今、ホッとして、敢えて三島を読まなかった私の感性も捨てたものではないと密かに自賛している。
橋本治のこの著作の内容をここで紹介することはしないが、彼も三島を読まなかったのだそうだ。理由は自分を文学者と思わなかったから。しかし物書きとしてこの本を書くにあたってはすごい読み込みをしている。「豊穣の海」だけでも3度も4度も。
そして「三島は日本がこのように変わっていくことを全く洞察していなかった。」と言っている。

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私が橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」を読んだのは「三島」への関心からではなく、ちょっと前に彼の「小林秀雄の恵み」を読んだからである。
この本のテーマは小林の「本居宣長」である。

私にとって「本居宣長」はいかにも気になる本であった。書棚にあって、過去何度か読みかけては途中で挫折する本であった。
「小林秀雄の恵み」が「本居宣長」を扱っていることを知って、これを読めば少しは判るかなと思ったのであった。

私に判ったのは「本居宣長」はクソ真面目人間小林秀雄の独りよがりの著作で、本物の本居宣長は桜偏愛の歌詠み人間であったことである。小林のおかげで古事記に却って勿体が付いてしまった。

橋本治は「小林秀雄の恵み」を書くにあたって「本居宣長」を10度も読んだのではないか。橋本が書くまで小林に噛み付く人間はいなかった。凄い物書きだ。
その橋本に「三島・・・」があるのを知って読んだのだった。

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今私は日本の世界的大作家であるM・Hを読まない。
いや、それでも2,3冊は読もうとして買ったことはあるのだが、どうしても読み進められないのである。どうしてか判らないが読めない。

望むらくは何年かたって、橋本治がM・Hについて解題してくれることである。そして”読めなくて当然だよ”と言ってもらいたい。


 

2011.07.15

彫刻家の敬称

建築家とか彫刻家に対する敬称は何だろう?
ネット漁りしたところでは「巨匠」なんてのもあったが、結局<「家」と付けるのはそれ自体その道の指導者の意>の説から、建築家・彫刻家と呼ぶのが敬称らしい。

なぜそんな疑問を?
実はわれらが手元供養塔をお願いした(5月25日の記事)重岡建治氏製作のブロンズ像「絆」が、このたび北京の日本大使館に据えられたのである。
その重岡さんを何と呼ぶべきか迷ったのだが、<彫刻家>でいいらしい。

先月には気仙沼にも行ったらしいし、この分では一義・信子依頼の供養塔はいつになるか判らないが、まあ急ぐものではない。のんびりと待つことにしよう。


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2011.07.14

菅首相の仕事

菅首相が直ちにやるべきこと、それは断じて脱原発宣言などではない。
日本女子サッカーチーム主将澤穂希選手に結婚相手を紹介することである。

かって東京オリンピックで日本女子バレーボールチームが優勝した際、河西昌枝主将に時の総理大臣佐藤栄作は2歳上の自衛官を娶せたのであった。
こういうことこそ首相の仕事なのだ。

脱原発など、勝手に言ってもらっては困る。


 

2011.07.11

梅雨が明けた?

例年より10日も早く梅雨が明けたとTVが言っている。
嬉しそうだ。

私は嬉しくない。
早速水やりのロードがかかってきた。毎日水やりしなければならない。
妻は自分の山野草に朝晩やってくれという。
そこまで出来るか!

私は雨よりも風の方がよほど気になる。
風は怖いが雨は怖くない。
海の上で、遠くの空が俄かに暗くなり、だんだんに近づいてきて驟雨となる。
ざっと降る。そして去って、虹が出る。壮快である。
きっちりと雨支度をすれば身体が濡れることはない。

やまももの収穫が始まって今日で11日。あと2回も拾ってそろそろ終わりである。
これまでのべ15人くらいに差し上げたり送ったりした。平均4キロくらいである。
拾ったうち3分の1くらいを未熟だったり虫食いだったり小さかったりで刎ねるから1軒分6キロ、自宅分も含めたら100キロ以上の収穫か。

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2007年の記事
庭のやまももの実りてリスに食わるるを口惜しとて、主ハシゴに上がりて採りけるに、落ちて肩の骨を折りて詠める
主(ぬし)落ちてリスの天下となりぬども軒のやまもも春を忘るな   黒潮丸
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昨年向かいの空き地の地主が雑木を大々的に剪定したらリスが激減し、今年はリスの食害がほとんど無い。結構なことであります。

 

2011.07.04

恐怖の到来

昨日から風が強く、ヤマモモの実を受けるネットの支柱が倒れてしまいました。

と思ったらさにあらず、ネットに溜まった実の重さで倒れたのでありました。

1日でこんなに獲れて、どうしたらいいのでしょう。10キロ以上あります。
通る人ごとに声をかけますが、通る人が少ない。

まったくどうしましょう?


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2011.07.01

戸田港の大師丸

気仙沼港に初カツオが揚がったニュースが流れた。
そのカツオを揚げたのはわれらが静岡県戸田港の大師丸であった。
万歳。万歳。

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私が戸田村フリークであることは何度も書いた。

伊豆半島北部の西海岸にあるこの港は、波浪を防ぐ砂洲に抱かれ、深い喫水に恵まれ、湾の正面に富士を見る素晴らしい港である。古くから遠洋漁業の根拠地として栄えた。
しかし50年前までは道路が無く、船でしか入れない陸の孤島であった。そのため村民に昔からのしきたりや気質が強く残っている。

出光は石油元売り指定を受けた直後、昭和25年頃にここの漁組と特約販売契約を結んだ。
以来幾星霜、全漁連が戸田漁協と出光の間に割り込もうとしたり、石油ショックがあったり、いろいろとありながら戸田と出光の絆は切れなかった。
遠洋漁業の船主は何隻もの船団を抱え、船長や漁労長を抱えた親方である。普通は自分が漁船に乗り込むことはしない。世界中から無線で入る報告を眺め、ゴルフをしたり麻雀をして遊んでいる。
私はその親方連中とゴルフやマージャンをするのを無二の楽しみとしていた。まさに私の愛する世界であった。出光の歴代の担当者でそんなことをする者はいなかった。そもそも支店長は戸田村などへは行かない。
通いつめた私は遂には漁師のお祭りのとき親方衆しか入れない拝殿に入れてもらうほどの身分になった。

親方連中の中で、大師丸さんだけはゴルフも麻雀もしなかった。そして滅法漁が上手いとの評判であった。今や大師丸は大船団になっている。
その大師丸が28日、気仙沼の港に雄姿を現した。震災後、初めてのカツオの水揚げを行ったのである。
その意気やよし!

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戸田港

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中央が大師丸  何番かは知らない

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恐怖の季節

恐怖の季節がやってきました。
やまももの結実の季節であります。

何が恐怖か。 やまももの実が落ちて、それを拾わなければなりません。
そのままにしておくと発酵して周辺一帯に匂いがたちこめるし、リスは漁るし、コバエがわきます。
落ちるとキチジョウソウなどの下草の間に入ってとてもかき寄せられる状態ではなく、1つ1つ拾わねばなりません。
そこでネットを張って落果を受けるのですが・・・

恐怖その2.
集めた実を処理しなければなりません。
ジャムにするのが一番良いのですが、煮て、種を抜いて、煮詰めてと、立ったままの仕事で幾鍋も煮るのは大変です。毎日続くのです。
リカーに漬けるのは遥かに楽ですが、作っても飲まないので溜まるばかりです。
冷凍といっても5キロ10キロの塊りをそう幾つも冷凍庫の中に置けません。
それに冷凍したやまももはくっ付いてしまって扱い難い。

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(ネットの下はエキナセア)

昨日の朝ネットを張って、さっそく今朝2キロの収穫でした。
だんだんに増えて毎日5キロ、7キロとなります。

実があまり成らないように11月になって剪定するのですが、それでもめげずに実を成らせます。ちょっと型が小さくなる感じがあります。

恐怖の季節であります。

 

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