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2010.11.28

ヨンピョン島異聞

故夏目雅子の亭主が伊集院静であったことは皆さんご承知であろう。
その伊集院静が今年6月、「お父やんとオジさん」という小説を刊行した。

父と母は周防灘小野田のあたりに住む朝鮮人であった。(韓国となるのは昭和23年)
仕事は廻船業のようなことをしていたらしいが、日本敗戦直後の朝鮮人として大層な羽振りだったようだ。
母に弟がいた。つまり伊集院のオジさんである。全国学生剣道選手権に出場、先鋒として無敗、天覧の栄に浴するなど甥にとって眩しい存在だった。
そオジさんが韓国独立に血が騒ぎ、祖国のために働かんと昭和23年帰国した。
実家はソウルの北、38度線より南の韓国側であった。

昭和25年、朝鮮戦争勃発。
一旦は北が釜山まで攻め込み、米韓軍が反撃して中国国境に迫り、中国参戦で38度線あたりで膠着状態になった歴史はご存じの通りである。
オジさんは理想に燃えて北軍につき、従軍した。
しかし戦いは治まり、実家の村では北軍の兵士狩りが始まった。多くの若者が殺されているから恨みは深い。
オジさんは村人から隠れ、実家の庭の鶏小屋の地下に穴を掘って潜んだ。見付かれば殺される。

日本にある姉、つまり伊集院の母は夫に「なんとかならないか」と泣きついた。
お父やんは漁船を購入し、高速船に仕立て、子分数人と共に朝鮮に渡った。昭和27年のことである。
そして暗夜上陸したのが、なんとヨンピョン島の近くなのであった!
彼は1か月後の再会を約して船を一旦日本に返す。
そして単身密行して実家に至り義弟を助け出そうとする。そのための米ドル、金粒、ダイヤを用意している。
曲折あるが、結局お父やんは韓国軍高官にコネをつけ、義弟を韓国軍に潜り込ませて再び漁船で日本に帰国する。
小説ではあるが、粗すじは事実であろう。

ヨンピョン島と日本とは一衣帯水なのだ。
思えば昭和21年、私の父は漁船をチャーターして息子2人(私と弟)を朝鮮から日本に送り出したのであった。

 

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