歌舞伎座とお好み焼き
歌舞伎座に向って左側、昭和通り角に出光のビルがある。かって本社であった。
私が出光の入社試験を受けたのはこのビルであった。面接を受けただけだが。
神戸高商を出て門司で創業し、主に朝鮮・中国・満州に販路を拡げていた店主出光佐三がどうしてこの地に本社を置いたのかは知らない。
松竹は昭和通りに面して出光ビルの左側に4階建ての事務所ビルを持ち、裏で歌舞伎座とつながっていた。
出光はその3、4階を借りていた。
私は入社3年後、仙台から関東支店に転勤してこのビルに入った。
裏が歌舞伎座だから、当然覗き見自在であった。
ある時、歌舞伎座の正面に着けたタクシーから長身白皙の美丈夫が降り立った。
颯爽と、ちょっと恥ずかしげに。
後から年増の芸者が降り立った。粋に、そして誇らしげに。
若き日の柏戸であった。(関脇ころか)
歌舞伎座の右側に文明堂がある。
われらが最寄の喫茶店であった。
文明堂と歌舞伎座の間の路地を入ったところにお好み焼き屋があった。
土間に鉄板のテーブルがあり、間を腰板?で囲ってあった。
座れば周りは見えず、立てばそこはかとなく様子が知れるような作りであった。
よく、座敷に出る前の芸者がお喋りをしていた。木挽町情緒であった。
文明堂にもお好み焼き屋にも、役者は来ないのであった。
一昨日、仕事の前泊で岡山で夕食となった時、私はなんとなくお好み焼き屋に入ったのであった。
TVで”さようなら歌舞伎座”をやっていた。
お好み焼きを食べるのも、私なりのさようならであった。