裕次郎と私
今日は石原裕次郎の23回忌とかで、国立競技場に多勢が集まったようだ。
私の裕次郎との関わりを書いておこう。
(大昔、ブログを始める前に書いたことがあるが・・・)
私は「一橋文芸」の大和田政也に頼まれて「一橋文芸」発行の資金作りを手伝っていた。
資金作りとはダンスパーテイの開催である。
会場を借り、バンドを頼んで、女子大生にチケットを売る。そして利益を出す。
どうしてか私にはそのノウハウがあった。
石原慎太郎が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」が「文学界」の新人賞を獲った。
そこで「一橋文芸」は「石原慎太郎・文学界新人賞受賞記念」と銘打ってパーテイを開き、一稼ぎを企んだ。
名前を使うからには石原先輩に挨拶しておかねばならぬ。私はサッカー部で石原慎太郎と面識がありその使者にたった。
「先輩をダシにしてパーテイをやらせてもらいます。」と言ったら、「ダシにするとは何事だ。」と頭から叱られた。そういう人であった。
この新人賞をきっかけとして「太陽の季節」の芥川賞につながる。
当日の会場は阿佐ヶ谷会館であった。
慎太郎は来なかったが、代わりに裕次郎と岡田真澄が来た。慎太郎なりのサポートであり配慮であった。
私も誰も、裕次郎や岡田真澄のなんたるやを知らなかった。まだ映画に出る直前の彼らであった。
ところが2人が現れるやあたりは騒然となった。女子大生たちは彼らがなんたるかをすでに知っていたのだ。それとも独特の嗅覚か。
確かに2人にはオーラがあった。いや、物凄い熱気だった。
50年たった今も忘れない。
これが裕次郎と私の関わりである。
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