朝日ジャーナル-2
「朝日ジャーナル」を開いてまず眼についたのは次の3人の記事だった。
いづれもワーキングプア・プレカリアート問題で現代のカリスマとなっている人たちである。
よくもこの3人を揃えられたものだ。さすが「朝日ジャーナル」のご威光というか。残光というか。
1.雨宮処凛
フリーター全般労組の役員など3人との座談会記事である。彼女はこのような現場の人というか、目線の低い人たちの話を引き出すのがうまい。
彼女はもともと酷い苛めを受け続け、リストカット、自殺未遂などを繰り返し、右翼に入れ込んだこともある。その後”生きづらさ”に抗議する立場に立ち、ロリータファッションで反貧困ネットワークなどの活動を続けている。<プレカリアートのマドンナ>とも呼ばれるそうだ。
この座談会の内容は冴えない。最近刊の「排除の空気に唾を吐け」(講談社現代新書)もいまいちだった。
どうも彼女は今また1つの踊り場に立っているようだ。非常に頭のいい人だからいずれ方向を見付けるだろうが。
2.赤木智弘
<「丸山真男」をひっぱたきたい――31才・フリーター。希望は、戦争。>
彼はこの1行で時代の寵児となった。肩書きは「フリーター」から「フリーライター」に変わった。そして「朝日ジャーナル」からインタービューを受けている。
しかしこの1行だけでは寺山修司にも尾崎豊にもなれない。これからどこへ行くか?
3.湯浅誠
年末の日比谷・年越し派遣村で名前を馳せたことはご存知だろう。目立つので右翼論客の格好の標的になっている。
私は初めて知ったのだが、東大博士課程、「反貧困」(岩波新書)で大仏次郎論壇賞受賞、著書多数と大変なインテリだ。
この「朝日ジャーナル」では<貧困が生んだカリスマ―湯浅誠の一日>を追っている。
彼を社会活動家と呼ぶべきか。社会思想家と呼ぶべきか。
自分では「政治家にはならない。」と言っているようだ。
ほかに<「神々」と「新人類」の語録が映す四半世紀>という記事があった。筑紫哲也が84、85年に対談した当時の「神々」の今の写真が出ている。糸井重里、中島梓、如月小春、椎名誠、野田秀樹、林真理子、西和彦、日比野克彦、泉麻人などなど。
私はこの当時「朝日ジャーナル」を読んでいなかったし、筑紫哲也にシンパシーはないし、「神々」の今の顔はつまらない。
この号は記事が多すぎる。もう出せないと思って頑張り過ぎたか。
多いからばかりではないが、<大学教授>の書いたものは全部飛ばした。
政治家の世襲と並べると反発するだろうが、大学教授はある意味世襲で、保身のトーチカの中にいる。
私が一番感じたのは、<吉岡忍が詠むニッポンの風景―この国で生きるということ>だった。
肩書きに「ノンフィクション作家」とあるが、立派な文学作品だった。
« テレビと朝日ジャーナル | Main | 愛しのラブ »
The comments to this entry are closed.
« テレビと朝日ジャーナル | Main | 愛しのラブ »
Comments