黒部第三、第四
先にTVドラマ「黒部の太陽」を見て、「黒部のトンネル」の記事を書いた。09・3・23
その後、次の2冊を入手して読んだ。
「黒部の太陽」(木本正次 信濃毎日新聞社 昭和39年-文庫平成4年 800円)
「高熱隧道」(吉村昭 新潮文庫 昭和42年-文庫昭和50年 400円)
どちらも文庫は入手可能である。
「黒部の太陽」は昭和31-38年の黒部第四発電所の建設工事の記録文学?である。
ひょっとすると関西電力とのタイアップがあったかもしれない?
それはそれとして迫力のある記録ではある。
物語の山場は、トンネル工事での破砕帯突破の苦心である。
工事は幾つかに分けて発注された。
ダム本体、発電所本体などは大成や鹿島が請け負い、金額も大きい。
しかしトンネルを掘るのは熊谷組、佐藤工業、間組などの土木屋である。
その土木屋の鼻息、体臭がフツフツと伝わってくる。
先に書いたように私は36-40年頃土建屋に油を売り込んでいた。あえて土建屋と言おう、建築屋は油を使わないから縁がない。
その土建屋と商売をした体験からいって、あの頃の土建屋の意気込みや迫力は今とは全然違っていた。
懐かしい。
(Fさん、日本国土開発の名前も出てきますよ)
この黒四の大工事は、黒三の築いたトンネル、軌道、エレベーターなどに大きく依存した。
黒三を知らずして黒四を語るな、と言いたいほどだ。
「高熱隧道」は昭和11-15年の黒部第三発電所トンネル掘削工事の記録である。
記録とはいっても工事から25年以上も経った後で、まだ若かった作家吉村昭が執念で集めて書いた記録である。
トンネルを30メートル掘り進んだところで切端の岩盤の温度は摂氏65度に達した。
そして進むにつれ温度は上昇し、遂には摂氏165度にまで上ったのであった。この高温は最後まで続く。
こんな環境で人間がどうやって作業するのか?
10メートル後ろからホースで冷水をぶっかける。そしてそのホースの人間にまた後ろから冷水をかける。
切端の穿孔夫は20分の作業で倒れて交代する。
冷水はたちまち40-50度の熱水となり、腰までの高さで坑道を流れ出る。
切端では削岩機で1メートルほどの穴を穿け、そこにダイナマイトを詰めて、点火して爆発させるのである。
火薬物取締規則では穴の温度は40度以下と定められている。法規は無視される。
60度を超え、100度を超えて自然発火の危険は高まる。
ダイナマイトを竹でくるみ、エボナイトでくるんで熱の伝達を遅らせようとする。
穴に氷の棒(アイスキャンデー)を突っ込んで束の間の熱を下げる。
しかし遂に自然発火は起きて、8人が死ぬ。
富山県、富山警察は工事の中止を命令する。
工事の再開は出来ないとのムードが拡がる。
そこにどういう力学が働いてか、死者に天皇からのご下賜金が下される。
以後、工事の中止を云う者はいなくなった。
冬のある夜、雪崩の予想される気象条件となり、宿舎の人間に坑道に移るよう勧告が出される。
翌朝、宿舎が消えていた。
全員で谷に下りて宿舎の建屋を探すが見付からない。
なんとコンクリート造りの建屋の2-5階が580メートルも吹き飛ばされていた。
泡(ほう)雪崩という現象だという。
黒三での死者は300人を超える。
黒部ダムの全体を知りたい方は「黒部の太陽」「高熱隧道」の順で読まれるとよい。
黒部の自然を知りたい方は「高熱隧道」を読まれるとよい。
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