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2008.12.10

石油の物々交換

ドルに恨みは数々ござる、と書いた。
かって出光はドルがなくて、石油を物々交換で買ったことがある。

1951年、イランは自国の石油を国有化した。
当時イランの石油や施設はアングロイラニアン石油会社のものであり、国際石油カルテルは猛烈に反発した。英国はアバダン沖に軍艦を派遣した。
イランは孤立し、石油は売れず、タンクに石油が溢れた。
イタリアの会社が購入契約を結びタンカーを向けたがたちまち拿捕された。
そんな中で出光も契約を結んだ。そして虎の子の日章丸を派遣して見事に満船の石油を持ち帰った。
1953年、昭和28年5月のことである。
戦後の鬱憤を晴らす見事な行動に、日本中が喝采を送った。
持ち帰った石油を差し押さえるべく裁判が起こされたが、世界中が注目する中で国際司法裁判所は差し押さえの無効を判決した。

こうして出光のイラン石油輸入が始まったが、出光には肝心のドルがなかった。
日本政府は<既に割り当てたドルの支払いは認めるが、新たにイラン積みの石油に外貨は割り当てない>と通告した。
出光には140万ドルの手持ちしかなかった。これでは契約の責任引取量の4分の1しか支払えない。
どうするか。
1954年5月、イラン国営石油会社のM部長が来日し、船、鉄鋼製品、化学薬品、ゴム製品、繊維製品、雑貨など200万ドル分を発注した。
その代金は品物が船積みされるごとに出光が円で立替え払いし、その金額相当分だけ、イランから無為替で石油を輸入するという方式がとられた。バーター貿易である。
(「二つの人生」 出光計助 講談社)

石油のドル決済は米国の世界戦略の重要な柱である。
今次米国がイラクに攻め込んだのは、大量破壊兵器もあった?が、サダム・フセインが石油の自国通貨決済を始めたことも大きな要素であったと聞く。

出光佐三は巨人であった。
出光は元気な会社であった。
いまの日本に、政府に楯突き、アメリカを敵に廻してドル本位制を突き崩す引き金を引く実業人のありや?

 

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