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2008.05.03

戸田村の地政

このところ吉村昭の幕末物を4冊読んだ。

「歴史を記録する」河出書房新社
「落日の宴-勘定奉行川路聖謨」講談社
「桜田門外の変」新潮社
「天狗騒乱」新潮社

「歴史を記録する」は過去の対談集を07年にまとめて出版されたものである。
30年以上前からの対談が集められているが、その発表の舞台が「歴史読本」「歴史と人物」「各全集の月報」などと非常にマイナーである。
対談相手は多岐にわたるが、対等もしくは相手の方が上の感じがある。
ああ、吉村昭は苦労してきたんだなあ、と思った。
彼がメジャーになったのは「桜田門外の変」を書いたあたりからではないか。
努力を続けた人だ。

それにしてもペリーとの日米和親条約が1854年。プチャーチンとの日露和親条約が1855年。桜田門外の変が1860年。水戸の天狗党騒乱1864年。
この間わずか10年である。私が出光をリタイアしてからの年月に足りない。
明治維新は1867年。天狗党のこの時代錯誤はどういうことか。水戸から越前まで流離って、1000人が惨殺された。

嬉しかったのはプチャーチンが下田の大地震で船を壊し、戸田(へた)村で代船を建造する経緯が詳しく書かれていたことだ。
戸田村フリークの私としては我が意を得たりであった。
川路聖謨は全権大使として下田に居たが、プチャーチンが戸田村で建造したいと言い出した時、日本側の役人は誰も戸田村の場所を知らなかったそうだ。
家康の時代から伊豆代官を勤める家柄の江川太郎左衛門すら戸田村を知らなかったという。
戸田村はそれほど陸からも海からも隔絶した港だった。
当時クリミヤ戦争中で、プチャーチンらは英仏の軍艦に発見され攻撃されることを怖れて戸田村を選んだという。ロシア人は戸田村の地政を知っていた。

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