NOVAの教師
1995年にNZの16歳の高校生を交換留学生で1年間わが家に預かった。名前はケイティ。
当時私はマリーナ建設で豊橋市に住んでおり、彼女は時習館高校に通ったのであった。
ケイティは帰国後オークランド大学を卒業し、再び日本にやってきた。NOVAの教師としてであった。
私は伊豆高原に移っており、彼女がNOVAから与えられたアパートは藤沢で、よく遊びに来た。教師仲間の友人を連れて遊びに来た。
彼ら彼女らはよく旅行をするようであった。
ちょっとした休みをとっては中国をはじめアジア各国を訪れていた。
ケイティは中国からロシアに入り、汽車でヨーロッパに行く旅行もした。
どうやらNOVAは彼らがアジア各国を見聞するための拠点になっているようであった。
ケイティはその後NOVAの教師仲間のイギリス人と結婚し、今はバーミンガムに居る。
ケイティの妹もNOVAの教師をやり、教師仲間のオーストラリア人と結婚した。
NOVAはまた彼らの青春の場所、若者宿のようでもあった。
文部科学省のどんなプロジェクトもNOVAほど多くの海外青年を日本の文化に触れさせてはいないのではないか。
添付の写真はケイティのオークランドでの結婚式である。
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別の話。15年前のこと。
当時私はヨットを東京湾マリーナに繋いでいた。
若い友人が時々自分の<英会話の先生>のカナダ人の青年を連れて来た。
ある時、なんでもアブダビで<いいお金になる>仕事があると言って出て行った。
ところがしばらくして彼が舞い戻って来た。話がうまくいかなかったらしい。
加えて、帰日してすぐ電車の中で全財産を盗られたという。きっと眠り込んでいたのだろう。
日本に戻ったばかりだからそれこそ無一文、無一物である。ホテルに泊る金もない。
カナダ大使館に行けと言ったがグズグズしている。行けない理由があったのかもしれない。
英会話教師の仕事はすぐにあるのだが、さしあたってアパートを借りる金もない。
(当時はNOVAのようにアパートを提供する慣習がなかったかもしれない)
それで、いささかのカンパをし、わがヨットに泊めてやったのであった。
数ヶ月続いたか。
私は今でもヨットに寝泊りする生活に憧れている。
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