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2007.08.26

北の本4-樺太生まれ

このところ「北の本」シリーズを書いているが、私がこれらの本に関心を持ったのは私の<生まれと育ち>からである。
私は樺太で生まれ、朝鮮で育った。

日本社会では植民地に生活する者は一般に<食いつめ者>とみなされた。内地で食うに困った者が一旗揚げようとて外地に乗り出したのである。
それ故<樺太生まれ朝鮮育ち>の出自を言うことは、私にとって永らく憚られることであった。
しかし私の記憶も衰えてきた。孫や子のために、私が樺太で生れた理由を記しておきたい。

~~~森下一郎・きそ~~~
私の父方の祖父森下一郎は愛知県渥美郡中山の出身である。
伊良湖岬の内湾の半農半漁の村で、家は屋号を「弥治兵衛」という薬屋・医者?であったらしい。
一郎は長男でありながら薬屋にあきたらず、蚕の種紙とか新種の漁具などに手を出し、ついに大正の中頃新天地を求めて樺太に飛び出した。
祖父のために弁じておけば必ずしも食いつめての出奔ではなく、田畑は残していったという。
ところが後を託した弟が博打に狂い、田畑の一部を売ってしまった。
外地出奔といい、田舎博打狂いといい、血の気の多い一統ではある。
新天地に何を求めたのか祖父からも父からも聞いたことはないが、樺太・豊原(現ユジノサハリンスク)に開いた「美好軒」という小間物屋の写真を見たことがある。「弥治兵衛」の延長か。
祖母きその実家は村に1軒の旅館「小川屋」で、今に続く。美しい女性であった。
1男3女をなし、男が私の父梅一である。

~~~三浦義雄・しず~~~
母方の祖父三浦義雄は大分県宇佐の出身で、軍人であった。
大正軍縮により(ワシントン条約による海軍軍縮だけでなく、財政事情からの陸軍軍縮もあったのだ)、37才中佐で退役する。
退役後も北辺で国にご奉公と樺太に渡り、牧場や僻村の村長をやっていた。
祖母しずは北九州小倉の出で、旧姓古石。
2男5女をなし、長女が私の母節子である。

~~~森下梅一・節子~~~
父森下梅一は豊原中学、小樽高商を出て、昭和7年樺太庁に就職。思えば昭和不況の最中であった。
昭和10年三浦節子と結婚。
昭和13年朝鮮総督府咸鏡北道庁羅南支所に転属。
昭和15年日本高周波鋼業城津工場に転職。製鋼一貫の大軍需工場であった。
帰国後、中部製薬、フジヤマ交易、東京交易など。
母節子は豊原高女卒。教職に就いていたが梅一と結婚。
3男1女をなし、長男が私一義である。
梅一は昭和42年55才で死去。節子は94才で健在である。

~~~森下一義~~~
昭和10年豊原に生れる。
4-11才北朝鮮に育つ。
北朝鮮からの引揚げ体験はここに記す。<闇舟体験>

かくして私は沿海州、サハリン、カムチャッカの本を読み漁るのである。
ツングース、ギリヤーク、オロチョン、アイヌなど少数民族の運命に思いを馳せる。
しかし樺太への郷愁はない。何も記憶がないから。

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