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2007.07.22

「花と龍」火野葦平

入院中に「花と龍」(火野葦平)を読んだ。
カバーの惹句によればこんな物語である。
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明治の終わり、故郷を追われ北九州若松港に流れてきた男と女。二人は最下層の荷役労働者となり、度胸と義侠心で荒くれ男を束ね、波止場の暴力と戦う。
男は玉井金五郎、女はマン。男の腕の刺青は昇り龍に菊の花。
港湾労働の近代化を背景に展開する波乱万丈の物語。
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私はかねて若松港になんとない憧憬があった。
昭和40年前後、私は石油会社の重油販売担当であった。
時はまさに石炭から石油へのエネルギー転換の最中であった。
政府の石炭保護政策、石油輸入のための外貨事情など多少の紆余曲折はあったが圧倒的なコスト差には抗すべくもなく、石炭から石油への転換は奔流の如く進んだ。
当時のエネルギー多消費産業は鉄鋼、紙パルプ、セメント業界であり、その全てはそれまで石炭会社の商圏であった。私の営業担当先は主としてセメント各社であった。各社を訪ねその利を説いた。
石油転換が決まれば石炭会社はたちまち商権を失う。採炭から物流、営業まですべての関係者が職を失う。

そこで緩和策として採られた手法が石炭会社を窓口として石油を納入することであった。
購入側は従来の納入シェアを勘案して石炭会社に重油を発注する。石炭会社の営業は継続する。
しかし需給状況等を背景として価格交渉権は石油会社に移り、納入量の決定も購入会社と石油会社の商談となり、次第に石炭会社は単に通り口銭を受領するだけの存在と下した。

当時私が担当した石炭会社は住友石炭鉱業、三井鉱山、明治鉱業、貝島炭鉱、常磐炭鉱などである。
当時私は30才前後の若僧、対するは40-50才の石炭会社のエリートであった。彼らの営業経験、営業力は凄まじいほどのものであり、とても石油会社の若僧が及ぶところではなかった。
ある時私は聞いた。「石炭の営業と石油の営業の違いは何ですか?」
答え。「石油は買ってきたものを売るんだろう。石炭は自分の山を掘って売るんだ。」
私はこの答えに彼らの石炭営業に対する強烈な自負と、通り口銭を得るだけの現状に対する深い悲しみを聞いた。未だに忘れ得ない。

彼らが一様に懐かしむのが若松港の繁栄だった。
昭和20年代、石炭が日本の戦後復興を支えるエネルギーの太宗だった時代、彼らの青春時代、とても太刀打ち出来ない彼らの酒の飲み方、彼らの語る若松港はその象徴だった。
私は今は無き若松港に憧れた。

玉井金五郎の活躍する若松港は昭和初めである。私が石炭屋さんから聞いた若松港は昭和20年代である。私が実際に見た若松港は昭和40年以降である。
その若松港を舞台に描いたという小説「花と龍」をかねて読みたいと願っていたが、文庫本はすべて絶版であり、伊東図書館では見つけることが出来なかった。
しかるに先頃岩波現代文庫が復刻出版し、上下800ページを超える大冊をこの入院を機会に読んだのであった。
読んだ感想は、「読んでよかった。」

特に後半、その緊迫感、スピード感は最近のミステリーにひけをとらない。
さもありなん。登場人物はすべて実在の人物であり、実名だという。
そして沖仲仕組合のストの旗を振る玉井金五郎の長男玉井勝則こそ火野葦平その人である。

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