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2007.06.29

三重苦?四重苦?

わが家は一挙に四重苦の状態に突入した。


かねて足親指の爪に宿痾があり、根治すべく何度目かの手術をすることになった。
慶応信濃町に6/25-28と7/9-18入院する。


肩の打撲と思っていたら骨に損傷があり手術・入院を宣告された。
7/4入院し退院まで2週間。伊東市民病院である。
現状肘から先は異常ないのだが腕が上がらない。

ロビー
留守中の世話を頼むべくS氏に来てもらったらロビーは手をかいくぐって脱走した。
責任を感じてS氏が追いかけ、勢いあまって転倒し頭を木の枝にぶつけて裂傷、出血した。
さらにロビーは私が剥がしておいたシップ薬(肩の貼り膏薬だから大きい)を咥えて飲み込んでしまった。妻は腸閉塞を心配する。

植物類
留守中の水遣りをどうするか。
やまももは毎日降ってくる。

要するに年寄り世帯ということであろう。

2007.06.27

草月流武田陽信とシドニーホバートレース2

武田陽信の<Vago>が参加した1969年#25シドニー・ホバートレースに関する「舵」誌の記事は次の4本であった。

69/11 「シドニー・ホバートレースを語る」 対談大儀見薫:大沢浩吉
  対談で大儀見氏がレースの歴史等について既に多くの知識を集め、前年米艇のクルーとしてこのレースに参加した大沢氏からレース現場の知識を得ようとしていることが判る。
69/12 「日本のクルーザー<Vago>」 武市俊
  武市氏は日本の数少ないレーシングヨットのデザイナーである。このリポートにより<Vago>が設計当初より大儀見氏をリーダーとしてシドニー・ホバートレース参加を目指して建造されたことが判る。
  武市氏はオーナー武田陽信より「日本で作り得るベストの外洋レーサーを作ってくれ」と言われたと記す。当時(現在もそうであるが)ヨット用金具備品など国産品がなく専ら輸入に頼ったが、オーナー武田氏が率先手配入手してくれたと記す。武田氏は雑貨輸入会社オーナーでもあった。個人輸入もネット通販もない時代である。
  なお武市氏は1991年ジャパン・グアムレースにおいて<タカ号>で遭難後救命ボート内で死亡した。6名が乗り移ったが佐野三治氏以外は死亡。
70/3 「シドニー→ホバート・レース」 無署名
  レースの概要に関するリポートであり、詳しい。
  79艇出場のこの国際レースにおいて21位の成績は素晴らしいと評価出来る。
  先の武田陽信氏の写真はこの記事中にあった。しかし特に<Vago>に関する記述、<Vago>からの発信はない。
  このレースの優勝艇は<Morning Cloud>、オーナー・スキッパーは英保守党党首エドワード・ヒースであった。ヒース卿は翌70年-74年の英国首相である。
70/4、5 「<バーゴ>の航海日誌」 大儀見薫
  レース艇<Vago>のスキッパーによるログ・ブックである。GPSのない時代であり、ヌーンサイト、スターサイトが懐かしい。
  乗員はスキッパー・大儀見薫、オーナー・武田陽信、武市俊、ドナルドソン中尉(気象担当)、村本、大沢、山下の7名であった。
  オーナー武田の言動に関する記述は全く無い。

このように<武田陽信>の実像を求めて資料を探したが<武田陽信>の姿はさっぱり見えない。
私はその理由を次のように考える。
1.「オーナーは金だけ出して口を出さないのがよい」とする美学が一部にあり、この当時にはその気風が現在より強かったかもしれない。
2.レース直後の70年1月草月流に脱税容疑の査察が入り武田は渦中の人となった。スキャンダルだけに本人もマスコミも露出を控えたのかもしれない。
3.武田自身が出しゃばりでなかった?
4.大儀見薫の性格?
  記事全体を通して大儀見薫の存在ばかり大きく出て、オーナー武田の影が薄い。これは大儀見の性格によるのではないか?
  大儀見氏は豊富な知識経験を生かして長らくNORC(日本外洋帆走協会)の各種委員会において指導的立場を果たした。シドニーホバートでの21位、<波切大王>によるメルボルン大阪ダブルハンド優勝など実績も残している。ヨット界の功労者である。しかし非常に癖の強い人物だったようだ。
  詳しくは知らないが氏はリーダーズダイジェスト日本社のオーナー一族であった。戦後の一時期一般人には入手出来ないほど人気のあった雑誌である。その最後の編集長塩谷紘氏が「リーダイの死 最後の編集長のレクイエム」において経営陣に痛烈な批判を残しているという。<雑誌出版社でありながら本業に力が入らず社員の士気が低く、そのくせ外資系会社の給与体系で高コスト体質。まさに潰つぶれるべくして潰れたともいえる>
  私は出光在籍時一度大儀見氏の訪問を受けたことがある。「ポーランドで安い帆船を見つけた。絶対に安い。出光も一口乗ってくれないか。」多分現在の<海星>である。私にはなにか儲け話を持ち込まれたように聞こえた。
  NORC副会長だった大儀見氏がどうして協会から消えたのか私は知らない。

日本セーリング連盟(JSAF JYAとNORCが合併)のボード「日本ヨット界の歴史」には、スキッパー名ではなくオーナー名で記録が残る。
<1969年 シドニーホバートレースに武田陽信氏の<バーゴ>が参加>

2007.06.25

草月流武田陽信とシドニーホバートヨットレース

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先に「馬とヨットと花と」と題して、草月流勅使河原霞の夫武田陽信が<咆える40度線の荒れるシドニーホバート・ヨットレース>に日本艇として初めて参戦したことを書いた。参照
しかしその時はレースの状況に関して何の情報もなかった。

本日、いろいろあって痛む左腕を抱えながら上京し、時間を割いて千駄ヶ谷のスポーツ図書館に寄り、舵誌の69年70年分を跋渉していささかの情報を得た。
細かくはいずれ報告するとして、とりあえずレース結果と武田陽信の写真だけを送ろう。
武田の木造34F艇<バーゴ>は1969年12月26日シドニーをスタートし、4日あまりでタスマニア島ホバートにゴールした。出艇79艇中21位であった。

写真は2枚あった。
天下の草月ファン諸姉よ、これがあの令名を馳せた草月流跡取り勅使河原霞が「草月を捨ててでも」と奔った男武田陽信でありますぞ。彼はその時2児のある既婚者であった。
この厳つい顔。なにか勅使河原蒼風に似ると思うのだが如何?

2007.06.24

転落お見舞い御礼

やまもも採りの梯子からの転落事故に何通かのお見舞いを頂いた。
感謝します。

その後の経過。
肩は廻るし何事もないかと思ったが、打撲部分が痛んで腕が上がらない。
肘から下は問題ないので細かな仕事は出来るが、腕が上がらないので車の運転が出来ない。
妻に白状せざるを得なくなった。
デイック・フランシス(イギリスの競馬シリーズ作家)ならどうするだろうかと考えた。痛み止めの注射を1本打てば済むことだろう。

岡本かの子の歌。
<年年にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり>
しかるべき歌集に収録されているのだろうが、私が最初に読んだのはたしか小説「老妓抄」に出ていて強く記憶に残った。
彼女の代表詠の1つ。
わが愛唱歌の1つ。近年とみに身に沁みる。

2007.06.23

やまももの収穫

今年もやまももの収穫の季節となり、ネットを張った。
熟した実が下に落ちると拾い難いし潰れるしで厄介なのでネットを張る。

昨年は裏年というか不作だったので今年は期待した。
ところが思わぬ事態となった。
リスが熟した実を食い荒らし、種をネットに落とすのである。
昨年まではこんなことはなかった。どこで学習したのか。特に餌のない夏だとは思わないが。

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一昨年の大豊作の時、毎朝2キロも3キロもネットに溜まっていたのを思うと残骸の種を見るのは悲しい。
憂鬱なので熟した実を食われる前に手で収穫することにした。
梯子に登って採る。
多いように見えたが一昨年よりは明らかに少ない。でも収穫は楽しい作業だ。熟した実は宝石のようだ。
(一昨年と今年の枝の比較写真を載せる)
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採りながらこの歌が思い浮かんだ。
<年年にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり> 岡本かの子
わが生活に華やぎがあるわけではない。高梯子に登っての作業に華やぎを感じたのである。

その直後であった。
梯子はゆっくりと転倒し、私は地表に叩きつけられ左肩を強打した。
しばらく動けなかったが徐々に回復した。幸い骨折も脱臼もなかったようだ。僥倖であった。
今は片手でキーを打っている。
妻は不在だった。妻には言えない。叱られる。

もうリスとの先取り競争はやめる。年年にわが悲しみは深くして・・・

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2007.06.21

名前のふり仮名

年金の話ではない。健康保険でのことである。

私の名前は「一義」で「カズヨシ」と読む。
先日健康保険証のふり仮名が「カヅヨシ」となっていることに気がついた。
放置してはまずいのではなかろうか。

私には「カヅヨシ」と書く習慣がないから健保組合の転記ミスと考えられる。
出光健保組合に訂正を申し込んだがこれが簡単ではなかった。「カズヨシ」である証拠を出せという。
その証拠がない。
免許証にはふり仮名がない。パスポートはローマ字である。ZUはズか?ヅか?

結局ご大層な「修正申告書」を提出するはめになったのだが、そこに理由の記載欄があった。
「カズヨシが正しいから」と書いて出した。

ふり仮名とは難しいものである。
うちの娘は「明子」で「メイコ」と読む。
きっと社会保険庁に何度も電話していることだろう。


2007.06.19

老人惚け2

ライブドアニュースによると、丸川珠代の選挙事務所に石原慎太郎都知事が予告もなく現れ丸川を激励したという。
どうやら息子の石原伸晃の顔を立てたらしい。
老人惚けの一種であろう。

さきほど共生新党の事務所から女性の声で電話がかかった。
一瞬なんのことやら判らなかったが、例の黒川紀章の政党事務所であった。
今度大会を開催するから出席してくれとの口上。
驚いたね、メールでの世界かと思っていたら人を雇って電話代をかけて運動を開始した。
これも老人惚けの一種か。

それに付き合っているのも惚け。

2007.06.18

老人惚け

朝鮮総連の建物売買騒ぎに関連して、某Web論客が早い時期から「老人惚けではないか」と評していた。
たまたまうちの愚妻も論客の意見は知らずに「あの人、惚けてんじゃないの?」と言っていた。鋭い。

この世の中、老人惚けがはびこり過ぎている。
私の定義する<老人惚け>は、「固定観念が強すぎて、新しい情報が柔軟に浸透しない。」状態である。
土の古い鉢に水道(みずみち)が出来てしまっていて、いくら水をやっても全体を湿らせずに水道を通って流れ出てしまう状態である。
必ずしも判断力に衰えや錯誤が生じていなくても、新しい情報が入らないのだから結果として判断は誤る。

わが属するクラブでもそれに起因する衝突が多い。
私自身がその状態である。
交代を切願している。
切願しながら、クラブの存続も切望している。

2007.06.16

オープンガーデン反省会

昨日は伊豆オープンガーデン「春の一斉公開」の反省会だった。

出席22名。欠席9名。
議事録を作成して今日発送した。ここには公開しない。

反省事項の中に、「反省会は慰労会にしようよ」の提案があった。
その通りだと思った。忙しい時期を1つ乗り越えたのだから楽しみもなくてはいけない。
来年からは盛大にやろう!

といって予算は2000-3000円/人ということだったが。

2007.06.14

挿し芽

昨日、一昨日と挿し芽作りで暮らした。
ペチュニアやマーガレット、ストレプト・カープス、コリウスなど草本類は4月15日に挿して、もう定植できるまでになっている。
活着率は90%以上であった。

今回挿したのは、
ランタナ白、姫フヨウ、フクシア、ハクロニシキ、山吹-八重の白の木本類である。
これらが大きくなってもわが庭にはもう植える場所はないのだが、花の苗フリーマーケットで売る魂胆である。
2-4年おいて大きく育てたらいい値で売れるだろう。
山吹など300-500円になるかな?
苗木生産者になった気分である。

庭に目を向ければすることは山ほどある。
盛りを過ぎたカンパニュラを抜いて、種から育てたハイビスカス・バニラを植えた。
先日植えたコスモスやひまわりの苗の補植。
頂いたワトソニアの苗を山に植える。セージの変わり色ももらってあったので植える。
地王が元気で子供がいっぱい生えていたので小鉢に移す。これは売れそうだ。

雨が降り出した。梅雨に入ったか?

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2007.06.11

ランの植替え

ランの植替えをした。今年は全鉢の半分くらいの10鉢を植え替えた。
本当は5月中だったのだがちょっと遅れた。

なんだかんだと忙しいことだ。

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ツルニンジン

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この写真は昨年9月の写真である。近所の空き別荘地に素敵な花が咲いていた。
名前を知りたくて写真を撮り、
「何の草花?BBS」
に送ったところ「ツルニンジンだろう」と教えてもらった。

ところが今年2月になってその別荘地の開発が始まった。
樹木を切り倒して土地を均している。
「まずいな」と思ったがツルニンジンの生えていた場所は辛うじて残った。
葉の伸びてくる今月まで待って、写真と照らし合わせてやっとツルニンジンのツルを見付け出した。
藪の中から掘り出すのは大変だったが執念で15センチほどの根(ニンジン?)を堀り上げた。

そして鉢に生けて日陰に置いた。
この写真ではよく判らないだろうが開発からの保全活動である。

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2007.06.10

窓辺の花

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今日の窓辺の花である。

花瓶の花はどれも庭から摘んできた花だ。
アジサイ(城ヶ崎)、キンシバイ、サルビア・ガラニチカ、カンナ、時計草、ホタルブクロ、ホスタ・カーニバル

予定では今日あたり鹿児島に飛んで土佐までセーリングに参加するはずだったが、やめた。
ガーデンの方が1年で最も繁忙期なのだ。
請負ったガーデンの植込み、オープンガーデン新潟訪問、八ヶ岳近郊ナーセリー巡り、ガーデンデザイン勉強会・・・
身が保たない。

田舎暮らし-図書館事情

伊東図書館には月2回は行く。貸し出し期間が2週間だから。
行って見るのは殆ど新刊書の棚だけだ。

その棚がいかにも狭いと思っていたら、伊豆新聞に記事が出た。
市民1人あたりの年間図書購入費が97円で、県内23市中、下から2番目だそうだ。
貧乏だから仕方ないか。

図書購入もさることながら建物・室内がみすぼらしい。30年か40年昔の雰囲気である。
稀に三島や沼津の図書館に行くと明るくて広くて高級そうで、羨ましい。
これも貧乏だから仕方ないか。
私も特に高級な読書を求めているわけではない。

別の日、朝日新聞の静岡版にこんな記事が出ていた。
旧浜松市内に11の図書館があり、昨年11市町村と合併して図書館が22ヶ所となった。
そこで図書管理電算システムを統合し、どの図書館にある図書でもパソコンで検索して自宅近くの図書館で借りられるようにした。
予約が手軽になった結果新刊のベストセラーなどは申込みが集中し、小説「東京タワー」は統合前200-300件だった予約が520件となった。
この本の場合在庫は22館で26冊あるがそれぞれ2週間貸したら最長300日待ちとなる。
またパソコンのない人には殆ど廻らない。デジタルデバイドである。

パソコン予約の出来ない図書館もいいかもしれない。

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デジタルデバイド

静岡県伊東市のわが家ではケータイを室内から発信出来ない。
テラスに出て、あるいは窓から腕を突き出してやっと発信できるのである。
メールも室内では受信できないようだ。ケータイを窓際に置くとやたら受信音が鳴り出す。それまでは保留?になっている?
だから送った側からは返事が遅いと叱られる。
通話の方は多分<ただいま受信出来ない地域にいます>とかのメッセージで追い払われているのだろう。
ワンセグなどは論外だ。

パソコンの方も今だにADLSの8Mとかの契約である。世の中は50Mだか500Mだかになっているらしいが、ここでは幾ら契約を上げても実質早くならないからと言われてそのままになっている。
当然ワンセグチューナーは無用である。
光など、その気配もない。

加齢とともに昨今とみに世間を狭くしている。
野球中継はほとんど見ないが見るときは消音。
サッカーも松木某の解説はあんまり馬鹿馬鹿しいので消音。
コムスンのなんとか某がしゃべりだしたらすぐに声を消す。
嫌なニュースも消音だ。
これもデジタルデバイド?

「資本主義から市民主義へ」を読んで岩井克人と三浦雅士の掛合いに魅惑された。
人と話すことで開かれる世界もある。
自ら世間を狭めてはいけないと反省する。

2007.06.03

花の苗フリーマーケット

今日は伊豆ガーデニングクラブ恒例の「花の苗フリーマーケット」であった。
好天に恵まれ人出で賑わった。

雨天なら1週順延となってはいるが、苗をポットに入れたり、野菜を収穫したり、それぞれ準備が大変で簡単に延期など出来ないのだ。
餡餅や、饅頭や、赤飯など作ってきた人は3時起きだと言っていた。

わが農園はいつも売るものがなくて困るのだが、一応並べたのは次の通り。
トキ草。姫ウツギ。マリーゴールド。菊。パセリ。シソ。ジギタリス。
目玉はトキ草で3鉢だけ出したがすぐに売れてしまった。
妻の手作りの甘夏で作ったオレンジピールも完売した。作り方の説明が一々面倒なので次回からはレシピを印刷することにした。

出品もするが買物もする。いつも出した品数以上に買ってしまうのだ。
そして弁当を食べながら反省会。
みんな儲からないけど楽しいと言っている。

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