ボートショーに行った
ジャパン・ボートショー2007に行った。今年から横浜みなとみらい地区での開催に変わった。
横浜そごうの裏手から出ているシーバスに乗って海から会場に入った。
ボートショーは昭和37年に始まり今年で46回目だそうだ。
そのうち35回は通っているだろう。
もう自分のヨットを選ぶ夢もなくなり、マリーナの経営者であることも引退してしまって、気合は入らないのだが、それでも通う。
行けば知った顔に会うのが嬉しい。
ボートショーの昨年の入場者は3万7千人だったそうだ。
今年は5万人目標という。横浜市港湾局が力を入れているからこれからが楽しみだ。
なお先月後楽園ドームであったラン展は20万人以上の入りだという。
マリンは狭い世界だ。
S君に会った。
彼は出光タンカーの船長をしていたのを、出光三河みとマリーナのハーバーマスターに譲り受けたのだ。
彼の熊本の実家にまで口説きに行ったことを思い出す。
その後彼の仕事人生も紆余曲折があったようだが、立派なマリーナのプロになって今は広島にいる。
会えて嬉しかった。
I君に会った。
彼は今ベネトウを関西で売っている。
かって出光マリーナの客にスワンを売り、一緒にフィンランドに行った仲だ。
元気な顔を見てしばらく話し込んだ。
しかしいろいろ会うが、みんな年下の友人ばかりだ。私と同年輩以上の顔見知りには殆ど会わない。
これは淋しい。
1本のフロートに両ひれが出ていて、フロートの上に立ってハンドルを漕いで推進する妙な乗り物を見かけた。
近くに立っている男性が作ったのだそうだ。「あなた1人で考えたのか?」と聞いたら、「堀内先生の指導を受けた。」という。
「堀内先生って、あの亡くなった?」と思わず言ったら、何やら目配せして私の後ろを指差す。
なんと堀内浩太郎氏がそこに立っていた。幸い先生には聞こえなかったようだ。
堀内氏はローマオリンピック、東京オリンピックのボートの監督だった。「調和漕法」で一世を風靡した。
その後ヤマハに移りマリン事業部長として君臨した。彼の開発したフィロソフィー45というヨットはあまりに斬新なコンセプトで遂に売れなかった。
そのご本人が横顔を見せて立っていた。とてもとても83才には見えなかった。
ボートショーへのアプローチは華やかさに欠けた。
ヤマハもトヨタもニッサンも、ブースに迫力がなかった。
みんな初めての会場で様子が掴めなかったのだろう。許してやろう。
屋内展示から食堂に寄って海上展示場に行ったが、案内不十分で無駄足を踏んだ。
これも許してやろう。
来年から頑張ってくれよ。
あれこれ嬉しくて、シナコバのシャツを50%OFFで、ヘリーハンセンのデッキシューズを40%OFFで買った。
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