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2007.01.13

「思想としての全共闘世代」を読む

「思想としての全共闘世代」(小阪修平 ちくま新書 06・08刊)を読んだ。

著者は1947年生まれ。1966年福岡から上京して東大に入り、全共闘にまきこまれ、中退、その後は予備校講師・物書きとして身過ぎ世過ぎしているという。

実は20年前にこの著者の「イラスト西洋哲学史」(1984年刊)を読んだことがある。感激して、もう30年前にこの本を読んでいたら自分の人生が変わっていたのではないかと思ったほどだ。それほど明快に哲学を解説してくれていた。
いま「思想としての・・・」を読むと、彼はこの「哲学史」を<若い世代が観念的なテーマに関して他者と共有できるような言葉を持つことに、ほんの少しは役に立ちたい>と思って書いたという。

また「思想としての・・・」のあとがきに言う。
<全共闘運動の時代は、もう歴史に属している。たとえばいまの若い世代にとっては生れる前の出来事だ。>
<だが、それにしても全共闘運動の経験は下の世代に伝わっていない。スケールの違いを度外視すれば太平洋戦争の経験が戦争文学をはじめとするさまざまな聞き書きや映像作品をつうじて伝えられたのに、全共闘運動は一世代のかなりの部分をつかんでしまった経験であるにもかかわらず、その全体像が伝わるような小説一つ生み出せなかった。>
小阪はこの思いからこの著を書いた。つまり若い世代に向けて書いたのである。

この私はといえば小阪の一回り上の年令である。
彼のターゲットとした読者の50才以上も上であろう。

私は全共闘運動について何も知らない。この著を読んで、今更ながら何も知らないことに驚く。
何も知らないで生きてきたのである。
ただ自己のために弁ずるとすれば、私は安田砦の攻防も、浅間山荘の突撃も、TV中継を見ることはなかった。
私の生理は修羅場を見ることを拒否するのである。

小阪は東大に入った時、毎日300ページ、週に2100ページの読書を自分に課したという。
それでなお、後に広松渉(1933年生まれ。東大教授。哲学。若い頃はガチガチの共産主義者だった。)が毎日700ページを読んだことを知って恥じた。
全共闘運動はこのような知識階級を崩壊させた。

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