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2006.05.31

淡路島-福良港

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福良港に入った。
工業港でなく、商業港でなく、それほどの漁港でもない。
鳴門海峡の直近というだけが取り柄か。われわれが着けたのはその中でも外れの、もう漁業組合員の資格も持っていないような引退漁師、素人漁師の雑舟のたまり場である。
それでも外来船は肩身狭く隅っこに着ける。

街も冴えない。
観潮船の発着場だが、これも鳴門大橋がかかってからは徳島側からの観光客が多いようだ。
銭湯だけは4軒あるそうだ。
われわれが入った銭湯は唯一温泉(沸かし)だそうで、湯船の深さが私の臍の線まであった。帰宅して測ったら95センチである。
飯屋がない。やっと聞き出した店は当日定休日だった。
ラーメン屋を見つけてそこでお好み焼きで夕食とした。Kさんはコンビニで弁当を買った。

神戸のOさんに電話して鳴門海峡の情報を聞いた。久しぶりにOさんの声を聞いた。
出光の神戸支店に赴任した時、それまでは苦労しながらマイ・ヨットを任地に持って行っていたが、さすがに神戸では泊地を探すことが出来なかった。
困ったなと思っていたところ、ちょうど舵誌に神戸のヨットで<共同オーナー募集>しているのを見つけた。
早速仲間に入れてもらった。それがOさんをリーダーとするグループだった。
それで須磨ヨットハーバーのメンバーカードをもらえたのは望外の幸せだった。
これを足場に大阪湾や淡路島、小豆島、瀬戸内海など関西のクルージングを楽しませてもらった。
ちょうど須磨ヨットハーバーが妙法寺川の船溜まりから現在の新港に移る時で、我々の艇が新港に一番乗りする写真が舵誌の巻頭を飾った。
大阪開港100年(?)記念だったかで世界の帆船を集めてのパレードがあり、関西のヨットが600隻も集まっての大レースがあった。あれに参加したのも懐かしい思い出だ。

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2006.05.29

クルーの条件

セーリング・クルーザーのクルーたるべき条件を、思いつくままに書いてみる。

1.ヨットの各部品・部位の名前を覚える人間であること。
  ヨットの上には日常使わない名前が多い。それを全部覚える覚悟のない人間は結局ものにならない。
  はじめに名前あり、である。
2.約束を守る。
  プロのクルーでない以上、誰でも仕事を持っている。だから仕事を優先し、その余暇にヨットを楽しむことに異議はない。しかし一旦ヨットの行事に参加すると約束したら、その約束は仕事に優先しなければならない。
  何故なら集まる他の仲間も仕事をやりくりして来るのである。1人の欠員で行事が成り立たないことがある。場合により欠員が事故につながることがある。
  仕事の優先は結局損得の問題である。ヨットの約束は生死に関わる。
3.きれい好き
  ヨットの上では誰も自分に代わって掃除してくれる人間はいない。汚せば汚したままでその状態が継続する。自分がきれいにしなければきれいにならない。
  私は初めてヨットに乗るゲストに言う。<食べ物は残すな。残したらすぐに捨てろ。飲み物のカップは飲み干すまで置くな。置く時は空にしろ。>とかくビールの残ったカップをそのままにしておく人間が多いのだ。
  ヨットの上では次の瞬間に何が起きるか判らない。突然大波がくるかもしれない。突風が起きるかもしれない。艇の中に料理や飲み物をぶちまけるリスクを犯してはならない。
  使った道具は使ったその手で元に位置に戻さなければいけない。緊急時、ここにある筈だと手を入れた場所にその道具がないと重大な事故につながる。
4.船酔い
  どうしても船に弱い人は乗らない方がいい。酒の弱い人は飲んでも強くならない。船も乗ったら強くなるものではないようだ。ただ<船に弱い>と思い込んでいる人は考えを変えればいい。
5.小型船舶操縦免許
  免許を持った人間を<海上交通法規は知っているようだ>、<本気でやる気はありそうだ>と見る。
  しかし免許があるからといってヨットを動かせるとは全く思わない。免許の試験項目にヨットの実技はない。
6.パソコン
  艇上にパソコンを持ち込むのが常識になっている。パソコン音痴では困る。
7.泳ぎ
  競泳・遠泳の選手である必要はないが、近くの浮遊物を掴む程度の泳ぎはしてもらいたい。
8.装備
  オイルスキン(雨合羽)とマリンブーツはクルーの必需品である。これなくして風雨の中を耐え抜くことは出来ない。
  過去どんなに鳴らしたヨットマンでも、今現在オイルスキンを持っていなければ役に立たない。悪天候は1晩も1日も何日も続く。

これくらいの条件を備えた上で、ヨットの操作を覚え航海の経験を積んでクルーとなる。

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2006.05.28

周参見-淡路・福良

周参見から淡路島・福良港に向った。

周参見の港があまりきれいだったので、トイレにまで気を使ってしまった。
ここでヨットのトイレ事情を書いておこう。
港外に出るくらいのセーリング・クルーザーなら殆どトイレを備えている。水洗トイレである。
方式は手動ポンプと電動ポンプとあるが、いずれにしろ海中放出である。
航行中であれば広い大海への放出だからまあ許されると思うが、これが停泊中だといろいろと問題がある。
まず臭いである。「玄*」では停泊中は大の方は使わないようにしている。面倒でも陸に上がってトイレを探すことにしている。急を要する場合もあるので常に陸のトイレ場所は神経質に確認している。夜、寝る前など急に催したらどうしようかと強迫観念にかられることもある。
クルージングの乗員を増やしたくないのはこういう理由もある。
またマリーナ内は閉鎖水域であり水があまり変わらない。従ってマリーナ内での放出は好ましくない。マリーナによっては港内でのトイレ使用を禁止している。
このため海中放出ではなくタンク式のトイレもある。アメリカのマリーナではタンク式でないと係留契約に応じないとも聞いている。
国産のセーリング・クルーザーにタンク式はない。
三河みとマリーナではタンクのバキュームを設置したが、利用者はいなかった。

周参見から和歌山マリーナシテイに行くことも考えたが、1泊の係留料が7300円というのでやめた。
一路淡路島の福良港に向う。
4・45出港。午前中パラパラと降ったがのち曇り、穏やかな航海である。
本船が大阪方面に向うのに内航船は友が島と和歌山の間の加太の瀬戸を通り、外航船は友が島と淡路島の間の紀淡海峡(由良瀬戸)を通るようである。
それにしても貨物船が多い。いろんな形をしている。それぞれ荷物によって形が特化していて、一見何の船か判らない。子供向けに船の形の絵本でもあったら買おう、と思ったりした。
午後2時頃淡路島南の沼島を視認し、15・15福良港に入港した。65マイル、10時間半の航海であった。
漁港の外れの方に、肩身狭く繋がせてもらった。
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ここでクルージング中の係留について書いておこう。
1.きちんとした係留ポンツーン(浮き桟橋)がある場合
  これはもう楽ちん、天国である。ただしあらかじめ予約必要が多い。そして大抵有料である。
  営業マリーナだと1泊7-8千円、関東周辺だと1万5千円取るところもある。森下系はそんなに高いところには泊めない。昨年の長崎出島は2100円で素晴らしかった。ハウステンボスも2000円だった。
2.港の岸壁につける場合
  付けられる岸壁かそうでないかの見極めは長年の経験による。間違えると追い出される。
  通常無料である。漁組に届けるかどうかも長年の経験による。
  岸壁に付けた場合、潮汐により水位が変わり、干潮時には岸壁がすごく高くなる。乗降が難しくなる。動きが鈍く体重のある私には殆ど上陸不可能になる場合もある。「玄*」のデッキに梯子が縛り付けてあるのはその対策である。
3.横付けとヤリ付け
  岸壁に船側を付ける横付けと、アンカーを落として船首か船尾に岸壁から舫いを取るヤリ付けとある。昔は<横付けは邪道、必ずヤリ付けに>と習ったものだ。これは横付けが岸壁を広く占有するのと、ヤリ付けは環境変化に応じてすぐアンカーロープを引いて出航出来るからである。しかし近年横付けをすることが多い。それは漁港内の海底はロープが輻輳していて、アンカーロープが必ず絡むからである。そうなったら潜るしかない。
  船首付けか船尾付けかの論争もあるのだが、省略する。

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2006.05.26

勝浦-太地-潮岬-周参見

勝浦から次の碇泊港周参見を目指した。

勝浦を出るとまず太地である。
ここは昔からの捕鯨の港だ。勝浦の街に「第5回伝統捕鯨地域サミット」が太地で開かれるポスターが掲示されていた。
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その昔灯明崎に山見番所があり、鯨を見付けると狼煙を上げた。たちまち刃刺以下15人が乗り込んだ八挺櫓の勢子船が乗り出した。ほかに網舟、持双舟、樽舟、山見舟など10数隻が続いた。
今は灯台が立つ灯明崎を過ぎる度に昔の捕鯨を想うのだ。

昭和53年、津本陽の処女作「深重の海」が刊行され、その年の直木賞を受けた。太地の捕鯨を扱った作品である。
私は直ぐにこの書を読み、深い感動を受けた。
小さな、非力なエンジンのヨットでいつも恐怖に震えながらこの海を渡っていた私にとって、太地の捕鯨漁師を襲う海難が他人事とは思えなかったのだ。
私はこの本を10数冊買ってクルーなどに送った。
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後年、たまたま銀座のクラブで津本陽氏の一行を見かけた。日本経済新聞に連載していた「下天は夢か」の打上げ会のようだった。
私はクラブのママを通して刺を通じ、「かくかくしかじかであなたのファンである。サインを頂きたい。」と所望したところ、色紙を取り寄せてサインしてくれた。
ここに写真を添付する。
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太地を過ぎて大きな灯台が見えてくる。<ここは串本、向かいは大島、中をとりもつ巡行船・・・>の大島である。
大きな島で過ぎるのに随分時間がかかる。今は巡行船ではなく串本との間に橋がかかっている。
串本は潮岬の脇の風待ち港だ。
いつだったか暮れの30日に串本に入った。当時ロングクルーズは休みのとれる正月、5月、お盆の3回しか計画出来なかった。
街を歩いていたらおばさんが餅を載せたリアカーを曳いていた。<分けてくれ>と頼んだが、<全部注文品だから>と断られた。でも、餡の入った草餅を食べさせてくれた。その美味かったこと、いまだに忘れられない。
<よし、周参見に入ったら草餅を買って食べるぞ>と思ったが、周参見でも次の草壁でも草餅を見付けることは出来なかった。

潮岬は本州最南端の岬である。
黒潮に最も近い。
いつもそれなりの感慨がある。

廻ると風が変わる。
ここから西の風が厳しい。
その名も枯木灘と恐ろしい。

4時半に勝浦を出航して36マイル、11時に周参見に入港した。ずっと雨だった。
周参見はカツオのケンケン釣り漁船の港である。
ここで特筆すべきは「港の綺麗さ」である。
とにかく岸壁まわりにゴミ1つない。浜にもない。海にもない。
こんな漁港は世界にないのではないか!
もちろん漁船も綺麗だ。同型の舟が同色に塗られて整然と並んでいる。
さくらえび漁の駿州由比、しらす漁の遠州福田も同型の漁船を揃えているが、ここほど綺麗に揃ってはいない。
とにかくゴミがないのだ。魚市場まで含めて、食品工場なみの清潔さだ。
港内の一角が海水浴場になっている。漁港と海水浴場が並んでいる!まさに奇観である。
これがいずれ漁港のスタンダードになるのだったら、なんだか恐ろしい。
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2006.05.25

忘帰洞異聞-銭湯の深さ

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那智勝浦・ホテル浦島の洞窟温泉「忘帰洞」についてはご存知の方が多いと思う。
自然の洞窟の中で温泉に漬かりながら、眼の前に拡がる太平洋の黒潮と荒波を眺める、まことに雄大な温泉である。
紀州の殿様が「帰ることを忘れる」と言ったとかでこの名が付いた。
ホテル浦島はこの温泉で当てて増築に次ぐ増築を重ね、大ホテルになった。

宿泊客でなくても温泉だけに入れる。
ホテルは岬にあって街中からは離れているのだが、無料の通船が出ていてどんどん客を運ぶ。それがまた旅情を誘う。
私が最初にヨットで入港し「忘帰洞」に入ったのは30年前であった。当時入湯料は500円だった。
その後値上げが続き、10年ほど前ついに2000円となった。
もう眺めも堪能し、風呂だけで2000円は高いじゃないかと、その頃から街中の銭湯に行くようになった。280円が現在320円になっている。

今年、<幾らになっているかなあ?2500円とかいうのかしらん。聞いてみよう。>と試しに聞いたら、なんと1000円だという。
3、4年前に値下げしたらしい。知らなかった。
勝浦には殆ど毎年入港している。1000円なら行ってやって悪くもない。
しかし思い込みとは恐ろしいもので、一度高いと思われたら値下げしても客足は戻らないのである。

いつもの銭湯「はまや」の番台のおばさんにその話をしたら、おばさんも2000円と思っていた。
<だけど、あそこは循環式だけど、うちは掛け流しだよ。>と自慢した。
いい銭湯だ。
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ところで皆さんは昔の銭湯の湯船が深かったのを覚えているだろうか。どこの銭湯も湯船の面積は狭くて深さが深かった。
(私の知見は主として漁港の銭湯だが。)
あれは公衆衛生の観点から湯量を確保するために、「公衆浴場法」とやらで<深さ○○メートル以上>と決まっていたらしいのだ。
「はまや」の深さは80センチである。その後行った淡路・福良の銭湯は95センチも深かった。
これは子供には恐怖だろう。深さも怖いし、ばしゃばしゃ泳いだらたちまち叱られる。

そんな銭湯がどんどん消えてゆく。伊豆大島・波浮港の松の湯なんか懐かしい。
代わって○○センターなんて施設があちこちに出来ている。これはもうゴルフ場の風呂みたいに広い、浅い風呂で、豪華で、大抵眺めが素晴らしい。
これはこれでいいのだが、入浴しながらいつもなんだか不正に加担しているような後ろめたさを感じるのである。

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2006.05.24

夜航-那智勝浦

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9日間のセミロング・クルーズに出かけた。

艇はいつもの「玄*」。33フィートのワンオフ艇である。船齢13年。
乗員は2名。オーナーのKさんと森下。
Kさんとは26年来の付き合いで、私の弟子筋である。
Kさんもやっと仕事をリタイアして時間が出来たが、さて一緒に遊んでくれる暇人がいない。
クルーザーの世界に若者の参入はぴたっと止まってしまった。年寄はどんどんやめていく。
やむを得ず超ロートルの私に声をかけてくるのである。
彼は私に危ないこと、大変なことは一切させないように気を使ってくれる。私も迷惑をかけないことばかりを考えている。

「玄*」は松崎のIという船大工が作った艇で、大メーカーのプロダクションボートではない。
Iはもともとヨットデザイナーを志した人間で、「玄*」も彼の理想のレーサー志向になっている。
しかしKさんはレースへの関心がなく、もっぱらクルージングである。最初からクルージング・タイプに作ればもっと使いやすい艇になったと思うが、今更言っても詮無い。
とにかく軽くてよく走る艇である。それと実によくメンテされている。近くに製造者のIさんがいるし、Kさんもよくお金をかけて整備する。
今年になってエンジン(3GM)を乗せ換え、ジブをファーラーに代えた。

朝7時、下田出航。那智勝浦に向う。
曇り。気温低い。
ずっと追ってで、石廊崎を過ぎたあたりで20メートルを超える。アゲンストだったら大変なところだ。
一直線に勝浦を目指す。260度-270度。13時頃御前崎を過ぎたはずだが霞んで見えない。このまま大王、麦崎の遥か沖を走るのだ。
GPSのなかった時代には考えられなかった航法だ。

日中は2時間、暗くなって3時間交代でワッチ。
寒い。
森下この日の出立ちは、上はグンゼの長袖肌着・パタゴニアの長袖シャツ・ユニクロのフリース・タートルネック、下はグンゼのトランクス・ズボン下・NAUTICAのヨットパンツ、そしてGILLのオイルスキン(雨合羽)とロミカのマリンブーツである。5月としては万全の備えであった筈だが寒かった。フリースの上にウインドブレーカーを1枚足した。
ワッチオフにはとにかく休む。1-3時のオフの時など、オフになったと同時にバースに倒れこむようにして直ぐに眠り、3時に交代で起こされるまで何も知らなかった。

月も星もなく、陸の灯台も見えない真っ暗な夜の海である。
航跡の波頭に夜光虫が光るがまだ夏ではないので少ない。
時折本船と行き交う。
初め紅緑灯が見え、近づくに従って紅灯のみに変わり、お互いに紅灯を見せ合って行き過ぎ、やがて白色の船尾灯を見せて去って行く。
航法通りなのが面白い。アメリカの船もロシヤの船も中国の船も同じ航法で動いている。
昔坂本竜馬が自船いろは丸を紀州船と衝突して沈められた時、万国公法を言い立てて8万5千両の賠償金をせしめたと言うがどんな公法だったのだろう?文明開化の時代まで日本国内ではどんな航法で運行していたのだろう?

大昔、大学で大林良一先生の保険法の講義を聞いたことを思い出した。そこで共同海損をいう言葉を習った。荒れた海で、船を救うために積荷の一部を投棄する場合がある。その損失を共同で負担する意味だった。
どこで発生した概念なのか、どのようにして国際公法に発展したのか、わが国での歴史はどうだったのか、ものすごく面白そうなテーマだ。本気で勉強すれば私の人生は別のようだったかもしれない。
しかし私の頭脳は杜撰で情緒的に過ぎる。それに学問や研究で生活の資を稼ぐという発想がまったく欠如していた。
その当時の私は麻雀で頑張って遊興の資を稼ぐことに没頭していたのであった。

明けない夜はない。
11時、那智勝浦港に入港した。160マイル、28時間の航海であった。

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2006.05.13

雨中のバスツアー

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今日は雨中のバスツアーであった。延べ3台のバスが出た。
遠くから来て、また高いバス料金を払って下さった方には申し訳ないことであった。

どれも30人乗りとか20人乗りの小型バスなのだが道路の関係で前まで入れず、遠くから歩かねばならない庭が多く大変だった。
強い雨で、ズボンの裾も靴もぐっしょりと濡れた。
気温も低く、最悪の条件だった。

私は浜松グループのバスに添乗した。
林庭(アンシャンテ)では2台のバスが重なり、またバス以外の客もいて50名以上になった。
こんな日もある。

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2006.05.12

母の日カーネーション

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庭友達を訪ねて河津に行った。

帰りにカーネーション園に寄った。
母の日前で、もう一杯で注文を受けられないと言う。
2軒目でも一杯だったが、畑に行って自分で切ってくれば送ると言う。

温室に入って好きなのを切った。
カーネーションは切花では蕾から咲かせるのが難しいが、フロリパンダという花芽の分岐の多い種類は開花しやすいと言う。

川崎の私の母と、久留米の妻の母に送った。
老生、夫婦両方の母親に自分で切ったカーネーションを送れるのは幸せである。

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2006.05.11

モブログ?

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今、庭が最も充実している時だ。
お客も多い。
雨が降らなければ30人くらいは来るだろう。
写真は正面の壁に這ったツルバラ。

東海バスの巡回バスは毎回満席(20人)である。多分申し込んで乗れない人が多いのだろう。
バス会社の事情はいざ知らず、わがクラブとしてもTEAS庭の準備、ガイドの確保などあってすぐに増発に応じることは出来ない。

そんな中、15日から瀬戸内海方面にロングクルーズに出ることになった。
急遽ケータイからブログに記事を送るモブログを試しているのだが、これがどうしてもうまくいかない。
とりあえず諦めた。

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2006.05.01

琥珀の本3冊

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琥珀に関する本を3冊読んだ。

1.「琥珀―永遠のタイムカプセル」アンドリュー・ロス 文一総合出版 1800円
2.「琥珀の間-伝説」重延浩 NHK出版 1700円
3.「琥珀蒐集クラブ」ステイーブ・ベリー ランダムハウス講談社 950円

1.はロンドン自然史博物館の学芸員の著書で、特に琥珀に閉じ込められた昆虫についての研究の一般向け書物である。
  3000万年も8000万年も昔の昆虫の姿がそのまま残っているのだから面白い人には面白いのだろうが、私にはあまり関心がない。

2.の「琥珀の間」は、ロシア・サンクトペテルブルグ(我々にはレニングラードとして馴染みだ)のエカテリーナ宮殿にあった「琥珀の間」(部屋の壁全面が琥珀細工のパネルで埋められていた)についての物語である。その壮麗な見事さは世界七不思議に次ぐ8番目の不思議と称されたという。
  ナチスは第2次大戦占領時にそのパネルを持ち去り、どこかに秘匿した。戦後ソ連は必死で探索したが行方は判らない。その間多くのトレジャー・ハンターが暗躍し、多くの人が死に、多くの物語が生れた。今に至るも発見されていない。
  結局ロシアは2003年に完全に再生・復元する。
  著者は実際に秘匿伝説の数多くの現場を訪れ、美術館関係者やトレジャー・ハンターに直接インタ^ビューし、本格的なルポとなっている。特に復元の主任技術者アレクサンドル・ケドリンスキー(取材当時85歳)の話を聞いたことが大きい。
  これらの現場訪問、インタービューには殆ど全部に著者の撮影した写真が掲載されている。つまり伝聞ではない。
  重延氏はテレビマンユニオンの社長だそうだが、大変なジャーナリストであり才人である。

3.は琥珀の間-伝説を基にしたミステリー仕立ての小説である。ナチス強奪の美術品については多くの物語があるようだが、その1つである。

本当を言うと3→2→1の順番で読みたかった。

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