
9日間のセミロング・クルーズに出かけた。
艇はいつもの「玄*」。33フィートのワンオフ艇である。船齢13年。
乗員は2名。オーナーのKさんと森下。
Kさんとは26年来の付き合いで、私の弟子筋である。
Kさんもやっと仕事をリタイアして時間が出来たが、さて一緒に遊んでくれる暇人がいない。
クルーザーの世界に若者の参入はぴたっと止まってしまった。年寄はどんどんやめていく。
やむを得ず超ロートルの私に声をかけてくるのである。
彼は私に危ないこと、大変なことは一切させないように気を使ってくれる。私も迷惑をかけないことばかりを考えている。
「玄*」は松崎のIという船大工が作った艇で、大メーカーのプロダクションボートではない。
Iはもともとヨットデザイナーを志した人間で、「玄*」も彼の理想のレーサー志向になっている。
しかしKさんはレースへの関心がなく、もっぱらクルージングである。最初からクルージング・タイプに作ればもっと使いやすい艇になったと思うが、今更言っても詮無い。
とにかく軽くてよく走る艇である。それと実によくメンテされている。近くに製造者のIさんがいるし、Kさんもよくお金をかけて整備する。
今年になってエンジン(3GM)を乗せ換え、ジブをファーラーに代えた。
朝7時、下田出航。那智勝浦に向う。
曇り。気温低い。
ずっと追ってで、石廊崎を過ぎたあたりで20メートルを超える。アゲンストだったら大変なところだ。
一直線に勝浦を目指す。260度-270度。13時頃御前崎を過ぎたはずだが霞んで見えない。このまま大王、麦崎の遥か沖を走るのだ。
GPSのなかった時代には考えられなかった航法だ。
日中は2時間、暗くなって3時間交代でワッチ。
寒い。
森下この日の出立ちは、上はグンゼの長袖肌着・パタゴニアの長袖シャツ・ユニクロのフリース・タートルネック、下はグンゼのトランクス・ズボン下・NAUTICAのヨットパンツ、そしてGILLのオイルスキン(雨合羽)とロミカのマリンブーツである。5月としては万全の備えであった筈だが寒かった。フリースの上にウインドブレーカーを1枚足した。
ワッチオフにはとにかく休む。1-3時のオフの時など、オフになったと同時にバースに倒れこむようにして直ぐに眠り、3時に交代で起こされるまで何も知らなかった。
月も星もなく、陸の灯台も見えない真っ暗な夜の海である。
航跡の波頭に夜光虫が光るがまだ夏ではないので少ない。
時折本船と行き交う。
初め紅緑灯が見え、近づくに従って紅灯のみに変わり、お互いに紅灯を見せ合って行き過ぎ、やがて白色の船尾灯を見せて去って行く。
航法通りなのが面白い。アメリカの船もロシヤの船も中国の船も同じ航法で動いている。
昔坂本竜馬が自船いろは丸を紀州船と衝突して沈められた時、万国公法を言い立てて8万5千両の賠償金をせしめたと言うがどんな公法だったのだろう?文明開化の時代まで日本国内ではどんな航法で運行していたのだろう?
大昔、大学で大林良一先生の保険法の講義を聞いたことを思い出した。そこで共同海損をいう言葉を習った。荒れた海で、船を救うために積荷の一部を投棄する場合がある。その損失を共同で負担する意味だった。
どこで発生した概念なのか、どのようにして国際公法に発展したのか、わが国での歴史はどうだったのか、ものすごく面白そうなテーマだ。本気で勉強すれば私の人生は別のようだったかもしれない。
しかし私の頭脳は杜撰で情緒的に過ぎる。それに学問や研究で生活の資を稼ぐという発想がまったく欠如していた。
その当時の私は麻雀で頑張って遊興の資を稼ぐことに没頭していたのであった。
明けない夜はない。
11時、那智勝浦港に入港した。160マイル、28時間の航海であった。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞