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2006.04.29

新規公開庭巡り

昨日は今年からオープンガーデンに参加した庭4軒をIGCの会員19名で巡った。

ショッピングセンターに集合して車を4台に集約して出発した。
最初に皆に注意したこと。
「もう何年もオープンしている庭のように期待しないで下さい。まだまだ発展途上の庭です。我々も8年前に始めた時にはこうだったなと思うような庭ばかりです。みんなに見てもらってこれから素晴らしくなりますよ。」

最初のE庭には度肝を抜かれた。絶対に離合できない狭い農道を500メートルもひたすら登る。
その突き当りの眺めのいい高台に、看板を掲げ(伊豆オープンガーデンの)、あずまやまで作って庭にしてあるのだ。
そのひたむきな努力には涙が出そうだ。

次のN庭はイトーピア別荘地の一角にある。一碧湖の沼地の近くである。
来客は別荘地の中に入るだけで1つの楽しみだろう。
広い芝生がこれからどんどん植栽されていくに違いない。

Y庭はもうアグロステンマが咲いていた。海を見下ろす南斜面で暖かいのだ。
半分が畑で、まあキッチンガーデン+フラワーというべき庭だったが、2ヶ月ぶりに来て驚いた。
隣の林を借りて遊歩道が作ってある。丸太を並べて道にしてあり楽しい庭になった。
頑張っている。

最後のH庭でTEASを頂いた。
手作りのクッキーとコーヒー、紅茶が美味しかった。
広いペンションで、19名がゆっくり座ってまだまだ余裕があった。
ミヤコワスレの群生が見事だった。ホステスが京都出身なので、故郷を忘れかねてのミヤコワスレかとからかった。

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2006.04.27

「庭巡りバス」のガイド

昨日は伊豆オープンガーデン「庭巡りバス」のガイドを務めた。

朝10時半に伊東駅を出て6軒の庭をまわり、15時40分に帰着した。
今回の参加は14名であった。(マイクロバスなのでガイドを含め20名まで)
伊藤→日吉→城ヶ崎海岸駅でトイレタイム→山田→えびな(TEAS)→増田→森下

庭それぞれに個性があって、楽しい。
私が<これは参考になる>とメモしたことだけで7件もあった。

参加の皆さんにもおおむねご満足頂けた、と思う。

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2006.04.26

山中智恵子追悼

短歌5月号に<追悼座談会「山中智恵子の残したもの」>が載った。
岡井隆・馬場あき子・小島ゆかりの3人による座談会である。
30ページもの長い座談会であるが、また錚々たる名前の3人であるが、これで山中智恵子を論じきれるとは思えない。
また、記事もこの座談会1本のみである。

短歌研究5月号に<追悼山中智恵子-第1回>として、森岡貞香、馬場あき子、岡井隆、岩田正、前登志夫、前川佐重郎の追悼文が載った。
それぞれ1000字程度の追悼文である。

山中ファンとしては甚だ物足りない。

現代詩手帖の<追悼特集-茨木のり子>には、なんであれ29人の追悼文が載り、大岡信・飯島耕一・井坂洋子が代表詩を選んで座談会をしている。そして写真アルバムがあり、何より「茨木のり子略年譜」を載せている。

山中智恵子には年譜がない。
「短歌」の座談会の中で、「山中論は誰が書くのだろう」の項目がある。その場では「いないだろう」になっている。塚本邦雄伝すら書こうという人、書ける人は出ないだろう、と言っている。
そして山中論について、「最初に出来るだけ詳しい年譜を作ることが大事。個人の年譜じゃないのよ。時代と短歌史の年譜とも合わせていかないとだめなの。」と言っている。

短歌の世界において年譜はそれほど難しいものなのか?

彼女が所属し、前川佐重郎が主宰する「日本歌人」発行所に電話したら、追悼号の発行は8月頃になるそうだ。
門外漢ではあるが、その時になったら1冊頒けてもらおう。

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2006.04.25

背中のおでき

ロビーの背中になんだか大きなおできが出来ている。
小指の先ほどもありそうな黒い塊だ。
いつ出来たのか?

最近はいろいろあるから取越し苦労が多い。
ガンではないかと思ったり、エサが悪いのではないかと思ったり。
人工飼料ばかり与えているから心配だ。
人工飼料のおかげで寿命は延びているとは言うのだが。

病院に連れて行ったら、なんとダニだった。
本来1ミリくらいのものが血を吸ってそこまで膨れ上がっていたのだ。
ピンセットで取り除き、傷の周りの手当てをし、消炎の注射をし、1日2回の消毒薬と塗り薬を処方され、さらに1日2錠の抗生物質を渡された。
まったく、至れり尽くせり、というか。

帰りがけ、院長先生に出会った。
もう高齢で店は代診に任せ(常時4-5人もいる)、ご本人は業界の名誉職などやって伊東市の著名人である。
「どうしました?」というから「こんなに大きなダニが・・・」と説明しかけたら、「そのうちにころんと落ちるよ。」とのご託宣。
ふん。昔はダニなんかでは騒がなかったのだ。

代診どもは教科書通りの処方をして、そして院長に点数を稼ぐ。
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2006.04.23

固定料金「庭巡りタクシー」

伊豆急東海タクシーと今年の固定料金「庭巡りタクシー」の打合せを行った。
伊豆オープンガーデンの庭を、メーターがカチカチ上がるのを気にしないで割引固定料金タクシーで廻ろうという企画である。昨年からやっている。
2時間で6庭ほどまわって料金は12000円程度。今年の料金決定も検討項目である。

こんなことにも問題は多い。
うちには廻ってこない。うちは廻られては困る。
結局「伊豆高原」駅発のコースは決定したが、「伊東」駅からのコースは未定となっている。

客の側からのクレームの第1は「花が無い」ことだそうだ。
伊豆オープンガーデンの各庭は必ずしも花を見せることを目的としていない。庭作りが目的だ。
むしろその時々の開花苗を買ってきて植えることを潔よしとしない。
それに観光施設ではない。
花がないからといって文句を言われる筋合いはないと思っている。

難しいのである。

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2006.04.21

ノーノーヨー

ノーノーヨー。何のことであるか?

脳膿瘍と書く。
われらが伊豆オープンガーデンのメンバーYさんから電話があった。「死に損なって退院してきた。」という。車を運転中に突然意識を失って側溝に突っ込んだという。
「病名は?」と聞くと、「ノーノーヨー」と答えた。

訳が判らず、見舞いに行った。
脳におできが出来、膿が散ったらしい。運転中で、まかり間違えば大事故になるところであったそうだ。
怖くなってすぐに車は手放した。奥さんは運転しない。遠くの病院に(長岡の順天堂)にバスで通い、近くにはタクシーで動く日常である。
えらいことだ。
バラで有名な庭の公開は続けたいという。
それは有難いが大変だろう。

Yさんは73才である。伊豆オープンガーデンの平均年齢もこれより数才低いだけだ。
Yさんの事故をわれらがクラブが受けた事故のように感じる。

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オープンガーデンのバス料金

伊豆オープンガーデンの庭巡りバスツアーが始まった。料金はTEAS込みで3400円である。
そのことについて会員の1人からメールがあり、それに返信した。ここに再録する。

~~~~~~
あなたの、「料金を頂戴してご案内するには内容不十分な庭がある。」のご指摘は非常に重大な意味を含んでいます。

料金問題はオープンガーデン発足の時から重要なテーマでした。
イギリスのオープンガーデンをお手本に考えていたので、オープンの目的を「チャリテイ」とする考えがありました。
議論を重ねて、結局「チャリテイ」は捨て、目的を「親睦」「花を大事に」「地域に貢献」とすることになりました。
お金を集めることに強い抵抗があったのと、「チャリテイ」が馴染みのない概念だったことが理由です。
お金に対する抵抗感は、潔癖なアマチュアリズムと、お金をとって見せられるほどの庭ではないという謙遜が理由です。

一方で料金徴収容認派もありました。ある意味でアマチュアを超えた庭作りを目指している人たちとも言えます。

この考え方の対立は事あるごとに露呈し、毎度深刻な議論になりました。
それが理由でクラブを去った方が何人もいらっしゃいます。
議論ばかりで不愉快だと言う人もいました。
前回のOPG部会でのMさんの離脱は、これらの文脈に繋がる事件です。

伊豆オープンガーデンが世間に知られるにつれ(それを目指したのですから当然ですが)、どうしたら見られるかの問合せが増えました。
それで、マイカーでご案内したりマイカーを先導したりし始め、そのうちにマイクロバスをチャーターして庭巡りバスを運行することになりました。
これはクラブにとって大きなリスクを負うことでした。
チャーターして当日雨なら大きな欠損になります。クラブにはそれを負担する財政能力がありません。ほかにも駅頭でのご案内、乗車振分けなど多人数の動員が必要でした。事故の心配もあります。幹事および関係者の心労は大変なものでした。
加えて会員の高齢化が進みます。

結局昨年から東海バスによる「庭巡りバス」が実現しました。
これでクラブは経済、人手、事故の3面から開放されました。

そこで料金問題です。
クラブとしては料金を決定し、徴収するのは東海バスの営業行為であるという立場です。
クラブが額を決め徴収するものではありません。現行の料金はマイクロバスチャーター運行時のほぼ実費料金を東海バスが踏襲したものです。
伊豆オープンガーデンがバス料金に相応しい内容であるかどうかは、お客様および東海バスが評価することであって、当クラブが判断するものではないと考えています。
当クラブは「オープンガーデン参加の資格」の内規に従って判断するだけです。そこには「自分で作っている庭」「お客様を迎える姿勢」などがあり、「庭の大小」「技術の巧拙」「花の多寡」の規定はありません。

これからどうなっていくのか、私には判りません。
もっと幅広い識見と強力な指導力を持った次の時代のリーダーの登場を願っています。

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2006.04.20

御前崎の船虫Kさんの話

その人の名は川田さん(仮名)としよう。
小田原の人である。昭和23年生れの58才。ステンレス板金の職人である。
妻を亡くし、子供たちは独立し、4年前に余生はヨットで送ろうと店をたたんだ。
そして中古のJ24を買った。大昔デインギーに乗ったことはあった。
(写真の右、背の低い方が川田さん。左は下田のKさん62才。)
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さてそれをどこに置くか。係留料が高くては困る。
御前崎にマリーナが出来ることを聞きつけ、ここなら安いだろう、絶対に潜り込もうと御前崎漁港の一角にJ24を不法係留し、近くにアパートを借りて移り住んだ。
目出度くマリーナ完成と同時に契約した。年間16万円であった。
そして一昨年の夏、25年物のJ24で九州までの航海にシングルハンドで出かけた。

J24とは軽量のレーサーである。エンジンは船外機。その25年物。よくぞ九州まで行った!というような艇である。しかもシングルハンドで!
殆ど居住性はない。つまり煮炊きの設備や収納がない。
いうなれば錆の出た自転車で野宿して九州一周するようなものである。
3回落水したという。
よくぞ戻ってきた。

去年はやはり23年物の中古ヤマハ30Cで沖縄に行った。
地元農協を定年退職した人がヤマハ30を買い、一緒に行こうと言ったそうだ。
その人は駿河湾を出たことがない。
航海中の揉め事はその人が海況を知らず、ヤマハ30Cを余程の大ボートと思い込んで荒天に平気で乗り出すことだったという。
まあ戻ってきた。

マリーナ内にやはり20年以上の日産GS800が係留されていた。パワーボートである。いい艇である。
しかしいかにも古い。手入れをしてない。
ある時、沈んでしまった。
川田さんが一生懸命手伝って浮かすだけは浮かしたがエンジンなどもう救いようがない。
オーナーは「よかったら乗って管理していてくれ」と言ったという。
川田さんはアパートを引き払ってGS800に移り住んだ。
だが動かない艇でも係留料はかかる。年間20万円。オーナーは廃船を決意した。
問題があった。昨今ボートの廃棄には金がかかる。廃船処理費として40万円ほどかかるのである。
川田さんが「タダで呉れないか」と言ったらオーナーは渡りに船と承知した。

さてどこに置くか。
川田さんにMさんという友達がいる。御前崎の市会議員で、焼津の八丁艪競争で知合ったそうだ。クラッシクな漁船を漕ぐなかなか粋なレースである。
Mさんに相談したら「俺の工場の敷地に置け。地代なんぞ要らん。」と言う。
これも渡りに船と運び込んだ。今年の2月の話である。
この写真がその姿である。
内部に入ったが、ヒドイ!もうすぐ蛆がわく。ボートのせいではない、川田さんの不衛生、無頓着による。
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Mさんは電線を引いてくれ、水道も使わせてくれる。料金は一切とらない。まったく天国である。よき友を持った!
しかるにである。Mさんは川田さんをこき使うのだそうだ。
何を直せ。これを運べ。畑を手伝え。あまつさえ、茶を摘め。
<茶を摘め>には笑ってしまった。このあたりは茶どころである。
「こんなに働かされるんじゃ、その時給で20万円の係留料が払えるなあ。」と川田さんはこぼす。

J24での航海で艇の小ささを痛感した川田さんは、清水折戸にヤマハ26の26年物が出ていることを知る。「持っていってくれたらタダでいい」という。
これも前述の廃船処理費が絡んでいる。今時古い艇のオーナーはタダで持っていってもらう方が有難いのである。
ヤマハ26はなかなか良い艇だが、26年はきつい。それにこれは船外機艇である。ガソリンの船外機とデイーゼルの船内機とでは信頼性がまったく違うのである。
しかし川田さんはめげずにこれをもらって、御前崎に回航した。
海外の艇は30年―70年と乗るのが常識だが、日本のプロダクションボートにそれだけの寿命はない。住宅の場合と同じである。

乗ってきたがやはり船外機ではリキがない。新しい船外機を買うと30万も50万もする。
悩んでいるところにまた情報が入った。
「油壺にヤマハ26の船内機艇がある。26年物だがエンジンは動く。5万円でいい。ただしマストも艤装も何も無い。」
川田さんはこれを御前崎に運んだ。
船外機艇のマスト、艤装を船内機艇に付け替える予定である。
そして今夏、北海道に出掛ける予定である。
これとて1000CCで18年物の中古自動車で走るようなものである。
車検は駄目でも船検は通るのだ。
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かくして川田さんは一時4隻のボートのオーナーとなったのであった。
本来ならマリーナがそれを許さないのだが、川田さんの何でも雑用を引き受ける人の良さと、ヒマなマリーナ事情がそれを許している。
彼の人徳なのか、ボート達にも嫁入り口が決まりそうだという。
J24はどこかの庭のオブジェとして貰われていく。
マストを抜いた船内機艇は、老人クラブの集会所から声がかかっているそうだ。

御前崎の船虫・川田さんとの一夜の付き合いであった。

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駿河湾のイルカ

久しぶりに海路映画見物に行った。
下田から清水へ40マイル7時間の航海である。

往路、素晴らしい光景に遭遇した。
土肥の沖合い10マイルほど、駿河湾央であった。
艇の左舷、バウからスターンにイルカの影が走った。4、5頭の群れである。10メートルほどおいてまた次の群れである。そしてまた次。
右舷にも見える。いや、あっちにも。
もう滅茶苦茶だと思っていたら、2-300メートルほど彼方に異様な感じがある。30センチ?ほどの魚がつんつん海の上に突っ立っている。海が盛り上がっている。そしてその周りにイルカの背びれが暴れ回っている。海鳥も寄ってきて鳥山だ。

駿河湾にこれほどイルカがいるとは聞いたこともなかったし、勿論見たこともない。
後で清水や御前崎の魚屋に揚がっている魚を見たが、多分あれは大型の鯵だろう。
それが小魚を追って、さらにイルカが鯵を追って、鳥が寄ってあの騒ぎになったのだろう。
昔、伊豆の西海岸でもイルカの追い込み漁をやっていたというから不思議ではないのかもしれない。
添付の写真で、遠くに見える作業船の左手の海面をご覧あれ。この写真では見えないかなあ。
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映画は「ファイヤー・ウオール」と「ブローバック・マウンテン」を見た。そこそこであった。
番組選択は時間割に左右される。

今回清水は1泊だけにして御前崎に回ることにした。
それは「玄象」のオーナーKさんが先頃下田で面白い人物と知合い、その人が御前崎に居るから会いに行こうとなったのだ。
ちなみにKさんは今をときめく日本のカリスマ主婦栗原はるみの実兄である。
栗原さんが「自分の料理は母に習った。」と言っているのは有名である。私はそのご母堂にご馳走になったりしている。
そのはるみさんが、「私はとてもお母さんの面倒をみられない。お兄さん、よろしく御願いしますね。」と言って時々小遣いをくれるのだそうだ。
つまり私も栗原はるみ人気の余慶に与っていることになる。

清水を出て三保の松原、久能山、安倍川河口、用宗漁港、焼津、小川と岸ベタを舐めて行く。
大井川河口で久しぶりに出光大井川油槽所を眺めた。
あと5マイルで御前崎となったところで急にアゲインストの風になった。対船で30ノットにもなった。
御前崎は長い遠州灘の東の端である。浜松からずっと山はなく低い砂丘が続いている。御前崎も山はないが、海だけはしっかりとした岩礁で侵食から守られている。近寄ると恐ろしい岩礁である。岩礁のさらに先に大きなお前岩が立っている。
岩礁を大回りして駿河湾の岸沿いに長い長い防波堤を作って大きな港を作った。
山はない。緑は無い。街どころか碌な集落もない殺風景な人工港である。しかし巨大な港である。
5年ぶりくらいに入ったら随分整備が進んでいた。自動車運搬船の埠頭が出来、コンテナクレーンが2基建って、なんとマリーナが出来ていた!
吹きっさらしで水も電気もない。マリーナと言えるかどうか知らないが。

写真の左から自動車運搬船、発電風車、コンテナクレンである。このずっと右奥に御前崎港マリーナがある。
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面白い人物の話は別項に書く。

それにしても今回の航海は寒かった。
拙者この日の出で立ちは、ヨット用防寒下着、木綿の長袖シャツ、毛糸のセーター、ヨット用ウインドブレーカーであったが寒かった。連日4時半に起きて5時に出航するのだが、9時になっても、12時になっても寒かった。4月なのに。

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2006.04.14

ステイーブ・ジョブズ-偶像復活

「ステイーブ・ジョブズ-偶像復活」(東洋経済新報)を読んだ。

面白かった。
が、面白かったのは彼がアップルから追放されるまでで、その後の彼の復活の部分はそれほどでもなかった。
他人の不幸を喜ぶ己の根性の下司さ加減を思い知る。

大雑把に流れを辿ると、ステイーブ・ジョブズはステイーブ・ウオズニアク(のちに別れる)とアップル社を創設するが、若い彼の思い付き経営では大きくなったアップル社を御しきれず、出資者たちが経営のプロを送り込む。そしてステイーブ・ジョブズは追い出される。
失意の彼はNext社を創設し新しいコンピューターで見返そうとするが、うまくいかない。売れない。だんだんとアップル社もおかしくなる。
そんな中でジョブズはジョージ・ルーカスからCGの実績および人材を抱えた事業部門を買い取る。ジョン・ラセターがここにいた。ピクサー社として史上はじめてフルCGの劇場映画を作成し、デイズニー社の配給で世界的ヒットを連発する。
アップル社は悩んでいた。OSがよくない。遂にNextのOSを導入することになる。
小躍りしてアップル社に戻ったジョブズは(最初は技術顧問)、たちまち自分を迎えてくれたCEOギル・アメリオを追い出す。
同じ頃音楽業界に目を付けたジョブズは使いやすい端末iPodでこの世界を制する。

今やパソコン、映画、音楽の世界に君臨するiConとしてステイーブ・ジョブズは復活したのである。

己の下司根性を多少自己弁護すると、ステイーブ・ジョブズの本当の戦いはこれからなのだ。
マイクロソフト帝国と如何に戦うか、そこが書かれなければ面白い本にはならない。
そしてその戦いはこれからである。

追記
実は一度だけマイクロソフトと遭遇戦のチャンスがあったのである。
巨人IBMがパソコン界に進出した時、OS/2がよくないとみてNextのOS導入を検討した。しかしステイーブ・ジョブスの尊大さがそのチャンスを潰してしまった。

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2006.04.11

琥珀-モバイルショップの検討

モバイルショップが現状どうなっているのか、かねて気にはなっていた。
ちょうど静岡で「ビッダーズ」が「ネット販売セミナー」をやるというので出かけた。
演題の中に「モバイルの仕組み」という項目がある。

なるほど。
モバイルショッピングは急成長している。
平成16年末で、インターネット利用者でPCだけからが2100万人、ケータイからだけが1510万人、両方からが4200万人。現在はすでにケータイからだけの人が多くなっているだろう。
そして若い。PC版ビッダーズ会員で29歳以下が32%、ポケットビッダーズ(モバイル向け)会員の29歳以下は69%。彼らもすぐに歳をとる。

ビッダーズはモバイルショッピングでは健闘しているようだ。
料金はフルサービスで月額6万円である。

1500円から5000円、平均3000円程度の琥珀原石を100個も売らないと割りに合わない。
私はそういう面倒なことはやらない。

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2006.04.10

「僕はマゼランと旅した」を読む

「僕はマゼランと旅した」(S・ダイベック 白水社)を読んだ。

I sailed with Magellan.

題名に痺れた。
この世にはまだこんなフレーズが残っている!

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「ザ・サーチ」を読む

「ザ・サーチ/グーグルが世界を変えた」(J・バッテル)を読んだ。

WWWワンダラー、ウエブクローラー、アルタビスタ、ライコス、エキサイト、ヤフーと検索エンジンの移り変わりを私は忠実に追いかけてきた。
吾れも時代の子である、とつくづく思う。
このわずかな期間に多くの盛衰があり、巨額の金が動いた。私のクリックもその金に関係していたのだ。私のポケットには全く関係なく。

そしてグーグルの登場。
この通信で<グーグルは文化を変える>と書いた記憶がある。

しかし「ザ・サーチ」を読んで、<グーグルに人類文化のランク付けを任せていいのか>と思った。
せめて、寸前だった「PICASA」の導入を取りやめることにした。
*PICASA―Googleが提供している画像管理ソフト。

Googleはこの世に存在するテキスト、画像、音楽、音声、動画のすべてをコンテンツに取り込んでインデックスを付けようとしている。そしてランク付けする。その基準は公表されていない。

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2006.04.06

琥珀-<体験工房><体験教室>

4月に入ったが琥珀磨き体験工房<アトリエ・ブルーアンバー>の客は妻の知合いのみで、新規客はまだ1人もいない。

ネット上で<体験工房><体験教室>について検索してみた。
トップ400件(もっともっとたくさんある)の内訳は次の通りである。
銀・シルバー 91件
ガラス(とんぼ玉など含む) 36件
ビーズ 25件
彫金 12件
陶芸 10件
革工芸 4件
七宝 3件
その他2件以下(鋳物、漆、染め、貝細工、琥珀など)

このように、銀工房が圧倒的に多い。
その割には金工房がない。
<体験>の付かない<工房>や<教室>ならどうなのかは調べてない。

琥珀は2件だけだった。
人気なしと見るか、希少価値ありと見るか。

感じたのは、<琥珀磨き>だけでは駄目で、<琥珀アクセサリー作り>を加えないといけないだろうということだ。
忙しい人にとって、琥珀原石の磨きから始めるのでは間尺に合わない。
磨いた石(ルース)を選んでもらって、それをアクセサリーに加工する体験コースが必要だ。(添付写真のルースは虫入りで4500円である)
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というわけで、いろんな金具やら革ひもやらの仕込みを始めた。
ルースの追加仕入れも必要だ。

客はないのに仕入ればかりしている。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞

2006.04.03

茨木のり子追悼特集号

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現代詩手帖4月号<茨木のり子追悼特集>を読んだ。

<代表詩選20篇><アルバム><追悼文><年譜>などがあった。
29人の追悼を読んだが、心に残ったのは3篇だけだった。中で新川和江の「現代詩の長女、逝く」が最初の1行から最終行まで、こちらの心に響いた。

ご本人は自宅で、1人で死んでいるのを発見された。
自筆の死亡報告が遺されてあり、近親者によって近しかった人々に送られた。
~~~~~~
このたび私、2006年2月17日、くも膜下出血にてこの世におさらばすることになりました。
これは生前に書き置くものです。
私の意志で葬儀、お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおついきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせていただきます。
ありがとうございました。
~~~~~~
日付と病名だけがブランクになっていた。

あくまで潔い人であった。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞

私は「現代詩手帖」という雑誌を始めて手にした。
殆ど名前も知らない多くの詩人の追悼文に、また追悼特集以外の記事を流し見たが、感ずることはなかった。

茨木のり子に「四海波静」という詩があることを知った。
~~~~~~
戦争責任を問われて
その人は言った 
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑いの吐血のように
噴きあげては 止まり また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
―略―
~~~~~~
これはヒロヒトを批判している。

しかし私はヒロヒト批判として、また昭和への挽歌として、山中智恵子の「雨師として・・・」の方がはるかに高く、深いように思うのだ。
私には言葉の歴史の積み重ねと、そして修練において、歌人が詩人を圧倒していると思われてならない。

山中智恵子追悼特集号が今月にも出るであろう。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞

BiglobeとNiftyと海と

つい先日、NECがBiglobeを切り離し住商と合弁の別会社にするとの報道を目にした。
そして昨日、Niftyがパソコン通信サービスを終了するとの記事に接した。

Biglobeの前身PC-VANのスタートは1986年であった。
Niftyの発足が1987年であった。
そして黒潮丸が主宰するSIG「PCオーシャンヨットクラブ」のスタートが1987年であった。

思えばわが通信ライフはパソコン通信と共に始まっている。
今、終焉を迎えようとしているのか?

~~~~~~
「PCオーシャンヨットクラブ」発足当時、私はいつも記事に川崎洋の詩「海」を書き添えていた。


背の高い人ほど 水平線は遠くなる
どういう人ほど 海は深くなるか
どんな言葉でなら あなたの身近に迫れるか    川崎洋

今も記事を読んでくれているN君が「川崎洋とはどういう人か?」と当時聞いてきた。
私は川崎洋について何も知らなかった。
ただ「海」という詩集を見付け、タイトルに惹かれて購入したのであった。「海」ばかり10数篇の詩が載っていた。それを順番にサイトに出していた。

川崎洋は2003年に死んだ。私はそのことを茨木のり子の年譜によって知った。
川崎洋と茨木のり子は2人で同人誌「櫂」を創刊した。「櫂」はその後谷川俊太郎、吉野弘、大岡信、岸田衿子、中江俊夫らの参加を得て詩壇の大きな勢力となる。
その茨木のり子も死んだ。


向きあうもの として は 海
これまで 信じなかったもの と 不意に回路がつながる ことが あるやも知れぬ
海 海と 思いつづけることが ぼくにとっての 海 だ
両頬に戸をたてられて 海だけを見ている馬
だが 夢に 海が流れ入る ことはない たぶん 水面の高さが同じからだろう
死ぬまぎわ 思い浮かべるものは 非常に 海に近いものに違いない     川崎洋

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2006.04.01

母の誕生日

私の母はいつもは川崎市で末弟と一緒に暮らしている。時々わが家に遊びに来る。
毎年伊豆松崎・大沢温泉の桜祭りに俳句の短冊を下げてもらうのが楽しみで、投句し、桜を見にやってくる。
今年も私の妹と一緒にやってきた。3年前から1人での旅行は無理なのだ。

3月30日は母の92歳の誕生日だったので、母、私、妹、妻の4人で祝った。

1.当夜の献立
  蕗の薹(もう煮て保存してあったもの)
  わさびの花の塩漬け
  わらびのお浸し(食前に摘んできた)
  黒豆
  卯の花
  吸い物
  伊東産イサキのダッチオーブン蒸し-じゃがいもと人参添え
  骨付きラム肉の焙り焼き
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2.終末治療
  たまたま富山射水市民病院の外科医の話になり、いい機会と思ったので母の意志を確認した。
  母は「私は意識がなくなって自分が判らなくなったら、いたづらな延命治療はして欲しくない。」とはっきりと言った。
  このことは他のきょうだいにも伝えておこう。(私たちは4人きょうだい)

3.大沢温泉さくら祭り
  母と妻と3句づつ竹の短冊に書かれてぶら下がっていた。
  どこに下がっているか探すのが楽しみだ。
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