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2006.03.20

安達瞳子賛美に駁す

安達瞳子が死んで、とかく賛美の論が喧しい。
たしかに美しい女性で華やかに生きた人だとは思うが、華人としての生き方はどうだったのか?

安達式挿花の後継者に立てられていた安達瞳子は椿を愛した父潮花に反抗し、「私は桜を活けたい」と言った。
父は顔を赤くして瞳子を叱った。「桜はいかん。桜というのは沢山まとまっているのを遠くから見るものだ。壷に活けられるものじゃない。」
瞳子は「私は時間を生けたいのです。どんなに生けにくくとも、パッと咲いてパッと散る桜の花の生命の激しさを生けたい。」と反論して家を出た。時に昭和43年、瞳子31歳。

80歳の父は瞳子を絶縁し、違う道に進んでいた息子を跡目に立てるが、失意のうちに死ぬ。

瞳子は家元制に疑問を投げかけ、流派に反抗して絶縁までされた身で、父、兄なきあとの安達流を統合し、自分は養女を迎えて世襲の準備まで整えていた。
桜を活けるはずが日本椿の会の会長まで務めた。

怖いもの見たさのお嬢さんが、好きなように生きて、本卦帰りして死んだということだ。

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Comments

黒潮丸さま、はじめまして。TBを送らせていただきました雪月花です。ご挨拶が遅れ失礼いたしました。当方へお寄りくださり有難うございました。

わたしの手もとにあります「椿物語」の図録に福原義春氏が詞書を寄せています。資生堂のマークの縁だけでなく、長く安達家を見守る立場におられる方なのでしょう。瞳子さんの花芸作品や遺された言葉、活動記録などに触れる限り、単なるお嬢さまの花遊びとは思われません。

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