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2006.01.31

琥珀&撮影ボックス

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妻がこのところ琥珀に凝っている。原石を磨いて石に仕上げるのだ。
琥珀は太古の樹脂の化石で、サンドペーパーで磨くとえもいわれぬ香気が漂う。
そこが魅力の根源のようだ。

写真を撮るために撮影ボックスの製作を志した。
Webに参考事例があった。ここ

ありあわせのダンボール箱を切り抜き、上面にトレーシングペーパー(光を和らげるため)、サイドにアルミのクッキングホイル(軽く揉んで乱反射させる)、底面から背面に黒い紙をアールを付けて、貼る。
接着はすべて両面テープ。
この箱で幅34センチである。前にあるのはレフ板のつもり。

さて撮影の結果は。
光源の具合など、まだまだ改善、習熟の必要がある。
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2006.01.30

8.6Kgの鯛

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本日、今年のオープンガーデンの打ち合わせミーテイングがあって、出席者の1人がこの写真を見せた。
8.6Kgの鯛である。

釣り場所は城ヶ崎海岸の通称’いがいが根’。
わが家から真っ直ぐ海に下りてちょっと右のあたりである。

私はもう20年も釣りをしたことがない。
ちょっぴり口惜しい。

城ヶ崎海岸住人・黒潮丸
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2006.01.28

明日は旧正月

諸兄諸姉よ。
明日29日は旧正月であるぞ。
祝おうではないか。

中学生くらいまで、旧正月が待ち遠しく、楽しかった。

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2006.01.26

猿の書き初め

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貼付の習字、これは何であろうか。
これは「インターネット書道」というソフトで書いた書き初めである。
ここ

猿が書いてもこれくらいの字になる。
お試しあれ。

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2006.01.25

売り手市場?

母校一橋大学での話だが、昨年あたり大企業は春だけではよい学生を採用し切れず、2割の会社が秋に再募集したという。
すると学生の中にはよい条件の方に乗り換える者がいるという。まるでバブル時代の再来だ。

今年はもっと売り手市場になるという。

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金魚のビル-2

あーあ、驚いた。またまた驚いた。
六本木のあのビルの中に、「金魚」というニューハーフショーをやっている店があるのだそうだ。

六本木に金魚のビルがあるという水槽の魚バブルで生きる

と詠んだ時には全く知らなかった。
金魚のように着飾った雄雌がひらひらと蠢いているのをイメージしただけだったのだ。

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2006.01.23

ニコン、コニカ、ミノルタの理由

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皆さんは写真の整理をどうなさっているのだろうか。

私はまったく写真マニアではなく、ただ記念に撮るだけだが、割りにマメに焼き増しをして配ったりしている。
そして自宅用はアルバムに貼る。
日記というものをつけていないので、出来事の年月を見るのに重宝している。

アルバムに貼るのは2,3年分まとめてなので、その時は2日がかりの重労働となる。
今回は2001年からほうってあったので尚更大変だった。3日かかった。
机の上に袋が積んである写真は2002年の分である。貼るときにはセレクトして随分捨てるのだが、これで40ページのアルバム3冊分になる。
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多分今回が最後のアルバム貼りになるだろう。
デジカメを最初に買ったのは99年だったと思うが、しばらくは大事な写真・記念に残すべき写真は銀塩写真の観念が抜けず、2002年まできた。
しかし2003年から銀塩写真が減りだし、ついに2005年は1本の銀塩写真も撮らなかった!
ニコン、コニカ、ミノルタがつぶれる訳である。

デジカメ写真は滅多にプリントにしない。
日付と撮影場所だけ付けてパソコンの月別フォルダーに入れるだけである。
いつでも取り出せる、見られると思うからだが、これは一覧性がない。

パソコンはあくまでパーソナルなものだ。
一覧性のない、みんなで見られない、家族で見られないパソコン保管はつまらない。

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2006.01.21

金魚のビル

ライブドア・ショックを聞きて詠める
六本木に金魚のビルがあるという水槽の魚バブルで生きる  黒潮丸


元歌
水底に眼のなき魚の棲むという眼のなき魚の恋しかりけり  読み人忘れた

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2006.01.20

春の方に近い

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まだまだ寒いけど、1月も20日になれば春の方に近いと言える。
昨日はたまらず花を買ってきた。

左はピンクのバーデンベルギア。980円。花が終わったら同じ白の隣りの地面に下ろしてやるつもりである。
実は昨年もそうしたのだが、夏の雑草に埋もれて消えてしまった。

右は雲南さくら草。798円。
背が高く、薄紫がノーブルな花だ。花保ちがいい。これも昨年買って鉢で大事にしていたのだが夏の暑さに融けてしまった。

さっき庭の木にアオゲラがいた。この辺りでは一番大きなキツツキだ。冬で木の葉がないからよく見える。

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2006.01.18

風説の流布

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アリコはつぶれるかもしれない。

今日電話があって、「アリコの販売を請負っている会社だが、新しい商品の・・・」と喋りだしたので「聞きたくない」と言って電話を切った。
TVのCMだけでいい加減うんざりしているのに、加えて電話セールスとはアリコはいったいどうなっているのか?
アリコは潰れるのではないかと思った。

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このようにブログに書いたらすぐにあちこちで検索されるだろう。

これは風説の流布にあたるのか?
家宅捜索され、パソコンを押収されて皆さんのメールアドレスなど全部調べられるのか?

風説を流すのはまことに簡単である。流布は誰かれがやってくれる。

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昨年8月、アリコのCMについて作った戯れ歌を再録する。

はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる  塚本邦雄

もじりて
遠つ国の保険屋がTV買い占めてこの国の老いに遠き死を売る  黒潮丸

2006.01.14

パソコン通信初期のSIG-OP

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あるサイトでパソコン通信の話題となり、そこで書いた記事を再録します。
当時私はPC-VAN「PCオーシャンヨットクラブ」のSIG-OPでした。

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パソコン通信は初め個人がマイコンピューターをサーバーにして一般電話回線を使ってお互いに繋ぎあっていました。草の根ネットワークと称したものです。
ですから電話代がべらぼうに掛り毎月10数万円を払う人も大勢いました。そこにパイオニアの心意気を感じていたのですね。

そういう中にNECなど全国に自社通信回線を構築した企業を先頭にして定額料金制(たしか月額2千円だった)のパソコン通信網を提供し始めたのです。1986年頃のことです。
殆ど自己犠牲の上に草の根ネットワークを張っていた人たちにとっては<有料制>というだけで大いに不本意で、商業主義反対とかいろんな抵抗もあったのですが、経済原則には抗し難く、やがてその中に取込まれていきました。
PC-VANの初期のSIG-OPにはそういう経過を経てきた人が多く、一種独特な気風が残っていました。NECにもある種それを認める雰囲気がありました。たまにSIG-OP会議などあると、集まってくるのは英雄・豪傑揃いで梁山伯の様相を呈したものです。

Nifty=富士通はPC-VANよりちょっと遅れてのスタートだったために、かえってそんなしがらみ無く商業ベースに徹して始めることが出来て、5-6年でPV-VANを追い抜くことになりました。

箒に乗る

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短歌誌を見ていて次の一首にあたった。

死ぬる事忘れかけたる齢(よはい)さて山姥になるか箒に乗るか  海野冨久子

海野冨久子とはいかなる人か、調べてやっと判ったこと。
88才。どうやら鵠沼の老人施設にいるらしい。もちろん短歌人名碌に載るほどの歌人である。

ひるがえって我が身、
死ぬる事忘れかけたる齢(よはい)さてWebの海で犬掻きを泳ぐ

「男たちの大和」3

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海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ、航空母艦も火夫も

昨年6月に死んだ塚本邦雄にこの一首あるを思い出した。
彼の代表詠の1つである。

2006.01.12

伊豆ガーデニングクラブの幹事会

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今日は伊豆ガーデニングクラブの幹事会でした。
IGCは各分科会の幹事で幹事会を構成し、幹事会でIGCを運営しています。
現在幹事は12名で、幹事会は年間3回くらい開きます。

今回は年初の、一番大事な会合でした。
昨年度の活動実績、会計報告、今年度の行事予定、予算、幹事の交代など重要事項の検討があり、2時間半があっという間に過ぎました。
終わって各人がそれぞれ持ち寄った1品を頂きながら新年会としました。

この後議事録を会員(83名)に送り、2月の例会で報告して今年の活動が始まります。
IGCには総会とか予算決算の細かい規定は敢えて設けていません。規約に「会員は会の活動への参加を強制されない。」と記されているほどです。

それにしてもいろいろと行事が多く、楽しみよりも苦しみが先に立ちそうなのは困ったものです。

2006.01.11

「男たちの大和」2

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S兄
外人記者クラブで見られた由。外人は概して評価しなかった由。
製作者は海外に売ることをあまり考えなかったかもしれない。

映画の中で、主人公の少年兵が大和の沈没のあと、戦死した一番の親友の実家を訪ねるシーンがある。
山峡の貧村である。母親が1人田植えをしている。主人公は友の死を告げ自分が生き残ったことの詫びを言う。
母親は「あの子の送ってくれた金でやっとこの田を買った。」と呟く。
主人公は田に入り、四つん這いになって「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」と泣きながら田植えを続ける。

日本の稲作は人工の水利を利用するため、水田を作るためには必然的に村落共同体に組み込まれる。
そこに独特のメンタリテイが発生する。
私も引揚げ後2年間田圃を手伝った。手に、足に、いまだに泥田の感触が残る。

この挿話は辺見じゅんの原作にあったものだろうが(私は原作を読んでいない)、それを取り上げて映像にした映画作りを、いいと思うのである。

2006.01.09

テクノラティのこと

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ご存知の方も多いのだろうが、テクノラティという検索エンジンがある。
ここ

これはブログ検索に特化した検索エンジンである。

どこが、どういう目的で、どういう技術でやっているのか私には判らないが、
とにかくその性能が凄い。

私がブログを書いて、5分後にテクノラティで検索すると出てくる。
<「男たちの大和」を観た>を書いて、5分後に<角川春樹>を検索したら自分の書いた記事が出てきた。

GoogleともRSSとも違った意味で凄いものだ。

「男たちの大和」を観た

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映画「男たちの大和」を観た。
海がらみとなれば外せない。

いい映画であった。
製作:角川春樹。監督・脚本:佐藤純彌。
ヒロイックに昂らず、シニカルに堕さず、いい映画作りであったと思う。
角川春樹の闊達な感性を偲ばせた。
佐藤純彌について知るところない。われらより10年20年の後生と思ったら、なんと1932年生まれという。大変な馬力だ。

中に1943年(昭和18年)6月山本五十六連合艦隊司令長官(戦死後元帥に補せられる)の国葬の葬列のフィルムが流れた。当時の日本国民の深い哀しみが画面に溢れ、粛然とさせられた。国民はあの時に敗戦を予感したのか。

映画館は満員であった。

2006.01.08

花仕事の状況

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私はオンラインのガーデンデザイン・セミナーを開講しています。
最近修了生を中心に、<花を植える>ことを仕事にしていこうという<花植え人>ネットワークを構築中です。

そういうわけで、現在所謂<花仕事>がどんな状況にあるか調べてみました。
《調査対象》はリクルート他の「ネット系」と「ハローワーク系」の各サイトです。
《キーワード》は「花」「フラワー」「植」「庭」などですが、「庭」は「家庭」を取込んでしまうので不適でした。
《調査目的》は1)求人・求職のバランスはどうか?、2)花仕事にはどんな仕事があるか? です。

現在が花の不活性な時期であること、年末年始の特殊な時期であること、これまで求人情報を研究した経験がないこと、定量的でなく定性的に感じを掴んだだけであること、などからあまり確たるものではありませんが、私なりに結論を得たように思います。
1)花仕事への求人は活発であり、求職を上回っているようだ。
2)花仕事は、「花屋・ガーデンセンターの接客、花扱い、ブーケ作りなど付加価値作り、配達」「ブライダル・イベントなどの装花、設営、運搬」「植物リース関連」「花生産現場」が殆どである。<花を植える>求人はない。

1)求人が求職を上回っているとみたのは、Job関連掲示板などで求職者の投稿が早く消去されていること、ハローワークの10月11月頃の求人情報がまだ掲載されていること、などからです。年令制限も思ったほど厳しくなく、必ずしもパートだけでなく正社員募集もそれなりにありました。
大企業はなく殆ど小企業ですから、即戦力となる花屋勤務経験、フラワーアレンジの技術などを求めているのは当然と思いました。新卒者には厳しい世界かもしれません。
ただ花仕事の95%が根のない花、生花、切花であることはショックでした。私にとって花仕事の前提は根のある花ですから。

2)<花を植える>求人がないのは、<花を植える>ことを<ガーデナー><花植え人>に頼む習慣がないことを示します。頼む相手は伝統的に植木屋です。そして私の持論では植木屋は花のことを知りません。修行内容は重機操作と樹木・石の知識です。
だから植木屋からの求人もあるのですが、「花の知識のある人を求む」ことすらないのです。

どうやら<花植え人>ネットワークこちらは新しい職種を創造しなければならないようです。
しかしこの辺りの接客施設の状況からいっても、伊豆ガーデニングクラブのメンバーの状況からいっても、<花植え人>へのニーズは確実にあります。

2006.01.07

安達瞳子と椿

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「婦人画報」2月号の新聞広告に、<安達瞳子の百椿>の記事タイトルを見た。

父潮花は椿を愛し、庭に1万5千本の椿を植えた。娘瞳子は「私は桜を活けたい」と言って家を出た。このことは先に書いた。(10/28)
時に潮花80才、瞳子31才。失意の潮花は娘を絶縁し、間もなく死ぬ。

いま、瞳子は椿に何を語るのか。立ち読みしてみよう。

2006.01.05

写真の整理

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NZ10日間の旅行の写真整理に丸1日掛かってしまった。
もう老い先永くはない身のこととて普段記録にはあまり関心がないのだが、今回は庭の写真を多く撮ったので整理する気になった。
これまではフィルムを店に出せば無料でプリントしてくれたのに、デジカメに代わって自分でプリントすることになった。これが時間が掛かる。
加えて途中で調子がおかしくなりキャノンのサポートにヘルプを求める始末。(出てきた女性はよく出来たな)
自分で時間をかけて、コスト(紙やインク)も掛かって、碌なことはないのだが全体としてやはりデジカメに軍配を上げざるを得ない。

庭は10ヶ所以上巡った。
過去の受賞庭など個人の庭も3ヶ所巡った。個人の庭に自分では行けないのでガイドを雇ったが、1人では行ってくれないので2人分払った。
2人分払った価値は充分にあったと思う。(ガイドが幾らか庭に払っているようだ。)
しかし私にとって最高だったのはクライストチャーチのボタニック・ガーデンの中のHerbaceous Borderである。パラダイスにいるような気持ちがした。2度目の訪問だが感激はいや勝った。

関心はすっかり庭に向いてしまっているが、オークランドでアメリカズ・カップ-エリアなどに行き、海風に触れ、船の浮かぶのを見ると心は揺らぐ。

義理の娘Katieの結婚式は郊外の葡萄畑の中のレストランで行われた。花婿のgroomsman として友人が2人イギリスから来てくれていて、2人ともtail coat を着て立派だった。

2006.01.03

乗り初め式

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明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

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2日朝は八幡野港の乗り初め式に行った。

6時半からなので6時10分に家を出る。まだ暗い。
港の漁協前の広場で6時半ちょうどに漁港関係者の新年乾杯があり、すぐに参会者にも酒が振舞われた。
お酒と干物を焼いたのをもらう。
海老名さんがいたので新年挨拶をする。もうさくら草の芽分けを始めたそうだ。
そして味噌汁を頂いた。その辺の岩に付いている貝のダシだけだが熱くて最高に旨い。

そのうちに<おひねりまき>が始まった。船の舳先からいろんなものを播くのである。
妻と2人で餅を3つと、10円玉と10円×2と50円玉のおひねりを拾った。
ほかにも大きな菓子や、いろいろと播く。
5、6年前、母がまだ元気だった頃連れてきて、誰よりも一番多く拾ったことを思い出す。

暗いのでカメラを持って行かなかったので、今朝の伊豆新聞を添付します。

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実は家を出る前に1つ行事があった。
朝一番にロビーを用足しに連れて出なければならない。
真っ暗で肝心の用の物が見えないので懐中電灯を持って出たのであった。

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