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2005.10.11

マッチ箱

KodaAya-match


∞∞∞∞∞∞∞∞∞(写真は幸田文のマッチ箱)
H兄から国立(くにたち)「ロージナ」の懐かしいマッチ箱の写真を送って頂き、思うことが幾つかあった。

まずはこのデザインである。誰がどのように描き、どうやって版を起こしたのだろうか。当時、どこの喫茶店でもどこのバーでも、それぞれに自分の図柄のマッチを持っていた。店主がすべて絵を描けるとも思えない。それほどデザイナーがいたとも思えない。印刷屋の職人が手軽に描いたのだろうか。
あの小さな版を、少量多品種、パソコンもプリンタもない時代に、どうやって供給していたのだろうか。
時代の文化であった。

「ロージナ」のマッチ箱を送ってもらった時、ちょうど私は村松友視の近刊「幸田文のマッチ箱」を読んでいた。
幸田露伴の娘、本人も芸術院会員という幸田文の文章を、私は「おとうと」「みそっかす」「流れる」以降読んでいない。
研ぎ澄ました刃物で香り高い堅木を薄く薄く削って作り上げた手作りの椀で汁を飲まされるような、そんな気持ちがして、幸田文の文章の一語一語が、手に当たり、唇に触り、喉を刺して、飲み果せないのである。
昭和48年刊の「闘」は、ついに読了されないままわが書棚に30年間座っている。妻と娘は読んだようだが。

そんな畏敬して近寄りがたい人も、手練れの編集者村松の目を通せば少しは近い人になろうかと読み始めた本であった。
昭和40年頃、学校を出たての中央公論編集記者村松友視は幸田邸に出入りするようになる。まだ若い村松は、文に文章を依頼し、催促するほどの立場でもなかったという。そこには「村松梢風の息子」を視る、「露伴の娘」の眼差しもあったであろう。
~~~~~~
<これ、どうしたんですか>
「あ、それね、貼ったの」「近ごろ、外へ出るったて銀行でしょ」「あそこでマッチもらってくるんだけど、銀行のマッチってのは味気なくってね」「だからね、季節の千代紙貼ってみたんだけどさ」「ああ、そんなもんでよかったら、どーぞ!」
私は、そのマッチを、忘れないようにポケットに入れた。
千代紙を貼ったマッチに目をつけたのは我ながら手柄だった、と今でも時々思う。
当時のアパートの本棚の途中に、幸田文作のマッチがいくつも並んでいった。それは、私にとって壮観といってよい眺めだった。

・ ・ ・私はいつものようにテーブルから千代紙を貼ったマッチをつまみ上げた。そして、つまみ上げたマッチを宙に浮かせたまま、しばらく黙り込んでしまった。マッチをつまんだ指のはらに、冷んやりとした感触が伝わったからだった。幸田文さんは、私の表情に気づいて、照れくさそうに笑いながら、言い訳をするように言った。
「あんまり急に来るもんだから、いそいで貼ったのよ」「だから糊が」「そうよ、あんまり急だったから」
幸田文さんは、かるく私をぶつような仕種をして、私の茶碗に手をのばした。新しい茶を入れに、居間に立つためだった。
~~~~~~

私のマッチの思い出はもっと即物的である。
昭和30年代、わが勤務先でもマッチを出していた。来客応接にはいつもマッチを切らさなかった。アポロマークとアポロガソリンのロゴの入ったマッチである。
このマッチ箱には正確に32本の軸木が入っていた。狂っても1本であった。
何故それが判ったか。当時私は1日60本のタバコを吸っていた。まだ使い捨てライターのない時代で、毎日60本のマッチ軸を消費するのであった。ピース6箱を吸うと、2箱のマッチが4本か5本残るのであった。

私は32才でタバコをやめた。急死した父の喪に服すつもりだった。享年55才だった。

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