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2005.10.31

ツワブキが咲き出した

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庭のツワブキが咲き始めました。

現在のわが庭はここを見て下さい。とりあえず16種の花。
ここ

2005.10.30

IGC花の苗フリーマーケット

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本日は伊豆ガーデニングクラブ恒例の秋の「花の苗フリーマーケット」であった。
天候に恵まれ、賑やかで、楽しくて、いい催しだった。

うちで出した苗物は完売した。
アカバセンニチコウ(150円)、チェーンネックレス(50円)、ハートカズラ(50円)、栄養系コリウス(50円)、ジュリアン純白(30円)など、すべて越年物で殆ど挿し芽増殖苗である。
やまもものジャム(700円)は大好評で完売したが、やまもものリカー酒(800円)は2本しか売れなかった。
皆さん「うちにも梅酒なんかがあるから」と言うのだが、やまもものは格別なのに。

本当を言うと、ジャムは手がかかるのでリカー漬けは手抜きだったのだ。
仕方がない、来年はジャムで頑張ろう。

2005.10.28

春の花の種蒔き

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今日は春の花の種まきをした。例年より1週間ほど遅い。
風がなく、良い日であった。風が強いと種まきは出来ない。

準備は結構大掛かりである。道具、資材、種子、などなど、取り掛かるまでが大変だ。写真001

セル・トレイに土を入れ(私は下半分に普通の培養土、上に種蒔き用の土を入れる。種蒔き用土だけだと値段が高いのと、肥料分がないからである)、ハガキを二つ折りした紙に種を載せて、先の丸い箸で1粒づつ落としていく。普通は1セルに2粒落とす。
ロベリアやパンジーは極微小粒なので数えては落とせない。
土をかけるかどうかは種子の性質による。写真007

これが今日蒔いた種子の袋。写真009

購入種子だけでなく、咲いた花から取り込んだ種子もある。写真008はむらさきはななを採っておいたもの。こうして新聞紙にくるんでおくのがいいようだ。

蒔いたセル・トレイを受け皿に載せ、底面潅水させる。
直後は雨の当たらないところ、陽の当たらないところにおく。場合によって新聞紙を被せる。
発芽したらすぐに新聞紙は外す。陽の当たる場所に移す。
発芽して10日過ぎたら薄い液肥を与え始める。写真010

これが私のやり方である。

安達瞳子と花芸安達流

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JRのPR誌をめくっていて、面白い記事に行き当たった。
「安達瞳子・安達育-親子インタビュー」という記事である。

あれ?! 安達瞳子に子供がいたのか?

現在よりもずっと生け花界が盛んだった時代、フラワーアレンジもプリザーブドフラワーもガーデニングも全部合わせて生け花だった時代、一代で池坊すら脅かす勢いとなった草月流の跡は娘霞が継ぐものと誰もが思っていた。
その霞が突如家出して妻子ある男の許に奔った。昭和31年、霞24才の時のことである。まさに驚天動地の大事件で、当時花とは何の縁もなかった大学生の私にすら大きなショックとして記憶に残っている。
一方池坊、華道家元を名乗りすべての生け花流派の源流と目される池坊では、この頃お家騒動や脱税摘発で大揺れになり、その最中の昭和38年に家元専永と保子が結婚する。その後のスキャンダルも記憶に新しい。
そして安達式挿花、安達潮花の娘瞳子は1人家を出た。昭和43年、潮花80才、瞳子31才である。家を出てアパートの一室に安達瞳子制作室を開いた。失意の潮花は瞳子の絶縁を宣言し、既に家を出て陶芸に進んでいた長男良昌を跡目に据える。
潮花は椿を愛し世田谷の自宅に15000本の椿を集めた。瞳子は桜を活けたいと言って家を出た。

私の知る瞳子の消息はここまでである。そこからいきなり今回の雑誌記事となった。
このあたりの華道界の動静は「華日記」(早坂暁 小学館文庫)に読める。私のサイトにも若干を記す。
ここ

なおこの椿はのちに椿を社章とする資生堂が引き取ったという。

記事は今年1月瞳子の娘育が「花芸安達流」の副主宰就任式典を行ったことについての親子の対話である。
親子といっても育は10歳の時に潮花の生家である広島の浄念寺から養女として瞳子のもとに来た。現在26才。
副主宰就任は跡目相続のご披露である。

それにしてもこれは何であるか?
瞳子の家出は何だったのか?
記事によれば、43年独立、48年「花芸安達流」主宰、56年生家の「安達式挿花」を「花芸安達流」に統合、とある。
そして得々として養女育と伝承について語る。

家元制度が茶道、華道ほかの日本の文化を伝えてきたという擁護論はかねてある。
それにしても瞳子の家出は何だったのか?

2005.10.23

国際フラワーEXPO

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ビッグサイトで開かれている「#2国際フラワーEXPO」に行った。
一般には公開しない業者だけの見本市ということであるが、どういうわけか私のところにも招待状がまわってきた。

出展社数450社、世界25カ国が参加と規模は大きい。とても半日ではまわりきれない。
<切り花・鉢物・種苗><花材・包装資材><プリザーブドフラワー><花関連雑貨><ガーデニング><生産資材><店舗什器><書籍雑誌>のゾーンに分かれている。離れた場所に<フラワーデザイン>があるようだった。

とにかくブースが多い。多すぎる。そしてブースだけである。
いきなりブースの行列で、メインの広場もデイスプレイも何もない。
それと大ブースもない。ボートショーのヤマハとかトヨタのように中心となる大ブースがない。
サカタのタネなど大メーカーだと思うのだが、それでも2-3ブース合わせたくらいの広さしかない。
ぐるぐるとブースを巡るだけであった。

結構大勢の人が来ていた。女性は花関連業者の社員風と、フラワーデザインとプリザーブドフラワーの関係者が多いようだった。
3日間の会期中30近いセミナーが企画されていて、参加料は5-7000円であった。東京のセミナーは高い。

半分アマチュア、半分プロとなりかけている?私の立場で、特に面白いと思ったものはなかった。
記憶に残ったのはサカタが来年発表するという「サンパテイエンス」(直射日光に耐えて大きく成長するインパテイエンス-写真参照)であった。
ダリアの新品種を並べてあったのも楽しかった。
国際ラン展では東南アジアからの出展が多かったが、ここでは欧米が多かった。業者向けなので即売がなく、出展費用をすぐに回収出来ないのであろう。

午後の集まりに行く時間が迫り、昼食は地下鉄の売店でアンパンとミルクを買い、ホームと車内で食べた。
東京は忙しい。

堂ヶ島洋ラン・センター

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私は庭に花が咲いていればいいのであって、個別の花に特に愛着はない。
美しい個体、珍しい個体を育てることに関心はない。
<さつき同好会><バラ友の会><カトレア協会>などに入る気持ちはさらさらない。
個々の花にこだわっている余裕はないのである。
その中でもバラと洋ランは、近づくと奥の深そうな複雑な世界の魅力に取り込まれそうな危険を感じて、かねて敬して遠ざかっていた。バラとランは嫌いだ、と広言もしてきた。

最近「蘭に魅せられた男」(スーザン・オーリアン ハヤカワ文庫 00/10)を読んで、その危険を更に再認識したが、つい堂ヶ島洋ラン・センターに出かけてしまった。

「蘭に魅せられた男」は、ファカハッチー・ストランド州保護区と呼ばれるフロリダの湿地帯から貴重な希少種であるランを盗み出したとして、ジョン・ラロシュという男と3人の原住民セミノール族が捕らえられ裁判にかけられる新聞記事から始まる。ラロシュは有名なラン・コレクターであるが、原住民は絶滅危惧植物保護法から逃れられる規定に目を付け、原住民がラン園を開く名目で野生ランを採取したのであった。
その記事を見たニューヨーカー誌の女性記者が取材に出かける。ファカハッチーはアマゾンのバンタナルを思わせる深い湿地帯であるが、記者スーザンはラロシュに会い(ファカハッチーへの立ち入りは禁じられているので)、森林警備員とファカハッチーに入る。それはまさに腰まで泥に漬かり、蚊や虻に襲われヒルに吸われる難行軍である。スーザンは次第にランとフロリダの持つ奥深い風土に牽かれていく。
このニューヨーカー誌、しかも女性記者というキャラクターと、フロリダ湿地帯や狂気じみたラン・コレクターたちの対比・落差が1つの面白さである。
しかしそれよりなにより次々と登場するラン・コレクターの凄まじい個性と魅力、それとフロリダ開発の歴史が我々を圧倒する。フロリダは気候温暖な年金生活者の楽園と思っていた先入観はまったく覆される。

というわけで、ついつい伊豆堂ヶ島の洋ラン・センターに出かけたのであった。
何度も行ったところであるし、ランの開花期でもないらしくそれほどの花はなかったが、3鉢買ってきた。
チョコレートの色と香りのオンシジュウムと、紫の濃いデンドロビューム・ファレノプシスと、薄紫のミニカトレアである。
ミニカトレアは矮化剤ではなく原種からミニの種類である。

写真は購入したミニカトレア、入り口風景、バンダという空中で咲くラン、である。

2005.10.17

アメリカン・ホームにクレーム

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まあ皆さん、聞いて下さい。

今般妻の手術入院通院騒ぎがあって、あちこちに保険請求した。
中のアメリカン・ホーム保険会社が、保険金請求書や診断書に加え、妻が私の妻であることを証明する住民票を送れと言ってきた。
あのTVコマーシャル百万遍の会社である。

いったいこれは何であるか。
ア社に電話したら、妻信子が保険対象であるのは契約者一義の妻であるからであって、信子であるからではないという。
保険証券には信子と明記されているのにである。

腹が立って県の消費者相談センターに電話したがいい加減な応対であった。

2005.10.16

iTunes4

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iTunes、iPod がますます面白い。

1.CDからiTunes或いはiPod へのコピーが実に簡単である。楽しい。
  この間古いCDを持ち出して20曲ほどコピーした。もう10年も20年も聞いていなかったCDのお気に入りの1曲が生き返る。
  曲名をずらっと眺めていて気がついた。50年代、60年代の歌がない。さすがにもう古臭くて聞く気にならなかったのか。
  しばらくしてまた気が付いた。これはCDの曲だけだ。SP、LPはもう捨ててしまったのだ。

2.私の耳にはiPod のイヤフォンがうまく止まらない。草取りなどしているとすぐ外れてしまう。
  それで頭に掛けるレシーバーを買った。なんとなく格好良さそうではないか。680円だった。
  ところが聞いていて楽しくならない。どうやら私の耳ですら見放すほど音がひどいのだ。
  やはり680円では駄目か。

3.iPod の新機種で動画配信が始まった。
  機械が3万5千円、ミュージックビデオが1曲300円である。
  これが音楽配信のおまけだと。
  TBSは楽天のおまけになる?

4.今、私が欲しい曲は村田英雄「無法松」、春日八郎「別れの一本杉」なのだが、どちらもiTunesにはない。

假屋崎省吾in上野駅

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時間があったので上野駅で降りた。
新聞に「假屋崎省吾が上野駅のコンコースに大きなデイスプレイを作った。」と出ていたからである。
特に彼に入れ込んでいるなんてことはまったくなく、花人としては川瀬敏郎の方がずっと上だと思っているのだが、假屋崎のバイタリテイには好き嫌いを超越する魅力がある。

デイスプレイは東京都美術館の「プーシキン展」に協賛するものであった。
一見して、なんてことはない展示であった。
新味も工夫も迫力もない、普通のデイスプレイであった。

ギャラが安いので手を抜いたか。
忙し過ぎて手が廻らないか。
この辺が限界なのか。

まあ、忙し過ぎるのであろう。

旧古河庭園

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午後から会合があって(実はガーデニング講習会)、朝から出かけて上中里の旧古河庭園に行った。初めての訪問である。
陸奥宗光の邸であったが、陸奥の誰かが古河財閥の養子になり古河の手に移って、大正初期に改築・改造したらしい。
建物・西洋庭園の設計は鹿鳴館・ニコライ堂などを設計した英人で、日本庭園の庭師は小川治兵衛である。

バラで有名だそうで、ちょうど「秋のバラ・フェステイバル」をやっていた。盛りだった。
ボランテイアによる庭園ガイドに付いて巡った。
洋館の周囲および正面が西洋庭園で、正面の庭が整形庭園の沈床庭園になっている。上段がバラで、下段はつつじ、さつきの花壇だ。
このようにくっきりとしたサンクン・ガーデンを、国内では初めて見た。

日本庭園が見学の目的である。
石灯籠や石塔が15もあって、また庭石も渡り橋も、そのどれもが実に大きい。
植治が関西で名を挙げて、大きなスポンサーがついて勇躍東京に乗り込んで、好き放題に石を使ったのかと思ったらそうではないらしい。
大きなのが好きなのは古河で、植治はむしろ辟易していたとガイドの解説であった。

植治といえば水の流れと石組みである。滝があり、池がある。
武蔵野台地の斜面を利用して見事に滝を作っている。何段にも落とし、石を囲って音が響くように作ってある。
しかしここには琵琶湖疏水はない。最初からポンプアップだったという。その大きなポンプは足尾鉱山のポンプを持ってきたという。
滝があり、渓谷があり、池があるが、やはり全体として流れがないのが淋しいところだ。

植治は懸命に石で流れを見せる。渓谷の組み方、枯れ滝のごろた石で見せる流れ、あちこちの石垣。
富士山の溶岩で作った「黒ボク石積み」と、京都の技法によるという「崩れ石積み」が名所になっている。
富士山の溶岩積みは、伊豆では当たり前だ。もっと凄いのがざらにある。
「崩れ石積み」とは乱雑に崩れたように見せながら積む技法だそうだ。建設直後の関東大震災でも崩れなかったと威張っていた。

帰宅して、「うちの石垣にも何か名前を付けるといいな」と言ったら妻は、「小川治兵衛だ崩れだなんだと言うより、これを作らせたら800万円と言う方が判かりが早い。」と言った。

2005.10.11

<ガーデン・ボランテイア>募集

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伊豆オープンガーデンでは、このほど<ガーデン・ボランテイア>の募集を始めました。
参加庭の庭主の高齢化が進み、ヘルプが欲しいの声が強くなってきたのです。

応募者には1泊2食付きのホームステイを無料提供します。
詳細はここ

マッチ箱

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∞∞∞∞∞∞∞∞∞(写真は幸田文のマッチ箱)
H兄から国立(くにたち)「ロージナ」の懐かしいマッチ箱の写真を送って頂き、思うことが幾つかあった。

まずはこのデザインである。誰がどのように描き、どうやって版を起こしたのだろうか。当時、どこの喫茶店でもどこのバーでも、それぞれに自分の図柄のマッチを持っていた。店主がすべて絵を描けるとも思えない。それほどデザイナーがいたとも思えない。印刷屋の職人が手軽に描いたのだろうか。
あの小さな版を、少量多品種、パソコンもプリンタもない時代に、どうやって供給していたのだろうか。
時代の文化であった。

「ロージナ」のマッチ箱を送ってもらった時、ちょうど私は村松友視の近刊「幸田文のマッチ箱」を読んでいた。
幸田露伴の娘、本人も芸術院会員という幸田文の文章を、私は「おとうと」「みそっかす」「流れる」以降読んでいない。
研ぎ澄ました刃物で香り高い堅木を薄く薄く削って作り上げた手作りの椀で汁を飲まされるような、そんな気持ちがして、幸田文の文章の一語一語が、手に当たり、唇に触り、喉を刺して、飲み果せないのである。
昭和48年刊の「闘」は、ついに読了されないままわが書棚に30年間座っている。妻と娘は読んだようだが。

そんな畏敬して近寄りがたい人も、手練れの編集者村松の目を通せば少しは近い人になろうかと読み始めた本であった。
昭和40年頃、学校を出たての中央公論編集記者村松友視は幸田邸に出入りするようになる。まだ若い村松は、文に文章を依頼し、催促するほどの立場でもなかったという。そこには「村松梢風の息子」を視る、「露伴の娘」の眼差しもあったであろう。
~~~~~~
<これ、どうしたんですか>
「あ、それね、貼ったの」「近ごろ、外へ出るったて銀行でしょ」「あそこでマッチもらってくるんだけど、銀行のマッチってのは味気なくってね」「だからね、季節の千代紙貼ってみたんだけどさ」「ああ、そんなもんでよかったら、どーぞ!」
私は、そのマッチを、忘れないようにポケットに入れた。
千代紙を貼ったマッチに目をつけたのは我ながら手柄だった、と今でも時々思う。
当時のアパートの本棚の途中に、幸田文作のマッチがいくつも並んでいった。それは、私にとって壮観といってよい眺めだった。

・ ・ ・私はいつものようにテーブルから千代紙を貼ったマッチをつまみ上げた。そして、つまみ上げたマッチを宙に浮かせたまま、しばらく黙り込んでしまった。マッチをつまんだ指のはらに、冷んやりとした感触が伝わったからだった。幸田文さんは、私の表情に気づいて、照れくさそうに笑いながら、言い訳をするように言った。
「あんまり急に来るもんだから、いそいで貼ったのよ」「だから糊が」「そうよ、あんまり急だったから」
幸田文さんは、かるく私をぶつような仕種をして、私の茶碗に手をのばした。新しい茶を入れに、居間に立つためだった。
~~~~~~

私のマッチの思い出はもっと即物的である。
昭和30年代、わが勤務先でもマッチを出していた。来客応接にはいつもマッチを切らさなかった。アポロマークとアポロガソリンのロゴの入ったマッチである。
このマッチ箱には正確に32本の軸木が入っていた。狂っても1本であった。
何故それが判ったか。当時私は1日60本のタバコを吸っていた。まだ使い捨てライターのない時代で、毎日60本のマッチ軸を消費するのであった。ピース6箱を吸うと、2箱のマッチが4本か5本残るのであった。

私は32才でタバコをやめた。急死した父の喪に服すつもりだった。享年55才だった。

2005.10.09

日本の美人

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昨日、午後から東京で会合があり、せっかくだから朝から出かけて「江戸東京博物館」に寄った。
皆さんはすでに何度もお出かけだろうが私は初めてである。

「美しき日本・大正昭和の旅展」をやっていて、そこで思わぬ掘出し物を見付けた。
「幕末明治-美人帖」(ポーラ文化研究所編)である。B5版198ページの豪華本である。
早速購入した。わが宝物となるだろう。

貼付の写真は「江良(えら)加代」、明治初期の祇園の美妓である。
歌舞伎役者の五代目中村歌右衛門が「こんな芸妓、生涯二度とお目にかかるまい。」と言ったというが、さもありなん。
お加代に最初に目をつけたのは西園寺公望26歳であった。13歳になったばかりの加代を正妻としたが、西園寺家には代々正妻を迎えない家訓があり大問題となった。結局数ヵ月後に祇園に戻された。
その後木戸孝允、伊藤博文、三井高辰などの寵愛を受け、’生涯幸せに暮らした’という。

こんな美妓を座敷に呼び、盃に美酒一献注いでもらうだけで、男冥利に尽きるだろう。
いや、言い直そう。人間冥利に尽きるだろう。

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2005.10.07

わがネット・ライフ

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秋の夜長にわがネット・ライフの一端をご披露する。

1.Webサイト
  最初に始めたのが「中古艇サイト」である。私が最も独自性を持つ世界なのだが、最近は熱が入らない。
  「伊豆ガーデニングクラブ」&「伊豆オープンガーデン」のサイト
  「ガーデンデザイン」のサイト。ここでアフィリエイト・プログラムを進めている。
  営業で請けているサイト-2つ
  自分が作って、すでに廃止したか他の手に移ったのが7つ

2.ブログ・サイト
  1つ
  ほかに2つ作って閉じた。

3.SNS
  ソーシャル・ネットワーキング・システムというものである。紹介がないと入れない、というシステムである。
  ライブドアの<フレンドパーク>というSNSの中に「花のある庭作り」というコミュニテイを作った。
  まだSNSの本質を掴むに到っていない。

4.めるまが
  過去3つ作って閉じた。

5.ML
  YAHOOの<グループ>というのは、いくらか機能のついたMLだと思うが、最近 flowergarden-society を開いた。
  行く末はまだ判らない。

6.その他
  はてなブログの中に<ブックマーク>というのがある。非常に面白い機能で注目している。

黒潮丸通信は当初大学同期生間の連絡網への投稿であったが、OutlookExpressのアドレス帳機能を使ってML的に使っている。アドレスをグループ分けして、内容により発信を振り分けている。

なんでもやってみて、つまらなければすぐ辞める。忙しいことである。

2005.10.04

ミス再発

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これは何の写真であろうか?

なにやら瓶を顔の横に掲げている。
鏡の前で撮ったので文字が読めるように逆転してある。
「ビオレ」と読める。

1週間ほど前から頬のあたりがガサガサになって気になっていた。思いついてクリームを塗った。ヨット用の洗面袋から取り出して塗った。ところがさっぱり改善されない。
今朝何気なく「ビオレ」の内容を読んだらシャンプーではないか!これでは改善されない道理だ。

実は以前にも同じようなことをしている。

~~~~04年3月~~~~~~~~
前略
> 加齢により肌に水気が乏しくなり、冬場などがさがさの状を呈する。
> それで稀に(月に数回)セナクリームなるものを顔面に塗布する。保水作用があると
> いう。
>
> 今朝しげしげとそのクリームを見てみたら、なんとそれはヘアクリームではないか。
> ここしばらく、整髪料を顔面に塗布していたのであった。
>
> なんと云うべきや。
~~~~~~~~~~~~

人間はかくして老いてゆくのであるか。

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