「亡国のイージス」を観た
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映画「亡国のイージス」を観た。
6月に九州西岸クルーズで佐世保に寄ってイージス艦「金剛」を見て、それから福井晴敏の小説「亡国のイージス」を読んで、そして映画「亡国のイージス」を観た、という順番である。
小説はまあまあ面白かった。
こういうことを考えて、これだけ書くと印税で2-3億円になるのかと思った。
北朝鮮の特務機関員が大きな役割を果たしている。村上龍の「半島を出よ」も北朝鮮の反乱軍が九州を占領する話である。どちらも北朝鮮がらみだが、今年出た「半島」より99年出版の「イージス」の方がずっと面白い。
映画の主役は真田広之である。
2時間10分の映画で、650ページの小説の内容を観客にどこまで伝えきれるかと思ったが、映像には映像の表現力があり、それなりの物語りになっているのだろう。
準主役ともいうべき<如月 行>(きさらぎこう)を演ずる若い役者がどうも頂けない。迫力不足。凄味不足。色気不足。岡田准一などどうかと思ったが、水兵さんのように髪を短く切ったらどうなるか判らない。
1つ言いたいのは海の広さである。東京湾は狭いのだ。
距離の数字はちゃんと追っている。しかし海がよほど広い場所のように考えているようだ。10マイルが接近限度線だとかなんだとか言っているが、イージス艦なら20分の距離と判っているのだろうか。浦賀水道の水深20メートルと言っているが、東京湾全体で深さ20メートル以上の海が何%あると思うのか。
何かというと<海を埋め立てて><浮体を浮かせて><島を作って>と言う陸の人間は海をよほど広いものと思っている。
北米東海岸にチェサピーク湾がある。ノーフォーク岬から湾が奥に深く深く入り込んで、一番奥にボルテイモアとかアナポリス、首都ワシントンがある。日本で言えば房総半島の鼻を伊豆半島の先から遠州灘からずんずん伸ばして鳥羽のあたりまで引っ張ったようなものだ。そして伊良湖岬水道から湾に入って、一番奥に東京や横浜がある。
そのチェサピーク湾のどこにもコンクリートの埋立護岸は見られない。
どうかもう東京湾を玩具にして弄わないでほしい。
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