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2005.08.20

司馬遼太郎「街道をゆく」について

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「恐怖の報酬日記-イギリス・アイルランド紀行」(恩田陸)を読んだ。
たまたま図書館の新刊棚にあった。恩田陸については何も知らない。1冊の著作も読んだことはない。
これを読んで知ったこと。1964年生れ。女性。小説家。早稲田卒。すでに30冊の著作を出している。昨年の本屋大賞(本屋の店員が選ぶものらしい)受賞。

この本の中に司馬遼太郎「街道をゆく・愛蘭土紀行」について記した一節があった。
今時、世の読書人にとって司馬遼太郎はほとんど神様である。司馬遼太郎を論評する人はいない。
しかし恩田陸は次のように記す。只者ではない。

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私は小説家としての司馬遼太郎が素晴らしいことには全く疑問の余地はないと思うし、あの心躍る小説群には文字通り寝食を忘れて没頭してきた。
紀行文やエッセイの類も好きなので、「街道をゆく」は長期の人気連載だし、いろいろな場所について書かれているから、これからゆっくり読めると楽しみにしてきたのだ。
しかし、何冊か手にとって読む度に、いつも奇妙な違和感に悩まされてきた。まだこっちが若いせいだろう、と思っていたのだが、今回もやはりその感じが消えないどころか、じわじわとその強さを増してくるのである。
━略━
むろん小説であれ、漫画であれ、書き手は神である。実際手塚治虫も司馬遼太郎も、しょっちゅう自分を作品に登場させているし、読んでいる時に読者には作者の顔がいつも頭の後ろくらいのところにはっきり浮かんでいる。
━略━
司馬遼太郎は手塚治虫が自分の外に持っている神の視点を自分の外側には持てない。彼は、その神自身になりたいのだ。自分が歴史になりたいのである。「街道をゆく」には、特に、そういう歴史になりたいという色気を感じてしまうのだ。
シナリオを書いて撮った映画を、あわよくばドキュメンタリーだと思ってくれればいいな、という仄かな期待みたいなものが匂うのである。あのシリーズは、「歴史になりたい」司馬の、長い長いラブコールに思える。
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私も同様に感じていた違和感を、恩田陸は文章にして表現してくれた。

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