« March 2005 | Main | May 2005 »

2005.04.26

先生-4

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
先に、露伴の「五重塔」でも持ち出すかもしれないと書いたが、書庫から持ち出したのは「幸田露伴」(塩谷賛 中公文庫)であった。
これは露伴の伝記であり、文庫4分冊1500ページにもわたる大著で、20年も前に買って充分読めないまま置いてあった本である。今回、拾い読みに半分くらいを読んだ。
著者塩谷賛は露伴の書生・助手として長らく露伴の口述筆記を行った。露伴没後岩波の露伴全集編集にあたり、昭和33年9年の歳月を費やして刊行を完了した。
2年後、塩谷は視力を失う。失明後に稿を起こし、馬琴以上の勇猛精進をもって「幸田露伴」の執筆にあたった。4年を要して昭和43年完成。著者にこの事業を遂行させた最大の力は露伴に対する尊敬と心酔であった。

巻中より「先生」にかかわる挿話を1つ紹介する。
昭和16年の夏。真船豊(劇作家)が夫婦で塩原温泉に遊びにいったところ、旅館で番頭から「幸田先生がご滞在ですよ。言いましょうか。」と言われ、驚いてやめさせた。

以下~~~~~~の間は塩谷賛の原文のまま。
~~~~~~
数日考えに考えた末、お宅に上がってお目にかかれる方ではないが旅のことだから一度だけと心をきめ、衣服を改め名刺1枚を手にして参上した。しかし露伴は白鬚を胸に広げて大の字に寝入っていた。真船は名刺だけを厳かに置いて引き上げた。
夕食をしているところに番頭が現れて、「幸田先生が、先刻はこういうかたがみえたのに寝ていて大変失礼した。もしよろしかったらお出かけください、ということです。」と伝える。真船は箸を置いてすぐに立ち、着物を着替えて出かけた。露伴はひとえの上に黒絽の羽織の紐をきちんと締め、端座して待っていた。
露伴に聞かれて真船は自分のことをこう名乗った。「私は会津のいなかの酒屋の倅でございまして、時々東京へ商用で参りますものでちょっとこちらに立ち寄りましたら先生がご滞在になっておられるよう伺いましたので、大変不躾ではございますがご挨拶申し上げたくて突然・・・・」というのであった。嘘をつくつもりでこしらえたのでないこんな嘘が飛び出してしまった。相手は偉大な文人で自分は文士のはしくれにすぎないという意識がこういう言をなさしめたのである。
~~~~~~

「おお会津から」とそれを口火に露伴は酒のこと、醸造のこと、会津のことと語りだす。その内容がすごい薀蓄で、真船はお話を承っていてもせいぜい30分がやっとでお暇する。そして必死で聞いたことを書き留めるのであった。
それにつけても羨ましいのは女というもので真船の妻は毎朝お薄をたてて露伴のもとへ持ってゆく。さしあげたあとはそこに落ち着いて露伴の話を聴いている。ひるになって帰り、その日聴いたことを一々夫に話して聴かせる。夫はそれを書き留める。真船の妻は酒屋の女房を務めるのに苦労したそうである。

~~~~~~
「このあいだ東京から孫娘が来ましてな。この手すりから見ていると、その孫娘がはだしになって急流の瀬を越して川の中の洲へ行き、また早瀬を越してこちら側へ帰る。同じことを何遍も繰り返して遊んでおりまして、早くやめればいいのにと思って眺めていると頭に詩の一句が浮かんだのです。<脱履(だっく)してショウケイを欣ぶ>という文句で、700年も前にあちらの人はうちの孫娘と同じことをして自然を喜び、それを詩にまで詠んでいるのでした、これは蘇東坡の詩にある文句です。」
~~~~~~

露伴が引いた詩句のショウケイが真船にわからない。その場でただす勇気はない。こんな句が判らないというのでは話の腰を折ってしまうことになろう。
いろいろ案じて<渉渓>という字に思いいたった。東京に戻ってあちこち聞いて回ったが誰も知らなかった。ある1人が露伴に出入りしていて、、直接聞いてくれた。
「真船は渉渓だろうと自分で決めておりますが」と言ったら、「字が違うよ。小さく掲げる、その<小掲>だ。」と露伴は教えた。聞いた真船は喜んで叫んだ。「ああ、目に見えるようだ。ちょいと裾を掲げて水を越すさまが。字というのはなんと恐ろしいものだ。」と。
その後久保田万太郎にこの話をすると、「日本にもそれと同じ詩がありますよ」と言って、<夏川を越す嬉しさよ手に草履>という俳句を示した。作者は蕪村。
また後に、蕪村の句はさきの蘇東坡の詩を訳したものと知れた。

露伴の座談は常にかくのごとくであった。
露伴に会った人は誰も、斉藤茂吉であれ岩波茂雄であれ小林勇であれ、聴いたことを日記に書き留めている。

2005.04.22

庭仕事で肩を痛めた

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
いよいよオープンガーデンの季節である。
人を迎える準備に気が焦る。
冬の間、枯枝や落葉は寒さを防ぐ格好のクッションであった。しかし春となり人を迎える季節になれば枯枝を伐り落葉を掻き出さなければならない。止まっていた噴水を掃除して動かさなければならない。雑草も生えだしている。買ってきた花苗も植えたい。鉢の並べ替えもある。

そんなこんなで先週1週間、しっかり働いた。
そうしたら月曜日からどうも左肩が痛い。
火曜日には膏薬を貼った。
だんだん痛みが肩から肘のあたりまで降りてくる。
水曜日には痛みがピークに達し、ベッドに寝ようにも寝られないほどの痛みとなった。
ベッドに腰を下ろして、左肩からは当然寝られない。右肩を下ろして、身体を横にしようとするが、上になった左肩が前に傾いても後ろに傾いてももう痛むのである。安楽椅子に腰掛けて布団を被っていた。

しかし時間は有難いもので、今日金曜日はもう微かな痛みが残るだけとなった。腕も肩の高さまでは上がるようになった。

かかる事態を危惧して、日本一周クルージングの機会を断念したのであった。
<七十而従心所欲、不踰矩>
<七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず>
かくありたい、と願う。

先生-3

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
数年前、あるガーデニング講習会で出会った講師の話である。
「植物の育て方」といったテーマだったと記憶するが、ローカルの園芸スクールで教えている女性講師で、中央に名の聞こえているような人物ではない。

彼女は講演の冒頭で、「どうか私を先生と呼ばないで下さい。」と宣言したのであった。
そしてその理由を述べたのであった。
~~~~~~
どうか私を「先生」と呼ばないで下さい。
私は、自分を「先生」と呼ばせる人は自分も「先生」から習った人だと思うのです。
私は植物について「先生」から習ったことはありません。
私はすべてを自然から学びました。植物を見て、育てて、学んできました。
植物は決して自分を「先生」だとは言いません。
皆さんも自然から学んで下さい。私は「先生」ではありません。
~~~~~~

忘れられない。

2005.04.19

愛国無罪-2

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

わが冴えない「愛国無罪」に対してトラックバックしてくれた人がいる。
春秋子なる人物だが年齢居所不明である。

子によれば「愛国無罪」には幾つかのコンテキストがあるという。
~~~~~~
1936年11月、「7君子事件」というものがあった。
当時中国では政権を握る国民党に対して共産党が台頭し、内戦の状態にあった。
しかし中国国民は国共合作しての抗日を求めていた。そのために出来た組織が1936年6月の「全国各界救国連合会」であった。
11月に入って上海在華紡(日本資本の紡績工場)でストライキがはじまり、全国に波及して反日大ストライキとなっていった。
国民党の政府は救国会の運動を共産党の運動とみなし、弾圧したのであった。

彼ら逮捕された「七君子」たちを救え!救国会の陰のリーダーであった孫文夫人・宋慶齢は、
「愛国無罪・救国入獄」の運動をを大々的に展開することになる。
「愛国には罪はない。もしあるとすれば、われわれも犯罪者なのだ。われわれを逮捕しろ!!国を救うためにみんな七君子とともに入獄しよう!」。
つまり「愛国無罪」は由緒正しい、反政府運動のスローガンなのである。
いま反日デモの民衆を逮捕したら最後、中国共産党は国民党と同じことをした政権になりさがることになる。
~~~~~~

春秋子のご教示に感謝する。

金波銀波の海静か

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

八:おーい、ライちゃんとフジちゃんはどうなったんだい。
熊:どうってお前、声の出なくなった浪花節語りじゃどうしようもあるめえ。
八:そりゃ何だい。
熊:「魑魅魍魎も影潜め、金波銀波の海静か」だろう?金波銀波といやあ浪花節語りのテーブルの幔幕じゃあねえか。
八:なるほどね。それじゃテレビにもラジオにも出られねえや。

~~~~~~
(若い人に)
一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」
嗚呼玉杯に花うけて
緑酒に月の影宿し
治安の夢にふけりたる
栄華の巷低く見て
向ケ丘にそそり立つ
五寮の健児意気高し

芙蓉の雪の精をとり
芳野の花の華を奪い
清き心の益良雄が
剣と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か
人生の偉業成らざらん

濁れる海に漂える
我が国民を救わんと
逆巻く浪をかきわけて
自治の大船勇ましく
尚武の風を帆にはらみ
船出せしより十二年

花咲き花はうつろいて
露おき露のひるがごと
星霜移り人は去り
梶とる舟師は変わるとも
我がのる舟はとこしえに
理想の自治に進むなり

行途を拒むものあらば
斬りて捨つるに何かある
破邪の剣を抜き持ちて
舳に立ちて我よべば
魑魅魍魎も影ひそめ
金波銀波の海静か

2005.04.17

先生-2

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
先に<今時の芸人は売れるとみな先生となる>、と書いた。

永井荷風は露伴の12才年下であった。
荷風は生涯で3人だけを<先生>と呼んだ。露伴と鴎外と巌谷小波である。他はすべて君づけか呼捨てであった。
露伴と荷風は生涯会うことはなかったが、昭和22年露伴が80才で死んだとき、荷風は葬儀に出向いた。
日記「断腸亭日乗」に書く。<午後2時露伴先生告別式、小西小滝の二氏と行く。但し余は礼服なきを以って式場に入らず門外に佇立してあたりの光景を看るのみ。>
あの荷風が礼服でないとして式への参列を憚ったのである。先生に対する礼である。

後年、幸田文が文章を書くようになり「露伴の語った荷風」を書いた時、文は中央公論社から紹介状を貰って荷風に会いに行った。<お目にかかって書くことの許可を頂くのが、なすべき礼儀だったと思う>と文は書く。
来意を告げた時の荷風の挨拶は、<そんな固い挨拶なんぞあなた、何でもどんどんお書きなさいよ。>だった。
文は荷風を「先生」とは呼ばなかった。「永井さん」である。
他人を「先生」と呼ぶにはそれなりの心構えがいることを、文は父・露伴からきびしく聞かされていたからである。

2005.04.16

会者は忙せず

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
パソコンにガーデニングに桜にとお忙しいことで、とレスを頂いた。
われは答えて、「会者は忙せず。」

はは。つい数日前に「露伴」で覚えた言葉である。


~~~~~~
(若い人に)
「会者定離」の「会」ではなく、「会得」の「会」です。

愛国無罪

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「愛国無罪」、いい免罪符だ。
私も何かに使ってみたい。

ネットで「愛国無罪」を検索したが、まともな議論ばかりで面白いのはさっぱりだ。
自分で考えるしかないか。

駅で中国排斥のビラを配る。愛国無罪。
香港でグッチやシャネルのフェイクを買ってくる。愛国無罪。
江沢民の顔を加工してネットに載せる。愛国無罪。
世界中のIOC委員に中国の暴動の映像を送る。愛国無罪。
中国人に騙された話をたくさん作る。愛国無罪。
中国産のうなぎを食って腹が痛くなったと病院に行く。愛国無罪。?

冴えないね。

お好み焼きのメニュー

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
お好み焼きを食べることは殆どない。
大昔昭和通り銀座4丁目の出光関東支店に勤務していたころ、歌舞伎座の裏手木挽町のお好み焼き屋で、時折芸者姿のお姐さんが朋輩とおしゃべりしていたりしていて、そんな風情を垣間見に行ったくらいなものだ。

本日の昼食、横浜駅の食堂街で91才の母親が「お好み焼きがいい。」と言うので入った。
何を注文したらいいのか判らず、「ミックスお好み焼きランチ」を頼んだら、焼きそばとお好み焼きなるものが鉄板に乗って現れた。まあ、あまり戴けるものではなかった。
隣の席に30台前半か、しっかりと実の入った体格の女性が座り、鉄板になにやらルーに溶かした材料を直径35センチに拡げて焼いて旨そうに食べ始めた。
あれは何であるか。店員を呼んでメニューの説明をしてもらった。「鉄板焼き」はイカとか肉とか、素材を焼いて食べるものらしい。「もんじゃ焼き」が隣の女性の35センチである。「広島お好み焼き」とはお好み焼にソバが付いているのだそうだ。「お好み焼き」はメリケン粉のごった焼きである。
人生、学ぶべきことは多い。

~~~~~~
今朝のわが枕頭。
・「イラストレーターCS━トレースのすべて」 毎月6枚の絵を描くと決めた。「イラストレーター」がベストと判っていたが8万円では簡単に買えない。それでこれまで「花子」とか「G.Crew8」でやってきたのだが、本当に描くのなら「イラ」にしたい。たまたまジャンクメールの中に「格安ソフト」があったのでつい「イラ」のフェイクを6000円で購入したのであった。アドビさんよ、マスター出来たら本物を買うからしばらく猶予して下され。マスター出来ないまま抛ってあるソフトが多いのだ。
・「幸田露伴と明治の東京」(松本哉 PHP新書) 昔から幸田露伴が気になって仕方がない。といって140年も昔の人で、著作を読んでも大抵読み通せない。これなら、と思って買った本である。明日あたり、書棚から「五重塔」を持出して枕頭に加えるかもしれない。
・「趣味の園芸」4月号 特集「クレマチスの育て方」を読んでいる。
・「桜が創った<日本>」(佐藤俊樹 岩波新書) 季節ものである。

わが枕頭にはいつもこんな複数の読み物が置いてあり、気分であれこれ手にとっている。
学ぶことあまりに多し。

2005.04.11

グーグルシェアー

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
グーグル・シェアという言葉を聞いた。
例えば「日本」と「小泉」を入力して出てきた検索件数を、「日本」だけの検索件数で割るのである。
いまやグーグルにおける「検索件数」は、「ネット上に存在するページ数」と言い換えてもいい。
この場合、3.2%である。このパーセンテージを「持ち分」と言っている。「ブッシュ」は「アメリカ」の2.8%の「持ち分」という。

「ポニーキャニオン」(検索件数1,150,000)でやってみた。
フジテレビ(82,800)7.2%
ライブドア(52,000)4.5%
ニッポン放送(40,400)3.5%
これをどうみるか。
フジとポニーには長年にわたる取引関係の積み重ねがあり、82800にはそれが反映している。しかしライブドアとポニーとは我らの知る限りわずかここ数ヶ月の関係である。それで4.5%の持ち分を獲得してしまった。
この持ち分は無視できない。

「ライブドア」(1,020,000)とマスコミを見よう。 
朝日新聞(157,000)15.4%
読売新聞(84,700)8.3%
毎日新聞(170,000)16.7%
産経新聞(53.400)5.2%
これは各紙の取材姿勢によるもなのか、ネットにおける占有力なのか。

ちなみに各紙の検索件数は、
朝日新聞(4,040,000)
読売新聞(3,230,000)
毎日新聞(8,720,000)
産経新聞(2,230,000)
「毎日」には「信濃毎日」ほか「毎日」の付く新聞が含まれてしまう。

また、
ライブドア(1,020,000)
ニッポン放送(676,000)
フジテレビ(885,000)
楽天(18,600,000)
YAHOO(7,550,000)
ソフトバンク(838,000)
楽天の店舗数は大変な力だ。ソフトバンクのページ数をどう見るか。

2005.04.06

壮途を送る

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
友を送ってきた。
実はいつも一緒に乗せてもらっているヨットが日本一周の航海に出る。
1年前から誘われていたのだが、結局同行出来なかった。

年令を考えてしまう。
乗るのは2人だけなのだ。70歳になって、半年以上も、果たして迷惑かけずに体力が保つか。
友は9歳年下である。
ちょうど彼と同年輩の同行者が現れて、2人で出ることになった。

私は枕崎から五島列島あたりを乗せてもらうつもりでいる。

大沢温泉桜まつり

050406-Setuko-OsawaSakura11050406-Setuko-OsawaSakura14050406-Setuko-OsawaSakura05050406-Setuko-OsawaSakura13
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
毎年この時期、松崎から那賀川を5キロほど遡った大沢温泉の桜まつり見物に出かける。今日、行ってきた。
ここでは桜まつりに合わせ、俳句大会が開かれる。
1月31日までに3句に1000円を添えて投句すると、選ばれた句が竹の短冊に書いて桜の木に提げられる。この竹の短冊がよい。
行ってみないと選ばれて提げられたかどうか判らない。
だから楽しみにして出かける。
いつも投句するのは妻で私はしない。

ちょうど母がわが家に来てくれていたので一緒に出かけた。
実は母にも投句させていたのだ。

あった、あった。母と妻と、それぞれ2句づつ選ばれていた。
よい花見であった。

« March 2005 | Main | May 2005 »