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2004.12.31

トルコとウクライナ

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スマトラ沖地震による死亡者は既にして8万人を超えているという。どこまで拡がるのか。

トルコの片田舎で12月14日午後に購入し、裏にサインした絨毯現物が27日にわが家に到着した。支払いに使用したクレジットカード(VISA)は1月11日に決済される。
トルコは文明国である。

トルコ国民の99%がイスラム教徒だという。
1453年、コンスタンチノープルを陥して東ローマ帝国を滅亡させたマホメッドⅡ世の16万人のオスマン・トルコ軍は、3日間城内での略奪を許された。しかし城内で殺されたのは4千人程度だったという。大虐殺は行われなかった。すぐにギリシャ正教の存続も認められた。トルコ人にとって殺すよりも捕まえて奴隷に売る方が得なのであった。西進したスペインにおいてもひどい宗教的弾圧はなかった。
トルコ人は文明人である。

トルコのEU加盟がどうなるか。キリスト教・ローマ帝国の流れを汲むEUが、イスラムのトルコとどういう関係になるのか。
パレスチナあるいはアルカイダのイスラムとユダヤ・キリストとの対立は解けそうにない結び目だが、EUとトルコはどういう形を見せるのか。
トルコの文明に期待したい。

話はウクライナにとぶが、1933年、ウクライナ・ソヴィエト共和国で約500万人が餓死したという。(「物語ウクライナの歴史」黒川祐次 中公新書)
これはスターリンによる人為的な飢饉であった。モスクワに食料不足はなく、ソ連の食糧輸出は続いていた。ソ連は徹底的にこの事実を隠蔽した。西欧は知らなかった。この飢饉は世界史的にまだ認知されていない。
ヒトラーによるユダヤ人虐殺に匹敵するジェノサイドであった。

1933年のことといえばまだ生身に残る記憶である。今回の選挙がウクライナの人々にとってどんなに深い、複雑な思いのするものであったか。察するに余りある。
また歴史的にドイツもフランスもポーランドも、ウクライナに対して決して無罪ではない。
それにしても私にとって意外だったのはアメリカが西欧側についたことである。将来のEUを考えるとき、穀倉ウクライナはロシア側に置いておく方が得ではなかったのか?ロシアは既に一極たりえない。

いまトルコとウクライナが面白い。

2004.12.28

かえでの剪定

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昨秋、庭の高木の剪定の見積もりをしてもらったら28万円と言われました。もち、たぶ、もみ、かえでの4本です。
仕事量として高いか安いか判りませんが、わが財政事情からはなかなか払えません。
抛っておいて今年も暮れようとしています。

ふと見上げるとかえでがすっかり葉を落として裸になっています。葉のある時に比べて容量も重量も3分の1でしょう。
おっと、これならやれるかな。
何日かためつすがめつ眺めた挙句、意を決して取り掛かりました。

なんとか怪我なくやりおうせました。半日×2回の作業でした。
電動のチェーンソウを持っているのですが危険なので全部手鋸でやりました。
後片付けはまだです。年越しになるでしょう。

写真説明
1.この樹です。かえでに巻きついているのはもう蔦とも言えない宿り木です。右後方は隣家と剪定したくぬぎです。
2.ハシゴの高さが510センチあります。この最上段に立って作業しました。もちろんハシゴはロープできっちり固定しましたし、身体はヨットのハーネスで確保しました。
3.出来上がり。

追記
かえでを10月に伐った時は切り口からメープルシロップが出て、そこにスズメバチが寄って大騒ぎしました。
追記2
3年後、同じ作業が出来るかどうか。



2004.12.26

ダッチオーブン

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どういうわけかダッチ・オーブンを持っています。

チラシを見ていたら近くのスーパーで普段はない鶏の丸々を1780円で売っていたので、クリスマス・イブでもあり久しぶりにDO料理をすることにしました。
全体に塩コショウし、<玉ねぎ、ニンニク、レバー、レーズン、パン>を炒めて腹の中に詰め込みます。
そしてダッチ・オーブンに入れて弱火で焚くだけの料理です。(焦げ付かないように底にクズ野菜を敷きます。)
大きな鶏で、38センチのダッチ・オーブンからはみ出すほどでした。
60分焚きます。
そしてひっくり返して、鍋の隙間にじゃがいも、人参、マッシュルームなどを入れるのですが、鶏があまり大きくて野菜が充分入りませんでした。実はこのじゃがいもが一番美味しいのです。
そしてさらに30分焚いて出来上がりです。私の料理番です。
セロリを入れてもよかったなと思いました。鶏肉に合うブルーベリーソースは伊豆では中伊豆ワイナリーで売っています。

とても2人では食べられそうにないので、ご近所に声をかけたところおじさんとおばさんが参加してくれて4人のパーテイになりました。ユズの大バカ18年から万葉集まで支離滅裂の話題でしたが、いいクリスマス・イブでした。
翌朝おじさんから花芽が6つもついたカトレアの鉢を頂戴しました。今年株分けしたそうです。

追記
先に原宿のOクリニックの検診の話を書きましたが、その後の内視鏡検査で異常はなく、噎せるのは「年令のせいですな。」ということでした。要するにがっついて食べるな、ゆっくり食べろということです。

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☆★☆PCC 森下一義 a sailor and a gardener
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2004.12.23

トルコ絨毯

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塩野七生は若くしてイタリアに渡り、今ではイタリアに住んでイタリアに関わる歴史・物語を書き、日伊両国で尊敬されている。
才能があって、努力して、苦労もしたのだろうが、幸せな人だと思う。

さて。
トルコでカッパドキアという地方に行った。奇岩や地下遺跡で有名である。
アンカラからバスで6時間も7時間も走る。途中は樹木の生えていない高原で、麦やバレイショ、羊の放牧が産業らしい。所々部落が望見されるが、「あの部落からこの部落に嫁にくればそれは国際結婚みたいなものだ」とガイドは言う。それほど未開な土地だと言いたいらしい。
すでに雪がつもっていたが1月には零下30度にもなるという。
カッパドキアに国営のじゅうたん会館があった。そこでノスレット・サンジャックリ教授からトルコ絨毯の詳しい説明を聞いた。
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<農民には年金はない。このあたりの農民は若いうちに織った絨毯を年取ってから売って生計をたてる。>
<草木染めのトルコ絨毯は3、40年たって本当の色が出てくる。二つ結びのトルコ絨毯は150年、200年も長持ちする(ペルシャ、中国は一つ結び)。だから新品より50年以上経ったものの方が値段が上がる。>
<このあたりでは女の子に小学校以上の教育を受けさせることはない。彼女たちが唯一生活を変えられるのは良い結婚をすることである。そのためには良い織り手にならなければならない。>
<嫁を探す親は年頃の娘のいる家を訪ねる。娘の親は彼女の織った絨毯をかけて客を迎える。よい絨毯の織り手は料理も家内の取り仕切りもすべてが上手いとみなされる。>
<娘は8才から指ならしを始め、本格的に織るのは14才頃からである。>
実際に各家に何枚もの絨毯がストックされていて、夏の間1ヶ月絨毯を日光に曝す。小学校の校庭一杯にぎっしりと絨毯が敷き詰められている写真を見て感嘆した。こうした方がムラなく色が出るのだそうだ。
~~~~~~

ノスレット教授は大阪外語を出て東大でも学んだトルコの碩学である。日本の風俗営業のトルコ風呂という呼称をやめさせる運動を起こしたのはこの人だという。
この人の発議で絨毯会館が出来たらしい。農民はここに絨毯を販売委託し、会館は10%の手数料をのせて販売する。作品は(彼らは製品とは言わない)すべて写真入りで登録され作者と責任者のサイン入りの保証書が添付される。そして会館で購入するとただちに現物が日本で宅配便手配されるシステムが出来上がっている。完璧なシステムである。
私も2枚買ってしまった。

教授は近くの大学で日本語を教えているが(会館の従業員はみんな教え子で日本語の実習中)、昨年初めて女子学生を募集した。
すると40人の募集に430人もの応募があったという。
私はその40人の中からきっと日本とトルコを研究し著述する女性が現れると信ずるのである。


追記1
塩野七生に度々言及するが彼女に心腹しているわけではない。ヴェネツイアあたりのことはともかく、「ローマ人の物語」の彼女の歴史解釈を必ずしもすべて肯うことは出来ない。
好き嫌いで言えば同じイタリアを書いて須賀敦子の方が遥かに好きである。
須賀敦子の著作は殆ど所蔵しているのに対し、塩野七生は殆ど図書館で借りて読む。その違いがある。

追記2
だからといって私はイタリア大好き人間ではない。

追記3
画像の女性は17才の織り手である。


2004.12.21

無名性と無法性

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塩野七生の「コンスタンチノープルの陥落」を読み、次いで「レバントの海戦」「ロードス島攻防記」「海の都の物語」を読んでどうしてもボスボラス海峡、ガラタ橋、ダーダネルス海峡を見たくなってトルコ・ツアーに参加してきました。

そのツアーでの出来事です。
タイミング悪く、また旅行会社の手配悪く、バス3台100人もの人が1つのレストランで一緒になりました。
ビュッフェスタイルですが長蛇の列で混雑・混乱しました。
その中である男が、ちょろちょろと列の横から手をのばして料理を攫っていきます。仲良しになった女性グループをテーブルに座らせておいて、せっせと運んでいます。おかげで並んでいる私たちのハムや卵はなくなってしまいました。

私がようやくコーヒーにミルクを入れようとした時、その男が手を出してミルクのピッチャーから自分のカップにミルクを注ぎ、ピッチャーは空になってしまいました。
さすがにたまりかねて大声を出して咎めました。結局「ゴメンナサイ」と謝らせました。
彼の名前は知りません。

最近はプライバシーと個人情報保護の意識からか、旅行でも同行者の情報はまったく与えられません。
私は、過ぎた無名性は無法性につながると考えます。
せめて「名前」(姓だけでよい)、「住んでいる地域」、「仕事または趣味」くらいはじめに自己紹介させるべきでないでしょうか。
その方が安全で快適な旅行になるでしょう。

彼だけ謝らせても片手落ちと考え、彼のグループのテーブルにまで出かけてみんなに「いい年をしてちょろちょろするな」と念を押してきました。
いい年をして勇み過ぎだったか。

2004.12.08

正木覚先生の講演会

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昨日、伊豆ガーデニングクラブ設立7周年を記念して行った正木覚先生の講演会「それぞれの庭づくりが街づくりにつながる」が無事に終了しました。
来場者は約90名、ぎりぎりの合格ラインだったと思います。
毎月の例会の出席者は30名程度で、今回どれほど集まるか心配だったのですがなんとか格好がつきました。

会場係、受付係、看板係、写真展係、それぞれの係に分かれてサポートしました。何か行うとなると本当にみんなの協力が必須です。

講演の内容は、私自身は静岡新聞やIKCの記者と応対していて始めの30%くらい聞いていないのですが、それほど強い主張を展開するというより、事例紹介的な内容だったと思います。
それでもやはり中央の第一線で活動されている方の話を直に聞くことは大きな刺激となるもので、これからの我々の活動に大いにプラスになるでしょう。
オープンガーデンの全国サミットの提案などもありました。われわれも待望していながら実現出来ていないことですが、先生のご支援も得ながらなんとか実現したいものです。

ユニーでの写真展とこの講演会で7周年の記念行事を終了しました。
我々の活動が会員の生甲斐のみならず、市民の皆さんに認知され支援されるものになっていくことを望んでいます。


2004.12.06

早明戦の感想

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50年来の観客として、また自分でもいささかラグビーをした者として、昨日の早明戦は凡戦だったと思う。
大味で、ゲームにスリルがなかった。明治がボールをなかなか出さないのは出せないのではなく休んでいるかの如くであった。早稲田も共に休んでいるかの如くであった。
国立の大観衆やTVのカメラは意識しているが、OBの厳しい目は実際にあるのかないのか知らないが、無いかの如くであった。
中で、明治の9番藤井の自陣20ヤードからの独走トライは見事だった。久しぶりに見るラグビーの快走だった。しかしあれを許した早稲田もだらしがない。試合を大味にする所以である。

今朝の新聞(朝日)を見ると、必ずしも酷評はしていない。よく頑張ったと書いてある。
心外であったが書いた記者も選手と同世代なら仕方がないと思った。

こういう気分は、我々の若い頃、「六代目は・・・」とか「先代の羽黒山は・・・」と聞かされたのと同じことなのだろうか。

2004.12.05

看板の作成

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伊豆ガーデニングクラブ7周年記念講演会がいよいよ明後日に迫りました。
私の担当として看板の文字作成がありました。
講演会場のホールの吊り看板(450×4300mm)と、会館玄関前の立て看板(450×1800mm)です。

「環境デザイナー 正木覚先生」
「それぞれの庭づくりが街づくりにつながる」
「伊豆ガーデニングクラブ7周年記念講演会」
これだけの文字を入れようと思いました。合計47文字あります。
大きな紙に太い筆で書けば、それで終わりです。しかしそれが書けないから苦労するのです。
なんとかパソコンででっち上げようと思いました。

まず考えたのがコピー機による拡大です。
1番大きなフォント72pで打って、コンビニで何回か拡大すれば出来るだろうと思いました。
しかしです。これが大変な作業であることが判りました。「それぞれの庭づくり・・・」の部分は1文字をほとんどA4サイズに拡大しなければなりません。なにせ4300mm幅の看板ですから。
そして72pからA4サイズにするには5回拡大を繰り返さなければならないことが判明しました。途中の紙はすべて無駄です。
A3に2文字入れるとしても、47文字で看板縦横2枚ですから235枚のコピー枚数となります。ロスなしとしてです。
テストを重ねて、やっと最初の2文字が出来とところで前途を思い意気阻喪してしまいました。

するとコンビニのお姐さんが、「パソコンを使ったら?」と声をかけてくれました。
「だって1番大きな文字がこれだよ。」と72pを示すと、「スキャナを使えば。」とご託宣。
「考えてみます。」と家に戻りました。
なるほど、印字ではなく画像として扱えばパソコン上で拡大出来るわけです。
というわけで47文字を2通り、ペイントソフトですべて拡大して打ち出しました。早明戦を見ながら5時間かかりました。
コピー機とどちらが早かったのか。

筆で書ければ何の苦労もなかったのです。
もし会社の仕事として、この5時間はペイの対象になるのだろうか?

2004.12.04

皇居東御苑散策

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RHSJ(英国王立園芸協会日本支部)の「皇居東御苑庭園散策」の催しに参加してきました。

国立公文書館に集合しました。(ここはかの矢吹さんがニール号の資料を集めに行って苦労した古戦場です。彼のことが思い出されました。 http://www.usedboat.or.jp/log-mr.Y.html )
RHSJということで特別に「本草図譜」「庶物類纂図翼」を閲覧させてもらいました。保存状態が素晴らしく良く、150年も経つのに鮮やかな色合いに驚きます。図も正確で、とても現在のそこらあたりのボタニカルアートでは及びもつきません。眼の保養になりました。
そして長年宮内庁庭園課に勤務されたHさんから宮廷庭園と皇居内の説明をして頂きました。

それからHさんのご案内で東御苑を拝観しました。
中で「二の丸庭園」のあたりにちょっと庭造りがあり、またお堀にからんだ景色は他にない景観ですが、全体としては江戸城大奥の焼け跡で、いうなれば広場ですね。武蔵野の秋を堪能しました。
Hさんのご案内に意義がありました。武蔵野の風情は昭和天皇が愛された由。
一般公開されているのでご覧になった方も多いと思います。

三の丸尚蔵館で「ロイヤル・コペンハーゲン磁器展」をやっていて、「フローラ・ダニカ」シリーズを見ました。1700年代の終わり頃、ボタニカルアートを磁器に焼いたものです。「本草図譜」より50年も前の、これまた凄いものでした。

大手門から出て、出たところがパレスホテル・ビルでした。東京駅まで私のかっての通勤路を歩きましたが、その頃はまだ東御苑は公開されていませんでした。
RHSJの一行は40人、伊豆ガーデニングクラブよりは若い人が多いようです。昔から思っているのだけど東京の人は服装が野暮ったいですねえ。神戸とか福岡の方がずっとお洒落です。

原宿のOクリニックにまわりました。いいトシをして食べ物を前にするとすぐがっつく癖があり、その時に噎せるのです。ここ1、2年その頻度が増え、収まるのに時間がかかるようになった気がします。食道か胃に異常があるのか、単に老化なのか、その検査です。今回は問診だけで胃カメラは20日先です。今年初めての病院でした。
終わって千疋屋に寄り、バナナクレープを頼んだら、あまりのボリュームに食べきれず残してしまいました。
これも老化現象でしょうねえ。


2004.12.03

伊豆高原暖房事情

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伊豆高原といっても場所で気温は異なります。海の近くは暖かく、大室山や遠笠山など高くなると寒い。
うちのあたりは暖かい方ですが最暖地ではありません。
2月頃、気温マイナス1度くらいが2、3回ありますが地温はそれより3度高く、霜柱が立つことはありません。

私の寝室は朝起きた時にちょっとだけ石油ストーブを焚きます。書斎はファンヒーターの石油ストーブです。
妻は夜間エアコンを使います。
リビングルームはエアコンとホットカーペットとプロパンガスストーブがあります。
冬の間通常使うのはホットカーペットとガスストーブです。

近所のOさん宅に薪ストーブがつきました。
よばれて行ってみたら素晴らしい。本当に気持ちのよい暖かさです。
すっかり羨ましくなってうちにもつけたくなりました。しかしよくよく考えると場所作りが大変です。
それに費用も4、50万円かかりそう。

でもあの暖かさを知るとうちは寒すぎる。何か考えることにしました。
まず熱源を何にするか。
昔の知識でカロリー当たりの価格が灯油を1とするとプロパン4、都市ガス5、電気6といった記憶があります。便利になるほど高くなる。
それに電気で連想するのは岬を回った途端にヌッと現れる禍々しい原発の煙突、原発も火力も大気に放出する汚染ガス、海に放流する大量の温水、です。暖房に使いたくない。
都市ガスは製油所建設時に見たLNG冷凍タンクの側板の厚さが40センチもあったのが忘れられません。
プロパンは、業者間で消費者1軒を5-10万円でやりとりする、安全の名の下に強いギルドの世界です。
というわけで灯油に落ち着きました。いろいろ言うが要するに高いのが嫌なのでしょう。
いや、灯油は燃えると水になるからいいのだ。

熱源は灯油として、器具はどうするか。
FF式は壁に穴を開けなければなりません。わが家の壁は12センチのコンクリートで、簡単に穴が開かないのです。これまでも何度か業者は軽く請け合いましたがいつも大変な作業になりました。
ファンヒーターなら穴は不要です。今店屋に並んでいるのはファンヒーターが全盛です。しかし待てよ。ファン式は停電時に使えないぞ。新潟を見ろ。
とどのつまりは昔ながらの石油ストーブということになりました。16800円でした。

どうでしょう。この思考回路。
まさに<昔の知識に凝り固まった頑固でケチなクソジジイ>そのものですね。
我ながら笑ってしまいました。

写真のストーブの左はロビーのケージ、窓の外は小鳥の餌場と水場です。

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